第六章 その一
アオ。
彼女との最初の出会いは、小学時代、地元にあるゲームセンターのビデオゲームエリアだ。そんな彼女との思い出を語る上で避けられない記憶があるのだとしたら、それは、僕らが愛してやまない落ちパズルゲーム、ぶよぶよだ。彼女と交えた戦いの日々は、たとえ僕が高校生になったとしても忘れることはないだろう。というか、現に忘れたことはない。
言ってしまえば僕らにとってぶよぶよは、姿形が変わろうとも、声が変わろうとも、たとえ人間でなくなっていたとしても、互いの身分を証明する手段になり得るのだった。
だからまあ、あれから文化祭を抜け出して僕らはゲームセンターに向かい、
「いや~相変わらず中盤戦弱いね~、五月に戦ったときから何も変わってないね~」
結論から言うと彼女は、まごうことなくアオだった。
それにしても強い、強すぎる。
アーケードズの三階、ビデオゲームエリアの休憩用ベンチに腰掛けた彼女は、伸びをしながら僕にそう言った。というか、
「五月って……?」
「え? ああ、さすがに分かんなかったかー。五月にさ、ミオちゃんとゲームセンターに来たでしょう? あの時は、まだ人格そのものが完全に形成されていたわけじゃなかったんだけど、意識はあったからミオちゃんに頼んで、ちょっと、ほんのちょっぴり、啓一君とぶよ勝負させてもらったんだよねー」
「……あ」
言われて僕は、その言葉と記憶を繋ぎ合わせ、そして気が付いた。
あの日、ミオが突然強くなったことや、思い返してみればぶよぶよの機体を初めて見たはずの彼女が飛び跳ねて喜んでいたことを。
いや、待て、もしあれがアオのせいなのだとしたら。
「なあアオ。お前、ショートケーキ好きだったりする?」
「めっちゃ好きだよー! え、今から買いに行くー? 買いに行こうよ、買うしかないっ!」
「……マジかよ」
この反応は間違いなさそうだ、奈々子がラボでショートケーキを出してくれたときにミオがおかしくなったのは、アオのせいだったのか。
「アオが本物なのは、分かったんだけど……その、色々聞きたいことがあるというか何というか……」
まず始めにぶよぶよをしようという話になったのは、まあ、僕らだから仕方がないとして、本来問いただすべき順序は、その「色々」が先のはずだった。一体全体、あの瞬間ミオの身体に何が起きたのだろう、彼女は無事なのか。
「ミオちゃんは、今はまだ大丈夫だよ。まだ、私の人格プログラム、そのOSとして機能してる。でもちょっと危ないかな、三日後には完全に消えてしまうよ」
「消える……? 消えるって、どうしたらいいんだよ?」
発した僕の声は、変に上ずって動揺の色を露わにしてしまった。自分の悪い部分だ、何かある度に冷静さを欠いてしまっていては、話す側にも気を遣わせてしまう。
気持ちを切り替えようとして僕が膝の上に置いていた拳を握り締めると、しかしアオは、包み込むように手を重ねて、宥めるように穏やかな笑みをこちらに見せた。
「大丈夫、ミオちゃんは、私が必ず守るから。私も彼女を助けたい気持ちは一緒だから、ね? 他にも、聞きたいことあるんだよね?」
大きく息を吐いて、自分を落ち着かせる。それから。
「……アオは、どうしてミオの中に……?」
アオは、人間だったはずだろう。その言葉を呑んで、しかし、その意味を込めて言った。
「んーとね、結論から言うと、私は本物のアオじゃないんだ」
「本物じゃない? え?」
「うん、私は武村博士が開発した人工知能、自動人格生成プログラム『アオイブック』により復元されたアオ。簡単に説明すると、以前ミオちゃんとさ、コードブック、携帯電話の合成音について話してたことあるよね? あの原理と一緒なんだけど、ええっと」
コードブック、ああ、拾った人間の声を自動的に合成音として再現してくれるってやつか。思い出して僕は、視線で彼女に続きを促した。
「与えられた記憶データや生活環境データをベースにして、数百億通りの人格パターンの中から最も適した人格を作成し、呼び方はいくつもあるけど心として機械の身体に反映させる。まあ、心と言っても、これもプログラムなんだけどね……ねえ、こっち見て」
そう言われて彼女を見ると、にこっと笑ったアオ、どういう意図があったのだろうと僕は首を傾げた。「私がこうやって笑えるのも」
「武村博士が世界中の被験者、いやまあ、殆ど犯罪というか犯罪なんだけど、世界中のカメラや収音マイク機能を持った通信媒体を通信会社経由でハッキングさせてもらって、通話機能を使用している人々のやり取りを盗み、そこから人間の思考や表情をパターン化し、それを人工知能に学習させたお陰なの。だから、相手の表情や感情を受け取ると、私のフィルター、言い換えると人格に基づいた表情や感情、言葉をパターンの中から検索して返すことができる」
それから彼女は、きめ顔で、僕を見て言った。
「これが『アオイブック』……どうかな、理解できた?」
「……まあ、うん。大体理解できたけれど、それはミオの中にアオがいた理由になってないし、その、さっきの質問からは逸れるけど、一つだけいい……?」
アオが僕の前に現れてからずっと気になっていたことを僕は、言葉にする。
「本物のアオは?」
「死んだ、自殺」
