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第一章 その二

 太陽こそ見えないが美しい青と白の空、静かに響く波の音、目前に広がる人工浜辺の白い砂、向こう岸に見える東京のビル群、それを差し置いて最も目を引くのは雲のように白いレインボーブリッジだろう。

「わーお、あんなに大きいんだね! 初めて見た」

 言って目を輝かせるアンドロイド女子高生ミオ、彼女に連れられた場所は沿岸にある船着き場、レンタルフェリーの受付所だった。彼女が受付でのやり取りを難なく済ませ、僕らは自動運転の小型船に乗り込む。彼女は、操作盤にはめ込まれたタブレットを触りながら、目的地を選んでいるようだった。「どこに行くの?」ゆらゆらと揺れる船の上で二人きり、僕はタブレットを覗き込むようにして横目に彼女を見る。「こことかどうかな」

「うん、良いと思う」

 彼女は液晶画面の光を瞳に映しながら、頬を覆っていた黒髪をかきあげた。そして露わとなる彼女の耳から顎先まで続く細い輪郭線、通った鼻筋、飴色の大きな瞳、その相貌もさることながら、どうして人間の男子という生き物は、女子高生の足に魅入ってしまうのだろうか。こと僕に関しては、恋人を作ることも下手をすれば友達を作ることさえ諦めているのに、潜在的意識の部分でその脚部を求めてしまっている。

「すごく、良いと思うよ」ありのままの感想をつい漏らしてしまった。

「え、ああうん……じゃあ、ここにするね」目的地を設定された小型船は、ゆらゆらと動き出し、数分後に天井板を自動で折り畳み、開放的な船旅を演出する。海のど真ん中で座っているという非日常的な景色、頬を撫でるささやかな風、ふと訪れた静寂の中で時間と風景が流れていく。間もなくレインボーブリッジの真下を通ろうとして、その影にミオの顔が半分重なったとき彼女は言った。「そう言えばさ加藤君って、携帯電話もってないんだよね」

「教室でそう言っていたけど、あれってどうしてなの?」

 え、ええっと。

「こ、この前、大雨で水没しちゃってさ……」

「あ、そうなんだ。じゃあ直ったら連絡先交換しよう!」

 そう言って、にっこりと笑う彼女。なんて眩しすぎる笑顔なんだ、こんなの惚れちまうよ。

「そういえばね、私の携帯見て欲しいの!」

 そう言って彼女が赤く輝いていたカチューシャを外すと、次の瞬間それは折られていた折紙が元の形に戻るようにひとりでに展開され、背景まで透き通った液晶画面と赤いフレームをもったスマートフォンへと変形した。何だ、何だこれは、アンドロイドの秘密道具か。

「驚いた? これ結構便利でさ、もっとすごい機能があるんだあ。ねえ目を瞑ってみて」

 彼女の言う通り目を瞑ると、それとほぼ同時に小型船も停止したのかエンジンの駆動音が聞こえなくなった。またしても訪れた静寂、波の音と彼女の布が座席に擦れる音がして、彼女の甘い匂いを感じる。彼女と僕の距離が近くなったのは分かったが、一体どういう状態なのだろうか。そんなことを考えていると柔らかな肌の感触とひんやりとした温度を右頬に感じた。「え、あの武村さん?」

「ミオでいいよ、加藤君。確認だけど、本当にメモ帳の中身を見たの?」

「ごめん、さっきも言ったけど見た」

 恐らくは彼女の指、五本の細くてかたい感触がくすぐるように頬を上から下へ滑り落ちていく。ざわつく心臓と力む背筋、何だかよく分からない汗が額に浮かんでくる。

「そっか」耳元で聞こえた細い声、滑り落ちた指先が僕の首筋でぴたりと止まる。

「残念ね、あなたとはもっと違った形で仲良くなれると思っていたのだけれど」

 今までの透き通った声とは打って変わり、妖しげで蠱惑的な抑揚のある太い声。そして彼女は僕の鼓膜に囁いた。「痛くないようにしてあげる」

 瞬間、僕の首筋に走った衝撃。思わず瞼を開けると、彼女の右手に握られたスマートフォンから青白い電流がばちばちと音を立てて空気中の四方八方に飛び交っていた。「スタンガン……?」見たものを見たままに呟く僕。視線を上げると目と鼻の先に彼女の顔があった。しかし、その表情は先程のように穏やかな微笑みではない。飴色の瞳、その瞳孔を大きく開き、戸惑う僕を前に恍惚とした笑みを浮かべている。

