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4-3 夢への軌跡

 青葉賞での痛恨の敗北から一夜明け、美浦トレーニングセンターは、澄み切った朝日に静かに包まれていた。しかし、クニモト、イマナミ、三津、ケイゾー、アオキの5人の表情は、まるで厚い雲に覆われた空のように、重く沈んでいた。


「ノゾミが負けた原因はオーバーペース。それは分かってる。だが、なぜ青葉賞でオーバーペースになったのか? そこが問題だ」


 クニモトの言葉に、ケイゾーが即座に反応した。


「それはどう考えてもあの馬のせいじゃないのか?」


 ケイゾーの言う「あの馬」とは、ノゾミを追いかけたボウハツのことだ。 ボウハツがノゾミを煽ったから、ノゾミが暴走したというのが彼の主張だった。

 しかし、三津は後ろ髪を掻きながら、冷静に反論する。


「たしかにボウハツも暴走してハイペースになってました。でもボウハツはノゾミの3馬身後ろで追走してただけで、競り合ってはいませんでした」


 競馬において、逃げ馬が他の馬に絡まれてペースが上がるのはよくあることだ。だが、それは馬同士が激しく競り合ったり、ぴったりとマークされた場合に限る。今回は3馬身の距離があり、ノゾミがボウハツを嫌がって暴走したとは考えにくい。


「そうだよなー」


 競馬の専門家である三津の反論にガックリ肩を落とすケイゾー。

 いくら話し合っても原因が見えてこない。5人は、真の原因を突き止めるため、青葉賞のレース映像をもう一度、一から見返す。するとあることに気付いた者が1人。


「なんかノゾミ、周りを気にしていて、走りに集中してないですね」


 アオキの呟きに、全員の視線がノゾミの動きに注目する。確かに言われてみれば、ノゾミの耳は常にピクピクと動き、落ち着きがないように見える。


「周りを気にしてるってことは、やっぱり歓声か?」


 クニモトの問いかけに、イマナミは首を傾げた。


「うーん、ノゾミは歓声を気にするタイプじゃないと思うけど…」


 敗因は依然として深い霧の中に閉ざされたまま、5人は何度も何度もレース映像を繰り返し検証した。

 5回ほど映像を見返した時、三津が、まるで暗闇に一条の光が差し込んだかのように、ある可能性に気付いた。


「ノゾミと2番手の馬のペースを書き出してみたらどうでしょう?」

「ん? どういうことだ?」

「200mごとのラップタイムを比較してみたいんです」


 三津の提案に、最初は戸惑いを隠せないメンバーだったが、藁にもすがる思いで試してみることにした。


 5人はストップウォッチを片手に、新馬戦、1勝クラス、そして青葉賞の映像を繰り返し再生した。そして、ノゾミと2番手の馬のラップタイムを書き出していった。


「これは・・・!」


 アオキは驚愕の声をあげる。


 ノゾミと2番手の馬のペースが、驚くほど酷似していたのだ。 2番手の馬のペースが落ちればノゾミもペースを落とし、逆にペースを上げれば、ノゾミもペースを上げる。まるでノゾミが2番手の馬のペースに合わせて走っているようだった。


「なるほどな・・・要するに、ノゾミは後ろの馬のペースを真似しながら走っていたのか」


 クニモトは納得した表情でお茶を口に含む。


「2番手の馬のペースを真似して競馬するって、ノゾミも走りにくいだろう」

「そうですよね。後ろを見ながらスピードを落としたり上げたり・・・よくそれで2連勝できたな」


 ケイゾーとアオキの感想に、他のメンバーも深く頷いた。


「ということは、ノゾミは自分でペースを作れないということですよね?」

「あぁそうなるな」


 イマナミの問いかけにクニモトは頷いた。


「このままのノゾミでは、ダービーどころか重賞も厳しくないですか?」


 イマナミの言葉が、重い沈黙と共に、その場の空気を凍りつかせた。特に、日本ダービーを最大の目標としていたケイゾーとアオキにとって、その言葉は、まるで心臓を直接握りつぶされるかのような衝撃だった。夢にまで見た舞台への道が、今、目の前で閉ざされようとしている。彼らの胸には、失望、焦燥、そして深い悲しみが渦巻いていた。他のメンバーもまた、その重苦しい空気に言葉を失い、誰もが押し黙ったまま、時間だけが静かに過ぎていった。


 重苦しい空気が漂う事務所。クニモトは、その沈黙を打ち破るように、静かに口を開いた。


「とりあえず、ノゾミの様子を見に行かないか?」

「そうですね。まずは本人の様子を見に行きましょうか」


 イマナミも賛同し、事務所の扉を開けた。外は春の陽光が眩しく、美浦の寒さも和らいでいる。5人は軽い上着を羽織り、ノゾミのいる馬房へと向かった。


「イマナミ、ノゾミはレース後はどうだったんだ?」 


 事務所からノゾミのいる馬房へ歩きながら、イマナミにノゾミの様子を聞く。


「競馬場帰りはいつも通り馬運車の中で爆睡でしたよ。同車している馬も落ち着くんでありがたい限りなんですけどね。そして馬房に戻そうとしたら、坂路行きたがってましたね。それぐらい元気です」

