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よくあるチート持ち異世界転生の導入部

 家族はいない。当然、恋人どころか親しい異性もいない。

 同性の友人は次々と結婚していき、子供が生まれると共に少しずつ疎遠になっていった。

 仕事は朝六時から夜の十時まで。

 家に帰って風呂に入り、道中のコンビニで買った弁当やカップ麺を食べながら仕事のメールの確認をすれば日付が変わる。

 労働基準法なんてものがまともに機能しているはずもなく、休日は月に一日か二日だけ。それでも書類上ではきちんと休んでいることになっているというのだから笑えてくる。

 訴えようにもそんなことをすれば、一族経営の上層部に後でどんな目に合わされるか分かったものじゃない。

「転職してえ……」

 幾度呟いたかわからない願望が、自然と口をついて出る。

 しかしそれも不可能だ。

 職を失うことを恐れてズルズルとここで働き続け、年齢もとうに四十を超えた。今更こんな人間を再雇用してくれる企業に心当たりはなく、新しいことを覚える時間も気力もない。

「何でこんなことになったんだろう……」

 答えてくれる相手もいない。

「酒、なくなったな……」

 冷蔵庫の中を開くと、冷えたキュウリとチーズが転がっているだけだった。

 今夜は嫌なことを忘れて飲み潰れたい。幸い明日は一ヶ月ぶりの休日なので、近所のコンビニまで出かけることにする。

「そう言えば、今日は何曜日だ?」

 日付は覚えているんだが、咄嗟に曜日が思い出せないという生活習慣にも慣れて久しい。

 携帯の画面で時刻と曜日を確認してから、築ウン十年のボロアパートを後にする。

「せめて少しでいいから、給料上がらねえかなあ」

 これもまた、叶わないと分かっている願いだ。

 うちの会社では残業という制度が存在しないので、どれだけ働いても残業代はゼロ。有給なし、ボーナスなしでずっとやっている。

 改めて考えると意味分からないな、これ。

 誰か俺に再就職先を用意してからあいつらを捕まえてくれ。

 疲れ切った体を引き摺るようにしてコンビニに到着すると、複数の若者が駐車場の隅の方に座り込んでいた。

 身内ネタで盛り上がっているのか、聞いたことのない単語を叫ぶと深夜にも関わらず大きな声で笑い合っている。中には高校生らしき制服姿の子も何人かいた。

(いいなあ)

 そんな彼らを見て浮かんだは、そんな感情だ。

 俺にもあんな時期があった。

 将来の不安なんて一切ない。毎日が楽しくて、輝いていた。

 何でもできるし、何にでもなれると信じて疑っていなかった。

(って、うわ)

 虚ろな目で彼らを見ていると、カップルらしき制服のペアがキスを交わす。

 集団がより一層の盛り上がりを見せるが、部外者の俺は何故か気恥ずかしさを感じて視線を逸らす。

(そうだお酒。ビールを買いに来たんだった。って、何だあいつ?)

 努めて集団の方を意識しないようにしながら歩みを再開すると、彼らに向かってフラフラと近づく一人の男に気が付いた。

 黒色の上下スウェット姿に、興奮か酒によるものなのかは分からない赤ら顔。明らかに俺と同年代かそれ以上の年齢で、若者たちとの交友関係があるとは思えない。

(近所の人が文句を言いに来たのか?)

 確かにこの時間帯に彼らの声量は迷惑だろう。俺なら警察にでも連絡するが、それすら思い浮かばないほど頭にきているのか。

(まあ、俺には関係ないか)

 そうだ。俺には関係ない。

 俺の目的は酒であって、この後それを飲んでから気持ちよく布団で横になるのが唯一の楽しみなのだ。

 毎日毎日自分のことで精一杯で、関係のないことに首を突っ込む余裕も義理もない。

 若者の集団のうちの何人かが、接近してくる男に気が付き不審げな表情を浮かべる。

 しかし男は構わず歩き続け──その背に後ろ手に握られている包丁が俺の目に入った。

「っ、逃げろおっ!!」

 英雄願望なんてあるわけがない。ただ気がつけば、叫ぶと同時に飛び出していた。

 本気で体を動かしたのは何時ぶりだろう。

 モタモタと、傍から見れば情けないほど緩慢な動きで男に掴みかかり、包丁を取り上げようとする。

(身体が……重い!)

 長年の不健康な生活と、加齢による衰え。

 思うように身体が動かせず、不意をついたにも関わらず二人揃って情けなくその場に倒れ込む。

「え、何々?」

「喧嘩か?」

「やれやれー!」

 俺が必死に身体を張っているのに若者の集団は逃げるどころか通報もせず、中には携帯のカメラで撮影を始めるものまで出る始末だ。

「畜生! 放せ!」

「―っ!!」

 俺の下敷きなった男が唾を飛ばしながら叫んでいるが、俺の方はというと声を出す余裕もなく、包丁が握られている手を必死に掴むので精一杯。

 すると男はあっさりともう片方の手に包丁を持ち替え、何の躊躇いもなく俺の腹に突き刺した。

「がっ……!」

 痛い。痛い! 痛いっ!!

 刺されたところが燃えるように熱くて痛い。けれどもこれで。

(包丁が奪える!)

 刺された包丁を抱え込むように両手で握る。

 男が暴れてより深く包丁が腹に食い込むが、知ったことじゃない。

(ああもう、畜生! ふざけんな! 何やってんだよ俺! ああ、糞!)

 まともな思考回路じゃないのは分かっている。けれどここまでくればもう意地だった。

 目の前の男に、上司に、会社に、世の中に。

 何より自分自身に対するあらゆる不満と怒りが爆発し、この包丁だけは絶対に離してたまるかと八つ当たりのように必死に握り込む。

「ねえ、これやばくない?」

「おい! 何やってんだよテメェ!」

 流れ出た血がアスファルトを汚し始め、ようやく事態の深刻さに気がついた若者たちが俺たちを引き離そうと手を伸ばし始める。

 中には男に蹴りを入れている乱暴な子もいるようだ。

 騒ぎを聞きつけてコンビニの中から他の客も飛び出し、引き離された男が抑えつけられる。

 レジの向こうで店員さんが何処かに電話しているのも見えた。

(ああ、終わった……)

 男にこれ以上抵抗する意志はないようだ。

 刺されたお腹が尋常ではないほどに痛む。なのに頭は冷え切っていて、それでいてとても眠くなってくる。

(これはもう……)

 無理だな。


 ──死。


 この歳になってもまだ、自分には関係ないと思っていた現象がすぐそこにまで迫ってきているのを感じる。


(テンプレ通りなら、ここで異世界転生でチートでハーレムで……)

 休憩時間の小さな楽しみ。スマホで読んでいたネット小説の物語。

 こんな事件に巻き込まれ、今際の際に浮かんだのがそんなものだったのが我ながら少し情けなかった。

 来世なんてものは信じていない。異世界なんてあるはずがない。

 それでも最後に、ほんの少しだけ自分本意な妄想をしても許されるだろう。

(俺は世界一の魔法使いで、バッタバッタとモンスターを倒して──)

 周囲の音が消えていく。

 もう痛みも感じない。

 やがて本当に呆気なく、俺の意識は闇に落ちた。

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