どうするのが正解だったのだろう、言葉を返せなかった、瞬間的には出てこなくて。
「色々あってさ、言わなくても分かる、よね……」
きっとそれは、僕のせいだ。僕が見捨てたから。助けなかったから。
「だけど啓一くんのせいじゃないよ、私が言うんだから間違いない。だから」
元の話に戻ろうよ、と彼女は言った。「うん」
「ていうか、『アオイブック』の説明をしただけで、どうしてミオちゃんの中に私がいたのか説明になってないじゃんっ! それに気が付く啓一くん、やっぱ天才過ぎない!?」
「て、天才じゃないと思うけど……ええっと?」
おいおい、おいおいおい、大丈夫なのかこのAI。
ぶよぶよ偏差値だけやたらと高い彼女、そのアオらしさに僕は苦笑する。
「それで、どうして?」
「端的に言うと、ミオちゃんが表に出ていた頃は、私の人格が完全じゃなかったからだよ。逆に言ってしまえば、私の人格が完全になったから入れ替わったの。カチューシャの色が変わったでしょ? 赤が更新停止状態で、今の橙色が更新中、完了したら青色になるのかな。一世代前のパソコンみたいだね、我ながらすごく分かり易い説明だなあ……えっへん」
カチューシャの色か、アオのきめ顔は、中々うざかったが、悔しいことに分かり易い説明なのも事実だった。けれど、それだけじゃまだ僕の知りたいことには、答えられていない。
「完全になったってそれは、その時間的なことじゃないんだろ? だって更新は停止されていたみたいだし、何がきっかけで」
「計画が完遂されたから」
ミオちゃんは、とアオは続ける。
「コンピュータで言うところのOS。武村アオイの旧バージョン」
「武村アオイ……?」
「ん? 私の本名だよ、私は武村博士の実の娘。あれ、言ってなかったっけ?」
「は?」思わず間の抜けた声を漏らしてしまった僕だけれど、きっと僕が悪い訳でも言葉通りの間抜けという訳でもない。それくらいの驚きがあって当然の情報だった。
「え、そんなに驚くことかな? まあいいや、話し続けていい?」
いいの? 本当にいいの? そんな僕の訴えにアオは、謎の快活な笑みで返し、続ける。
「ミオちゃんにはね、啓一くんから武村アオイに関する情報、君が忘却しつつあった私との記憶を思い出させ、それを電子データ化して収集する役割があったの。だからそのためにね」
だからそのために、そこから続いた言葉は、僕が言葉を失うような内容だった。
「――君との信頼関係を築く必要があった。君がかつて私に抱いていた想いをもう一度蘇らせるために、人間の女の子らしい振る舞いをしてみたり――」
「――君と友達になってみたり、恋愛感情をちらつかせてみたり、ね」
「――アオイにとって啓一くんとの記憶が大きく人格に影響を及ぼしていると、武村博士は、考えていたみたい。だから計画の成功を私の起動条件としていたの」
「あ、あのさ……それって」
自分の声が震えていた、ミオの役目を聞いてしまったからだ。そこから後のことは、頭に入ってこないくらい、考えて怖くなった。けれど、怖いもの見たさだろうか、僕は自分の心を止められず、尋ねてしまう。
「今までのこと全部、演技だったの……?」
言って、自分で言葉を発して、ぞっとした。
「全部が全部、演技だったとは言わないけど、殆ど演技だったかな……でもね」
「……」
「ミオちゃんは、迷ってたよ。もしも、本当に自分のことを異性として意識させてしまったら、啓一くんを傷つけてしまうんじゃないかって。だから奈々子ちゃんと二人をくっつけようとしたりしてさ……ほんと、お人好しなんだからあの子」
アオの飴色の瞳が貫くように僕だけを真っすぐに映す、思えばこの真っすぐさは、ミオのものではなく彼女のものだったのかもしれない。そう思ってしまうほどに、周囲の景色を置き去りにしてしまうほどに、吸い込まれそうな目だった。
「だから保証するよ。ミオちゃんは、本当の部分で君に惹かれていた」
アオがそう言ってくれても、僕の胸の空白は、その弱さは、変わらない。
「……証拠は?」
「私は、ミオちゃんと意識を共有しているから……と言っても信用ならないよね。だから、私の本意ではないけどもう一つの事実を、啓一くんに伝えようと思う」
「……何?」
「奈々子ちゃんのこと。武村博士は、ミオちゃんが倒れたときに彼女を呼び出したの。どうしてだか分かる?」
僕が黙り込んでいるとそれを返事と受け取った彼女が続けた。
「博士はさ、ミオちゃんが倒れたときにその原因を調べて、啓一君に本当の想いを寄せていることに気付いた。そこに計画が失敗に終わる可能性を予見した博士は、啓一君から私に関する記憶を思い出させ、それを電子データ化し収集するという役割を別の人に任せようとしたの――」
「――それが奈々子ちゃん。傷つかないで……って言っても無理だよね」
そう言って、アオが僕の身体を抱き寄せる。
「でもこれでミオちゃんを助ける理由、出来たよね。あの子の気持ち信じられるよね」
冷たい肌の感触の中で僕は、ついに言葉が出てこなかった。
「三日後のアップデートを一時的にだけど止める方法が一つだけあるの。知りたい?」
その言葉に、僕は静かに、頷いた。
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