「あんなハードなレースしてタフな馬だな。ほんと・・・」


 ノゾミのタフさと負けず嫌いさに、5人は思わず笑みを浮かべた。


「そういえば、青葉賞3着のソードオリバー。足元が怪しいらしく、今日獣医を呼んでいるみたいですよ」

「マジか。あの馬、セールで何億したんだっけ?」

「えっと・・・ 3億ですね」


 イマナミがスマホで調べて答えた。


「3億・・・!?」


 桁違いの金額に、ケイゾーは目を白黒させた。


「でもケイゾーさん、河合牧場のノゾミも有名でしたよ」


 三津はケイゾーに言う。


「1億はついただろうな」

「1億・・・」


 クニモトから想像を絶する数字を聞き、ケイゾーはよろめき、近くの柵に激突した。


「ケイゾーさん、それは考えないようにしましょうよ」


 アオキは苦笑いしながら、言った。


「そ、そうだな」


 アオキの言葉にハッとしたケイゾーは、慌てて誤魔化した。そして、話題を変えようとクニモトに話しかけた。


「先生、もうすぐですか? 1億の馬房」

「ケイゾーさん、ノゾミのことを1億って呼ばないでください・・・」


 そんなやり取りをしているうちに、国本厩舎の馬房に到着した。

 ケイゾーがノゾミの馬房を覗き込む。


「よぉーノゾミぃ・・・って何してんだ・・・?」

「ヒンっ?」


 ノゾミは馬房の中で足踏みをしていた。その足踏みは早くまるで走ってるかのようで。そしてその荒い息遣いから、それがノゾミなりのトレーニングであることが分かった。

 それを見たクニモトは、イマナミに指示を出した。


「イマナミ。ノゾミ馬房から出そうか。引き運動しながら話そう。ケイゾーさんもアオキさんもいいですか?」

「あぁもちろん」


 ノゾミを馬房から開けると待ってましたと言わんばかりに飛び出してきた。


「うお!!ノゾミ!今日は走らない!引き運動だけだ!!」 


 イマナミは慌てて手綱を引いた。ノゾミは不満そうにしながらも、動けないよりはマシだとばかりに歩き始めた。


「本当に丈夫ですね。ノゾミは」


 三津は感嘆していた。

 これまで数多の馬を見てきたが、激しいレースの後で食欲を失ったり、疲労困憊で動こうとしない馬がほとんどだった。しかし、ノゾミは引き運動に歓喜し、次なる戦いに向けて、すでに研鑽を積もうとしているのだ。


「あぁ。体調だけ見れば来月の京都新聞杯に行けなくもない」

「京都新聞杯ですか」


 クニモトの言葉にイマナミは驚きの声を上げた。


 京都新聞杯

 それは西からの日本ダービーへの最終キップをかけたレースである。厳密にはステップレースではないが京都新聞杯から日本ダービーに出走して勝利した馬には、キズナやロジャーバローズがいる。近年では日本ダービーへの有力なローテーションの一つである。


「俺はもちろんダービーを目指している。ノゾミがこんなにやる気なら、止めるつもりはない。ただ・・・」


 馬主であるケイゾーは言葉を続けた。


「さっきイマナミくんが言ったように、このままではダメな気がするんです」


 ノゾミの今の走り方でも京都新聞杯は勝てるかもしれない。しかし、それではノゾミのポテンシャルを100%引き出せない。

 そして、何より三津とノゾミの走りは、競馬ではない。競馬とは本来、馬が騎手を支え、騎手が馬を支える、どちらか片方では決して成立しないもののはずだ。しかし、今のノゾミはまるで一人で走っているようにケイゾーは感じていた。


「もちろん、このままの状態で出走させるつもりはない。最終的には、追い切りで判断する。今まで通り、制御不能な暴走をするようなら、京都新聞杯は見送る」


 クニモトの厳しい言葉に、4人は息を呑んだ。京都新聞杯まで、あと2週。まったく時間が足りない。

 そんな中、三津は少し思慮の後、手を上げた。


「あの。レースからじゃなくて、追い切りから乗せてもらっていいですか?」


 三津の言葉にクニモトは驚いた顔を見せた。


「あぁ、それはこっちからお願いしたいくらいだが、いいのか?」


 栗東からわざわざ美浦にノゾミを乗るだけのために来るというのだ。移動だけでも大変である。だから調教である追い切りはイマナミが乗り、レースでは三津が乗るということになっていた。


「ええ。こっちも、このチャンス逃すわけにはいかないんで」


 ノゾミは三津にとって、まるで火花を散らすかのように荒々しく、手に負えない存在だった。こんな馬に乗る機会を与えられるまでになったのかと自嘲した日もあった。そして、自分の技術を否定されたとも思った。


 しかし、三津は青葉賞のレース後のノゾミの悔しそうな表情が目に焼き付いていた。悔しさと挫折感が溢れるその目を見て、「この馬と、ダービーに行きたい」と心の底から思った。敗北の痛みと勝利への渇望が交錯する中で、彼は新たな決意を固めた。ノゾミ一人で競馬をさせるなんて、とんでもない。ダービーはノゾミに連れて行ってもらうのではない。


「僕がノゾミをダービーに連れていきます」


 三津の言葉に、クニモトは力強く頷いた。


「分かった。頼むぞ、三津」


 三津は、ノゾミと真の意味で二人三脚で夢を追いかける覚悟を決めた。それは、単にノゾミに騎乗するというだけではない。ノゾミと向き合い、その力を最大限に引き出し、共に栄光を掴み取るという、揺るぎない決意表明だった。

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