第七章 その一
僕の知らないところでも世界は、ちゃんと前に進み続けているのだなあと、静寂そのものと言って差し支えないリニアモーターカーの車内で一人、感心していた。
一昔前までは、時速五百キロで走っていたリニアモーターカーが、知らぬ間に六百キロで走行するようになっていたらしいけれど、百キロもの上昇は乗客である僕にどれほどのスリルを与えてくれるのだろうか。そんな風に乗客である僕は、ジェットコースターを超える超速体験へ期待に胸を膨らましていたが、それを隣の席に座っている奈々子が打ち砕いた。
「私たちも、慣性の法則に従って、リニアと、同じ速さで動いてる、から、す、少なくとも車内では、スピードを体感するのは、無理、だよ」
「そんなことも知らないんだあ、馬鹿だねえ啓一くん」
「奈々子先輩、アンドロイドってどれくらいなら殴っても壊れない?」
「だ、だめ、だよ……そんなことしたら、加藤君の腕が折れちゃう」
壊れるのは、僕の方だった。
ふうむ、これから僕らの旅行が始まろうというのにそれは、まずいな。そう思って、温めていた拳をポケットの中にしまった。この日のために二週間もの間、日雇いバイトで汗水を流し、費用を稼いだことも何もかもが無駄になってしまう。
「汗水は、流してないじゃん。ホームページ作るバイトだったじゃん。しかも、プログラミング言語打ち込んだのって全部、奈々子ちゃんと私がやったじゃん」
「……すみません」
そんなこんなで僕らは、武村博士への五つのプレゼント、昨日アオが徹夜で考えた「失われた五年を現実にする写真大作戦」を決行すべく、地元を目指していた。
※
この街を離れたのが五年前、僕が想像していたよりも大きな変化はなくて、けれど、僕が想像していたよりも小さな変化に、胸がきゅっと締め付けられるような感覚があった。東京とは違って、空を見上げるとちゃんと青く澄んだ景色が広がっている駅前、バスの台数に見合わない広いバスターミナルに、都会の方じゃ見かけない大型駐車場を備えたショッピングモール、土日の昼間というだけあって人の姿は認められるが多いとは言い難い、少子化が進んでいる影響もあってか建物を取り壊した後の土地は、何も建てられていないさら地のままだ。十月中旬、相も変わらず寂しい街に冷えた風が吹く。
けれどまあ、良くも悪くも変わりきっていないものがあって、僕は安心した。
やらなければならないことが五つもあるのだから、この方が都合が良い。
「とりあえずさ、一つ目、行こうか」とアオが空を見て言った。
一つ、武村博士がお祝い事の度に利用していたというケーキ屋さんでケーキを買うこと。
二つ、昔三人で暮らしていた家で写真を撮る。
三つ、近所の公園のベンチで写真を撮る。
四つ、小学校の教室で写真を撮る。
五つ、通うはずだった中学校の教室で写真を撮る。
これらは全て、武村博士とアオが過ごした、あるいは過ごすはずだった思い出の場所だ。
「おー何気に初めて来たかも。啓一くんは、ティンカベール来たことある?」
無人タクシーに乗って十数分、僕らは一つ目の目的地であるケーキ屋「ティンカベール」に到着。その名前の通りティンカーベルを意識した店であり、外観から内装までおとぎの国を連想させる装飾がいっぱいだった。店内の雰囲気に感動するのもほどほどにして、僕らは早速一つ目の目的であるケーキを買うことに。とりあえず僕と奈々子が購入したものは、赤く大きなイチゴが一つだけ乗ったショートケーキだ。店を出てすぐ、僕がケーキを食べようとして箱から取り出すと、
「ち、近いよ、アオ」
「気にしない気にしない。私たちは、東京でこのケーキを再現しなくちゃいけないんだから、私は目に焼き付けないと、啓一くんと奈々子ちゃんは、味を舌に焼き付けてね」
そう、僕らはただ食べるだけではないのだ。当初は、ティンカベールからそのままケーキを持ち帰るつもりだったが、リニアの中でナマモノには消費期限というものが存在していることに気付いてしまったから。「んじゃ、頼んだよ……って奈々子ちゃん、何してんの!?」
「え、えっとー、糖度計で糖度を計ろうと思って」
「生クリームを測定するなんて奈々子先輩……す、凄い(小並感)」