 戦慄。咄嗟に僕は首筋に触れている彼女の手を払いのけようとして、しかし身体が思うように動かないことに気が付いた。「うふふっ、無駄よ」彼女が愉快そうに笑う。

「言ったでしょ? この携帯結構便利なの、あなたの首から下の筋肉は麻痺して動かないわ」彼女は、細くしなやかな手で僕の首を鷲掴み、そのまま席を立つ。そして身体の重量などまるでお構いなしに僕を軽々と持ちあげ、彼女は一歩、二歩と小型船の外、足場の存在しない海面へ近づいていく。助けを呼ぼうにもここは、人目につかない橋の下だ。

 全て計算されていたということか。

 足元は海、宙ぶらりんの状態、動かない身体、僕の生死はあっという間に彼女に委ねられていた。「顔を真っ赤にして随分と苦しそうね」

「席に……降ろしてくれ」息苦しさに悶えつつ僕が答えると、彼女は一層笑みを深めブレザーのポケットから半透明の小箱を取り出した。そしてそれを僕の眼前に見せつける。「画鋲よ。この席、何だか華やかさに欠けると思わない?」ぱかり、と小箱の蓋を開ける彼女、次にしようとしていることを想像して、全身に鳥肌が立った。

 ばらばら、からから、雲の隙間から差し込んだ陽光を受けて金色に輝く画鋲。彼女はまきびしのようにそれらを席に撒き散らしたのだ。「これでもまだ、席に座りたいのならどうぞ?」とんだ鬼畜野郎じゃないか。

「反抗的な表情ね、好きよそういう顔。でも勘違いしないで、私も好きでこうしているわけじゃないの。元はと言えば、情報保全の観点から電子上ではなく紙媒体にメモを取った私の責任だもの。とは言え、本当の目的を知ってしまったあなたを放っておくわけにはいかない」

 そういう顔が好きなのに、好きでこうしているわけじゃないなんて。しかし、見え見えの嘘にツッコめるほど僕には余裕がなかった。秘密、本当の目的って何だ?

「とぼけても無駄よ、メモ帳に書いてある計画を見たんでしょ? さあ、大人しく“武村アオイ”の情報を全て吐きなさい」

「だから……何の……話だ!」

 肺の中に残っていた空気を吐き出し、僕は声を絞り出す。同時に感覚を取り戻した腕で彼女の腕を引き離そうと抵抗を試みる。「計画のことなんか知らない!」

「へえ、あなた、変わっているのね。大抵の嘘は、心理学データに基づいた検索と検証によって見抜けるものだけれど、表情筋をコントロールできるのかしら? 嘘をついているようには見えないわ。でも惜しかったわね、その言葉を信じることはできない。尾行してきたことに説明がつかないもの」

 その飴色の瞳には、嘘発見器でも備わっているのだろうか。よく分からないが、後をつけていたことは、バレていた。とは言え、僕は嘘をついているわけじゃない、隣の席の女子生徒と交流を深めようとしただけだぞ。

「それとも己の下心のままに後を付けてきたのかしら?」

「そんなわけないだろ!」

下心なんて微塵もない。

 数十分前のことを上手く思い出せないが、僕に限ってそんなことあるわけがない。

 本当さ。「お前が忘れ物をしたんだと思って、届けようと思っただけだよ。つまり、これは僕の善意百パーセントだ!」

「あら、善意ねえ? その割には、下心という単語に反応を示したように見えたけれど? まあいいわ、どのみちあの殴り書きを見た以上生かしておくつもりはないし、荒っぽい手になるけれど脳内の記憶を強制スキャンして」

