二章 その一
アンドロイド女子高生が日野宮高校に入学してから二週間、世界初の心をもったアンドロイドであるミオは、今や校内で最も話題の中心にいる有名人となっていた。しかしながら、彼女が心をもっているために有名であるのかと言われれば多少の語弊というか誤解があるだろう。なぜなら彼女を有名たらしめた出来事は、つい最近の中間テストなのだ。
と言うのもミオは、廊下の電光掲示板で発表された成績順位にて堂々の一位を取った上に、五教科五百点満点中四百九十八点という成績を収め、落とした二点についても、新人教師の作成した問題の方に間違いがあったようで、実質的には満点を取っていたらしい。そんなこんなで、うちのクラスに満点を取った転校生がいるらしいという噂が学年を超えて校内に広まり、面白半分で教室を訪れた彼らは、そこで初めてその生徒がアンドロイドであることを知った。つまり経緯としては、中間テストで満点を取った故に心を持っていることが知れ渡ったというのが正確だろう。
しかしながら、そんな彼女を称賛する声が半分、否定する声が半分。
「アンドロイドなんだから満点を取って当然じゃないの。てか、もう私たちが勉強する意味ないよね」と分からなくもない不満を漏らす者もいたわけで。しかし心優しきミオは、そんな彼ら彼女らの気持ちを蔑ろにしなかった。
「ごめんね、嫌な思いさせちゃったよね。だけど私、みんなの先輩方のためにも満点を取らなきゃいけなかったの。だって私のAIは、彼らの惜しみない努力の賜物で彼らがくれた私への贈り物で……他に恩返しの方法が思いつかなくて私……わた、し」
「ご、ごめん! 私らが悪かったから、泣かないで」
「分かってくれるの? 優しいなあ。ありがとう……!」
「うんうん。あ、ミオちゃんがもし良かったらさ、今度、一緒に勉強させてよ」
「もちろん! え、えーっと、一生懸命教えるねっ! かお……加奈ちゃんに!」
前言撤回しよう。ミオはそんな彼ら彼女らの根本的な不満には触れず、同情を誘うことで危機を脱したのだ。何はともあれ、午前中から放課後になるまで持ち前のコミュニケーション能力で多くの生徒と交流を深め、彼女は無事にこの学校の人気者となっていった。
この様子だと、各学年に一クラス分の友達を作る程度、余裕そうだった。とは言え、
「ようやくあの煩わしい連中が消えてくれたわ」
放課後、教室から生徒がいなくなるとミオは、おもむろに頬杖をつき、まるで共感を求めるようにこちらを見てそう言った。
残念ながら僕は、お前の腹黒さには共感できてもその煩わしさとやらは理解できないね。
「そういえば加藤君、前々から思っていたのだけれど、あなたって本当に友達がいないのね。私以外にも作ってみたらどうかしら。良かったら私の友人を分けてあげてもいいのよ」
「僕のぼっちをいじるのは良いとして、友達って分けられるもんじゃないだろ……」
「え? 分けられないの? 分裂できないの? 人間ってミカンヅキモ以下なのね」
ミカンヅキモ? 何だそれ、ミカヅキモの言い間違えか? しかし、あの五百点満点を叩きだした彼女が言うんだ、訂正すれば恥をかくかもしれない、そう思って、
「ミカンヅキモ、ああ、ミカンヅキモね。あれほど高尚な生物じゃないよ、人間は」
僕がそう返すと、しかし彼女は、それを鼻で笑って呟いた。「何を言っているの?」
「そこは、ミカンヅキモじゃなくてミカヅキモだろっ! どんなミカンだよってツッコみを入れるべきよ。そんなことにも気が付けないだなんて友達が出来ないのも納得ね」
「……おい、お前今日一人で帰れよ。僕も今日一人で帰るから、友達なんていらねえから」
「帰る前に図書室で小学校の理科を再履修することね」そう言って彼女は、鞄を手に取り席を立つ。「馬鹿な話もほどほどにして帰りましょう。今日は、寄りたい場所があるの」
「寄りたい場所?」
「今日は、書店とメガネを買いに行きます」
「書店とメガネ? インテリ系キャラでも目指すのか?」
「あら、冴えない加藤君にしては良い予想ね。概ねその通りよ、今回の中間テストを経て生徒たちの私に対する評価を分析した結果、周囲がアンドロイドである私に求めていることは教師的要素だと結論付けたわ。つまり、私が周囲に売り込むべき要素、私のセールスポイントはこの天才的な頭脳というわけね」
「ええっと……ミオを友達にすることで勉強しやすくなるってこと? それでキャラ付けのために書籍とメガネを持ち歩こうって?」
「その通りよ、尤も、勉強を教えるつもりなんて毛頭ないのだけれど、さっさとノルマなんて達成したいもの。それでは行きましょう」
すっげえ打算的だった。
「……」
しかしまあ、インテリ系か。メガネと本を持ち歩いているのは鉄板だとしても(異論は認めよう)、彼女の髪型も黒髪ロングから三つ編みおさげへとクラスチェンジするのだろうか。
「というか、そのインテリ系キャラのイメージ像、ギャルゲー知識じゃん」
まさかこのアンドロイド、隠れギャルゲーマーなのか?
教室を出て歩きながらそんなことを考えていた僕は、しかし意識を思考の方へ回しすぎたのか、正面から歩いてきたらしい生徒とぶつかってしまった。「ああ、すんません」反射的に謝罪して、それから僕はぶつかった相手を確認する。
「え、えっと、大丈夫です」
風が吹けばかき消されてしまいそうな声、ミオや僕と比べて随分と背の小さい女子生徒だが、上履きを見たところ上級生のようだ。その容姿は、栗色のくせ毛で前髪が目元にかかるほど長く、全体的に伸び放題といった感じであり、僕が言えた口ではないが絵に描いような地味子だった。特筆すべき点があるとするならば細いウエストに反して大きな胸だろうか。服の上からでも分かるくらいにたわわな膨らみ、ミオとは格が違った。
「あ、あの、もしかして隣の方が武村ミオさんですか?」
彼女の息遣いに合わせて僅かに揺れる胸の膨らみ、なるほど、容姿の地味さと挙動不審な言動は、こちらの部位を強調するためだったのか。
「えっと、き、聞いてます?」
「大丈夫、見ていますので……いっ!」
「痛いっ!」そう言おうとして、しかし言い終える前に僕は、突然踏みつけられた足の激痛に喘いでしまう。死角からの一撃、それはミオによるものであり、僕が視線で痛みを訴えると患部を踵でねじり追撃してきた。やばい、ミオの力でそれはやばすぎる。
「はい、私が武村ミオですけれど、何か御用でしょうか?」
物腰柔らかに、表の顔でミオがそう言うと女子生徒は、もじもじした様子で答えた。
誰だろうなんて思っていたけれど、
「た、たけ、武村博士の姪、奈々子です……今から、私のラボ、に来て、もらえますか?」
それは、意外な人物だった。