思えば奈々子のラボに行くと決まってショートケーキが出てきたような、もしかして。
「て、手作り、だよ」
「良かったな、アオ。これで一つ目の目的はクリアしたのも同然だ」
言って、僕は奈々子とガッツポーズを交わし、次の目的地、かつて武村家族が暮らしていたという借家を目指す。長期休暇ではなくただの土日であるため時間が限られているのだ、てきぱきとね。
※
「アオ、どこに行ってたんだよ? 今から電話するところなのに」
「ちょ、ちょっと、トイレ……? まあ、気にしないで」
小学校の玄関前、いなくなったと思っていたら、どういうわけか小学校の職員室から出てきたアオに僕は首を傾げたが、そんなわけの分からない返事をされてしまった。アンドロイドは、トイレをしないだろうと彼女を凝視していると、観念したようにアオは話し出す。
「いやね、私さ、お父さんの電話番号知らないから、まだ卒業して五年だし、個人情報残ってるかなーと思って職員室のパソコンをこっそり、こっそりね、ハッキングしたらなんと番号ゲット。それで、何か懐かしくなって、先生を装って電話してました」
「……奈々子先輩、アンドロイドに法律は適用されますか? 警察を呼ぼうと思って」
「えっと、どうなん、だろう……調べてみる、ね」
「ちょ、ちょっと啓一くんっ!? な、奈々子ちゃんは本当に調べなくていいからっ!」
アオの父親、武村博士の元夫、彼がどんな人物なのか気にならなくもないけれど、僕が踏み込むべき内容ではないだろうな。
だからまあ、話を本題に移して。
「じゃあ、五つ目の目的地……中学校に電話するからな?」
二つ目の借家、三つ目の公園と四つ目の小学校に関して言えば、それは言葉通り順調に進み、二つ目同様に僕は、武村博士のコスプレをした奈々子と女子高生となったアオを写真に収めた。公園にはあまり人がいなかったし、小学校も元在校生である僕が連絡すると何とか建物の中を見学させてくれたのだ。失われた五年間を埋める、あったかもしれない未来を現実にする僕たちの写真プレゼント作戦は、ここまでは思っていたよりも順調、けれど、ここから先は思っていた以上に高い壁が僕たちの前に立ちはだかった。
「僕ですか? 卒業生ではないですけれど、はい、最近不審者が入ったから一般開放していない……そうですか」
結論から言おう、僕たちは正規の方法で中学校に入ることができなくなってしまった。けれどまあ、それはある程度覚悟していたことだったし、僕が教員という立場だったとしても同じ判断をしていただろう。卒業生でも何でもない一般人を、ましてや色々なアクシデントがあったばかりの現状で受け入れるのは、難しいことだ。
けれど、だからといって僕たちもここで簡単に諦めるわけにはいかない。今日を逃せば、一番には金銭的に、二番には時間的に、この土地を三人で訪れて再挑戦ということは不可能だったから。
午後十九時、街に夜の帳が降りてきた頃、僕らは予約していたホテルで臨時会議と洒落込むことになった。
どうすべきか一時間ほど話し合って、最終的にはアオの提案である夜間に忍び込むという案に僕と奈々子は乗ることにしたのだけれど、提案者の彼女がこちらの協力を拒んだ。
「今からやろうとしていることは、犯罪だよ。だから啓一くんと奈々子ちゃんは、ホテルで待ってていい。写真は私一人で撮ってくるからさ」
もちろん僕は付いて行くと言ったが、その言葉を受けて迷っていたのだろう、奈々子が僅かにこちらの服の袖を掴んで呟いた。「あ、危ないよ。さ、最悪退学なんてことにも」
それはそうだ、これからやろうとしていることは、それだけのこと。それでも僕は。
「構わないよ、僕はアオの力になりたい」
ミオを助けるためだったとしても、僕は彼女のことも助けたい。そこにきっと、深い理由なんてないのだろうけれど、そうしたいと思った。
「それにさ、一回だけやってみたかったんだよね。人に言えないような悪いことをさ」
言って僕は、驚いたようにこちらを見ていたアオに手を差し伸べる。
「行こうか、僕らで」
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