 荒っぽい手? 強制スキャン? よく分からないけれど、記憶を読まれるのは、まずいまず過ぎる。僕には、命に代えたって読まれたくない数時間前の記憶があるんだ。「ちょっと待て!」

「あら、どうしたの? 命乞い?」

「な、殴り書きだって? 僕は、一ページ目に書いてあったお前の名前しか見てないって!」

 僕が言い放つと彼女は驚いたように口を開き、その瞬間こちらの首を鷲掴みにしていた手の力が緩まった。最悪のタイミング、その腕を引き剥がそうと抵抗していた力が彼女の腕力を上回り、僕の身体が宙へ投げ出されてしまう。落下する直前、反転した世界で彼女が小さく呟いた。

「最初の一ページだけだったの?」


        ※


「へっくしょん! あーさみい」

 海へと吹き抜けていく風が、濡れそぼったカッターシャツと僕の上半身を密着させる。気色悪い感触と凍えるような寒さにくしゃみが出てしまった。五月の海がこれほどにまで冷たかったなんて。「水も滴る憐れな男、申し訳ないことをしたわ加藤君」ミオは、僕に対し申し訳なさを感じているのか砂浜に腰を下ろし、こちらを見向きもせず、なおかつ興味なさげに呟いた。申し訳ないって本当に思っているのだろうか。「驚いたわ、私の口先だけの言葉を見抜くなんて」マジかよ、お前のせいで僕は死ぬところだったんだけど。

「何よ、その目? まさか、私に復讐しようと……いいでしょう、相手をしてあげます」

 言って頭のカチューシャに手を掛けるミオ、とんだバーサーカー野郎だった。

「早とちりするな、復讐なんて考えてないよ。でも、ちゃんと謝ってくれたっていいだろ。現に勘違いだったわけだし」

「だから、溺れているあなたに手を差し伸べて助けようとしたじゃない。それでおあいこ」

「お前が差し伸べたのは手じゃなくてスタンガン機能付きの携帯電話だろ!」

 お陰で僕は、トドメを差されるところだった。

「わかった、分かりました。確かに人間の脆さを把握しきれなかった私に非があるようね」

 大きく息を吐いて立ち上がったミオは、軽くスカートに付着した砂を払いこちらと向かい合う。こちらを見据える飴色の瞳、僕は緊張を隠せず視線を泳がせてしまった。

「あの、加藤君」

 表と裏、どのようにして声を使い分けているのか、彼女は自己紹介を思い出させる柔らかな声で僕を呼んだ。「は、はい」それにはこちらを向かせる意図があったのか定かではないが、自然と泳いでいた視線が彼女の顔に戻る。

「私、今日のこと」

 汗ばんできた手、握りしめていたズボンの裾が少し蒸れてきた。おまけに心臓の音まで大きくなっている。告白されるわけでもないのに、何を緊張しているんだ僕は。

 そして、形の良い彼女の唇が動いた。

「やっぱりやめたわ。だって私、悪くないんだもの。悪いのはあなたよね」

「え? ど、どういうことだよ」

「私、学校を出てからずっと加藤君に付き纏われて」

「そ、それはメモ帳を」

「通学路から三キロ以上も離れたここまで逃げてきたのに、まだ追いかけてきて」

 痛いところを突いてくるミオ、僕が怯んだのを好機と見たのか彼女は、顔を赤くして今にも泣きだしそうといった風に両手を目元にあてる。そのまま震えた細い声と恐怖に揺れる瞳を僕に向け、一歩後ずさった。「わ、私……とっても怖くて……」

「先生と加藤君のご家族に相談するか、本人に謝ってもらわないと学校に行けないよお」

 まずい。クラスメイトや先生は、恐らく僕が根暗でコミュ障なことを察し始めているから相談されてもいいとして、僕のことを自慢の孫だと言っているおじいちゃんとおばあちゃんに知られるのは駄目だ。町内の老人会に二度と顔を出せなくなってしまう。

