第一章 その四
「次は、あれで。あのクレーンゲームで勝負をしましょう。先に手に入れた方が勝ちよ」
一階クレーンゲームフロアの隅、ぶよぶよで火照った体をベンチにて休ませていた僕ら。突然にミオが指さした先には、大きな赤ぶよぶよぬいぐるみが景品となったクレーンゲームがあったのだが、いやお前鬼畜かよ、そうツッコみたくなるほどに、泣きそうな顔で小さな女の子が指を咥えてショーケースの中を眺めていたのである。おまけに、
「お父さん、あたしこれ欲しいよお」
「ごめんな、お父さんこういうの苦手だから」
「欲しい、欲しい、欲しいったら欲しいのっ」
そんな二人の会話がここまで聞こえていながらにミオは言う。
「見たところ景品の在庫は、残り一つで、しかも他人が欲しがっている。そう思うと唐突に欲しくなってきたわ、最終決戦にはあれが相応しい、加藤君も異論はないわね?」
「ミオってさ……性格悪いって誰かに言われたことない?」
「良い性格をしていると、そう言われたことならあるのだけれど」
絶対それ逆の意味で言われてるだろっ、ますます友達になれそうもないよっ、そんな確信過ぎるツッコみが出来るほど強い心を持っていなかった僕は、ひとまず心の中で消化してからミオに答える。
「とりあえず僕は、やらないよ。大体勝負って、さっきぶよぶよで勝ったじゃないか。勝ち越しは譲ってやるよ」
「そう言いながらも、あなたとっても不機嫌な顔してるじゃないの。いじけているのを隠しきれていないわよ、挽回の機会を与えてあげようという優しさを素直に受け取りなさい」
「……」
事細かに見透かされていた……。いや、そんなことはさておいてだな。
「それでもやだよ、金ないし」
もちろんお金がないというのは、勝負を断る口実であり、そもそも最終決戦云々の前に僕みたいな小心者には、この哀れな少女の眼前で景品を手に入れる度胸も根性も腐り切った性根も、いや、言い過ぎたかもしれないけれど、とにかく出来るはずがなかった。
けれど、そんな内面さえも見透かしていそうな真っすぐな目でこちらを見つめて来るミオ、何だかそれが嫌で目を逸らしたそのとき、
「あ、あの……お二人にお願いごとがありまして……私の代わりにこの子にぬいぐるみを」
マジかよ、お父さん!
「これで、お金の問題はなくなったわけだけれど、やるわよね、加藤君?」
※
――僕って面倒臭い奴だよな、その面倒臭さが自分で嫌になる。
十六年ほど生きてきた僕だけれど、小学生の頃はもう少しまともな性格をしていたように思う。人にありがとうと感謝を伝えられれば、それを正直に受け取るだけの素直さも、自分に対する肯定感も、ちゃんと持ち合わせていたはずだ。けれど、いつからこうなってしまったのかな。
「そんなに落ち込むのなら、取れるまで諦めなければ良かったのに。二百円程度で申し訳なさを感じていては生きていけないわよ」
茜色に染まった東京の住宅街、田舎と比べれば背の高い住居がびっしりと隙間なく建てられている景色の中に点々と存在する小さな公園でミオと僕は、その大きな体には似合わない小さなシーソーに跨り、いやに寂しげな音を聴きながら揺られていた。
「落ち込んでなんかないよ、落ち込む理由なんてないだろ。ただ」
全くその通りだ、けれど、自分で言っておきながら僕の心境は、相反している。
僕らは結局、二人揃ってぬいぐるみを取ることが出来なかった。
「あの子が可哀想だなって、そう思っただけだよ」
機体のショーケースに張り付いて、最後までぬいぐるみを見つめていた少女。
ものすごく欲しかったんだろうなって、ゲームセンターを出てから後悔するみたいに思った。その程度、別に気にするほどのことでもないのだろうけれど、希望を持たせるだけ持たせてしまったことが申し訳なくて、何というか、結局のところ、やっぱり僕は落ち込んでいるのかもしれない。
「ありがとう、お兄ちゃんたち」
お父さんに、そう言わされていた彼女の切なげな表情が頭の中に残って、消えてくれない。夜眠って朝起きたら、きっと忘れてしまうのだろうけれど、その程度の小さなことに気を取られてしまう僕って、はあ、大きな溜息が出た。
「嘘が下手なのに嘘をつこうとするのね、変わってるわ」
そんなことを面と向かって、しかも仏頂面で言われてしまった僕は、彼女の表情の向こうにある感情を少しだけ想像してしまう。アンドロイドの心、存在するのかどうかも怪しいところではあるけれど、今のところ彼女のことを人間だと勘違いしてしまうくらいには、僕なんかよりもずっと真っ当な心を有しているように見えたのだ。
