第七章 その二
一階から三階まであるという中学校の中は、迷路みたいに入り組んでいて、けれど教室自体は廊下側の壁を取り払った開放的な空間となっていた。小説やアニメの影響か、てっきり夜の校舎は、お化けが出そうなほどの静寂に包まれていると思っていたのだけれど、案外、換気扇やら何かの駆動する重低音と見回っている人型の警備アンドロイドの足音が聞こえてきて、それから真っ暗ということもなく、非常灯と月明かりで薄明るい。
「あ、私、窓際の席に座りたい。撮って撮って」
「あんまり騒ぐなよ……えっと、撮るよ?」
校舎一階から二階、通常教室から科学室や家庭科室まで余すことなく、さながら、ホラーゲームのように警備アンドロイドの目を盗んで僕とアオは、写真を撮り続け、今は三階の教室、最高学年のクラスにいた。「いいよ、撮って」
カメラのレンズを覗き込み、焦点を窓際の席に座ったアオに合わせる。初めはぼやけていたピントも徐々に合っていき、視界の中心に頬杖をついた彼女が映った。
綺麗だ、月明かりに照らされたアオの横顔を見て、ふと思う。「どしたの?」
「いや、何でもないよ。撮るね」
カシャ、僕はシャッターを切った。それから、何か特別な理由があったわけではないが、自然と彼女の前の席に腰を下ろし、黒板を眺めた。同じ世界に入りたかったのかもしれない、すると後ろの席にいたアオが突然小さく笑った。「何か、おっかしいね」
「啓一くんとはさ、凄く仲が良かったのに、こうして学校で話すのが初めてだなんて」
「そりゃあまあ、学校では会わなかったから……」
会おうとしなかったから。
「……うん。でもさ、もし会って話していたとして、私たちはどんな感じだったんだろうね」
「そりゃ、今こうして話しているみたいになったんじゃないのか?」
「いやいや、こうはならないって。だから、そうだねえ」
ここから先は想像の話、彼女はそう言って続ける。
「私の前の席はさ、何か謎の力が働いて必ず啓一くんでさ、だからまあ基本的に授業中は、後姿ばっかり見てるの。今日も猫背で弱そうだなあこいつって、心の中で思ったり」
「おい、酷いな……それで?」
「うん、でも話し掛けたくてずっと見ちゃうんだ。こう見えて私ってさ、知らない人の前だとはっちゃけられないから。だから話しかけたいときは、名前を呼ぶんじゃなくて、とんとんって肩を叩くのね。こんな感じで」
言って叩かれた肩は、ほんの少しだけ痛かったけれど、何も言うまい。
「それで小さな声でこう言うの……放課後、ゲームセンターに行こうよって」
「うん、行くよ」
「えっと、想像の話だからさ」
「それでも、行くよ」
誘ってくれれば、たとえそこがゲームセンターではなかったとしても、僕は付いて行く。
あの頃の僕には、それができなかったかもしれないけれど、今の僕ならきっとそうする。
そんな確信を自らの眼差しに込めてアオに向けると、彼女はゆっくりと微笑んだ。
「ありがと、嬉しいよ。あのね、啓一くん」
「うん」
「本当は、お母さんへのプレゼントなんて口実で、今日訪れた場所は、全部自分が行きたかった場所なの」
「そうなんだ」
「うん。ケーキ屋さんもお家も公園も小学校も、中学校も、私の思い出と未来、その全部を、誰かに見てもらいたかった。みんなに……」
お母さんに、呟いて彼女は僕を見る。
「だから今日のこと、啓一くんは、憶えておいてね」
それから彼女がおもむろに右腕を僕の頭上へと伸ばしてきた。
瞬間、何かが砕け散るような音がして目の前を黒い物体が横切る。僕が状況を理解するよりも先にアオが立ち上がり、目にも止まらぬ速さで蹴りを放つと、ガタンっと黒板の方で衝撃音が響いた。「警備アンドロイド……?」
「見つかっちゃったみたいだね、逃げよっか」
アオが僕の手を掴み走り出すと、換気扇の音なんかよりもずっと大きい非常ベルが校舎内で鳴り始めた。僕らは、迷路みたいな道を走って、走って、走りながら、
「あのさ、啓一くん、私さ、少しだけ後悔したかも」
アオが振り返らずに言う。
「こんな未来があったんなら、どうしてあのとき信じられなかったんだろうって」
「アオ……あのときは、僕が……」
「ううん、啓一くんは悪くない。私が君でも何も出来なかっただろうしさ。でもさ、私思ったんだ。今はさ、このあったかもしれない未来はさ、全部ミオちゃんが啓一くんと出会ったからなんだって。ミオちゃんが君を変えてくれた、私を変えてくれたからなんだって」
そこでアオは、一度言葉を切って、それから力強く言った。
「私、やっぱりミオちゃんのこと大好き。絶対消えて欲しくない」
彼女の言葉は、それ以上続かなかった。きっと僕の返事を待っていたのだろう、だから僕は、その手を強く握り返して答える。「助けよう、僕らで……!」
けれど、走り抜けた先は、出口ではなくシャッターで塞がれた壁だった。ざっと見るだけで目前の警備アンドロイドの数は七体、アオの表情が苦渋に歪む、絶体絶命だ。
そんな僕たちの心境を計ることなどできない警備アンドロイドは、僕を守るようにして立っていたアオ目掛けて、先程よりも頑丈そうな金属の警棒を振り下ろしてきた。
「啓一っ!」
さすがにこれは、アオでもまずいんじゃないか。そう思うよりも先に僕の身体は、動き出して、彼女の壁になろうと身構えていた。
多分、死んだ。そう思って、そう覚悟して、衝撃に備えて目を閉じた僕だったけれど。
「あれ……?」
いつまで経ってもその衝撃が僕を襲うことはなく、恐る恐る瞼を開けると機能を停止した警備アンドロイドの顔が目と鼻の先で固まっていた。おっと、これはこれで中々にショッキングな光景だったけれど、そんなことに驚く間もなく通路を塞いでいたシャッターが平常時のように天井へ格納されていく。何が起きたのだろうか、アオがやったのかと思って彼女を見るも、首を横に振られてしまった。
そのとき、僕のポケットの中で携帯電話が震え出した。一体こんな時に誰だろうと借りパクした、いや、預かっている電話を手に取ると、それはビデオ通話で、画面の向こうに映っていたのは、栗色のセミロングで巨乳な女の子だった。
「か、管理室からセキュリティを止めた、の。だから、今のうちに、出よう」
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