「わ、分かったよ。ごめん、だからその、泣くなよ……な」

 途端、彼女は先程の態度など嘘だったようにけろっと真顔に戻って言う。

「涙なんて流さないわ、アンドロイドだもの。上面の感情に騙されるなんて愚かね」

 うわあ、こいつ、うぜえ。それはそうと、あの手帳には何が書いてあったのだろうか。

「私が学校へ行けなくなってしまうような情報が書かれているの」

 それと、と彼女は嗜虐的な笑みを浮かべて続ける。

「見た人も学校へ来られなくなるような情報ね」

「……」

「冗談よ、あなたって驚くと随分と間抜けた顔になるのね。ただ個人的には見られたくなかったというのが本当のところ。でもまあ、私があなたにしたことを考えると、そのお詫びとして教えてあげたっていいわ。加藤君って口は堅そうだし」

「そりゃ、どうも……?」

「あらうっかり。私としたことが間違えた。加藤君って話すような友達いなさそうだし」

「お、お前……」くそっ、間違いじゃないと否定できない自分が悔しくて情けなさ過ぎる。言って彼女は、悔しさに歪んでいたであろう僕に余裕の眼差しを向けて続けた。

「各学年に三十人、友人関係を築くこと。それから、一人、恋人を作ること」

「恋人……? 何で?」

 アンドロイドが? その言葉は呑み込んだ。

「ええ、そうよ。そこまで出来れば証明くらいにはなるでしょう、私が人間と同等の存在だとね。はっきり言って、そのノルマが最も難しいと思っていたのだけれど、ちょうどいいわ」

 そう言って、彼女は、僕を真っすぐに指さして言った。

「加藤啓一君、私の恋人になりなさい。いいえ、恋人になって」

 僕は、即答する。

「嫌だよ」

 そして、どうして、と言わんばかりに揺れていた彼女の瞳に僕は言う。

「別に、僕のこと好きじゃないだろ」

 そんな上辺だけの繋がり、僕には必要ない。そこまでは口にしなかったけれど、正直なところ僕には、友人作りや恋人作りなんて向いているとは思えなかった。

 はっきり言って僕は、捻くれているし、ネガティブ思考の塊みたいな奴だ。

 第一僕は、友達一人助けられないような人間なんだから。

 だったら始めからそんな関係、持つべきじゃないよな。

「そう、確かにあなたの言うことも一理あるわね。そんな関係に意味はないわ」

 あっさりと、彼女はそう言って、しかし、

「けれど、きっと加藤君のことだから、私と友達になるのも嫌なのでしょうね。だったら」

 吸い込まれそうなほど美しい飴色の瞳で僕を貫く。

「あなたをしもべにします」

「しもべって、何で僕が」

「そう、拒絶するのね。ならば、法的な力をもってしてあなたを従わせなければならないわ」

 刹那、ミオの白い指が僕の細腕を掴み、抵抗する間もなく引き寄せられる。甘い香りが鼻孔を通り抜けると、次の瞬間僕の右手に触れた柔らかい何か。状況を理解するまでに三秒かかって、僕の手は今、ミオの制服の上、その胸部を押し付けられている。やや控え目に見えた彼女のそれは、しかし、僕とは比べ物にならないほど確かな存在感をもっていた。

 空気よりもずっと柔らかいのではないだろうか。

 いや、それは言い過ぎだが、そんな余韻に浸ってしまうまでもが彼女の策略だったに違いない。はっとして視線を彼女の顔へ向けるとにやりと下卑た笑みを浮かべていた。そして駆け引きは、ほんの一瞬のうちに行われる。僕が彼女の胸部から手を放そうとするも、強い腕力で固定されてびくともしない。嘘だろ、こんな形で僕のファーストタッチが奪われるなんて。ミオが泣き叫ぶように言った。

「きゃあー! 誰か助けてー! ストーカーに胸を触られましたあ!」


        ※



 一話当たりの文字量が大体4000~6000なのですが、他の作家様と比べると多いかもしれません。

 ましてや、問題解決までのくだり、いわゆるストレスパートが三話以上続くこともあって、なろう向きの作品ではないのかもしれませんね。

 

 文字量以外で読みにくい点ございましたら遠慮なくご連絡ください。

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