「お前さ、僕といても楽しくないだろ。手帳届けたこととか、その、船でのこととか気にしてるんなら忘れていいよ」
彼女のことを気遣って言った。けれど、言い終えてその気遣いがまさに自分の面倒臭い一面そのものだと気が付いてしまう。どうしてこんなことを言ってしまったんだろう、と彼女の表情に遅れて思って、けれど、その言葉を取り消せないことに後悔した。
「加藤君」
自分のネガティブさが嫌になる。
「……何だよ」
その心は、プログラムされた心は、こんな僕に何を思うのだろう。不安になった。
「あなたって面倒な人ね」
「……」
そうだよな、その通りだよ。いつからか、僕は面倒な人間になっていた。いつからだろう、両親が離婚した頃からかな。引っ越し先で上手く馴染めずに、気が付けば一人でいることが当たり前になっていて、そんな自分を面倒で変な奴だなあとどこか俯瞰的に見るようになっていた。
相手にどう思われているのか、客観的に思考するようになってからは、いや、ネガティブに思考するようになってからは、そんなことばかり考えている。
あーあ、面倒臭い。酷く自分が面倒臭いね、携帯電話を携帯していないなんて言い回しも、今どき携帯電話なしで生きてしまえる自分も、何だか時代に取り残されているみたいで、周りは僕のことを変人だと思っているんだろうな。
「自分でも面倒臭いことくらい分かってるよ」
悪い思考の仕方だと、深く考え過ぎは良くないと、周囲の人間には、そう言われ続けてきた。「でもさ、仕方ないだろ」
「直んないんだから。申し訳ないね、こんな僕の愚痴みたいなのに付き合わせちゃって」
「それが、加藤啓一君」
「そう、これが僕だよ。ネガティブで卑屈で、言葉をこねくり回すだけが取り柄なのさ」
きっと彼女は、僕のことを否定するだろう。
きっと彼女は、僕のことを拒絶するだろう。
きっと彼女は、僕のことを許容しないだろう。
帰って寝よう、今日も僕は、そんなことを思った。
けれど、
「それは、あなたの美点よ」
「は? 何言ってんだよ、面倒臭いだけだろ」
彼女は首を横に振って言った。
「自分のことを面倒臭いと、そう思ってしまうのは、それだけあなたが他人の立ち位置になって自分を考えられている証拠よ。その上で悲観的になってしまうのは、仕方のないこと。だって人間は」
だって人間は、どれだけ考えようと他人の気持ちを本当の意味で理解できないもの。
「だから不安で、面倒臭くて、大抵の人は考えることをやめてしまう。悲観的になる前に打ち切ってしまう。だから、加藤君の心が痛むのは、それだけ他人に対して熱量をもって接している証拠なのよ。もう一度、言うわ」
そこで、彼女は一度言葉を溜めて、微笑んでから言った。
「それは、あなたの誇るべき美点よ」
「……何だよ、それ」
こんなことを言われたのは、初めてだった。僕はずっと、面倒臭がられて嫌われて、遠ざけられてきたのだから。そんな自分が嫌で、駄目な奴だと思って、変わり者だと思って、ずっと一人でいた。
それなのに。
「ネガティブが悪いことだなんて、そんなのポジティブな人間のエゴよ。私が人を選ぶのだとしたら、ほんの少し捻くれていて、不器用だから上辺だけの付き合いが出来なくて、けれど、人一倍の熱量で関係をもってくれる人を選ぶわ。約束する」
だから、彼女は手を差し伸べて続ける。
「加藤啓一君、友達になりましょう。その方が、私たちの学園生活はきっと賑やかになる」
真っすぐな目と直截的な言葉。
差し伸べられたそれらにさえも、断る理由を一々と探してしまう僕だけれど。
僕だったはずだけれど、
「いいのかよ……僕はさ、ほんの少しなんかじゃなくて、かなり捻くれてるんだぜ?」
ぶっきらぼうに言って不安を隠しながら、それでもいつもよりは前向きな言葉を返す。
すると彼女は、変わらない言葉の強さで答えた。
「そちらの方が、ずっと楽しそうね。望むところよ」
だから僕も、その手を取って、
「よろしく、アンドロイドのミオ」
彼女に、他人に歩み寄った。
人間関係の最初の一ページ目、自ら歩み寄った記念すべき一人目、
「あなたの望む、本物の関係を築いていきましょう、人間の加藤君」
それは、性格が悪くて、けれど、どこまでも真っすぐなアンドロイドの女の子だった。