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第五章 その五

「おい、啓一! 大変だ!」

 文化祭当日、クラス一丸となって完成させた3Dアートを体育館に投影させようとミオと僕がPCなどの機材をセッティングしていると、慌てた様子で渉が駆け込んできた。

「え? マジで、ホログラム映写機が全部なくなってる?」

「上級生の仕業だと思うの、きっと私の邪魔をするために……ごめんなさい」

 ミオの誤解が解けたのは、あくまでこのクラス内でのことだ。その可能性は、充分ありえるが、そうなってくるとどうしたものか。考えて、考えて僕は、あることを思い出して携帯電話のアドレス帳を開き、ある人の名前を探す。いやまあ、借り物の携帯には三人程度の電話番号しか東麓されていなかったのだからすぐに見つかった。

「あ、もしもし、奈々子先輩。少し、お借りしたい物がありまして。あ、でも、運搬はどうしましょうか……ええ、あ、分かりました」


        ※


 後日談、というほど時間が経っているわけでもないので事後の話になるのだけれど、何度か奈々子のラボを訪れたことがある僕は、偶然たまたま、何というご都合主義か、彼女のラボには設計図を投影するためのホログラム映写機がいくつも設置されていたことを思い出したのだ。床への設置型から壁に掛け型までその種類は様々で、それを借して欲しいとお願いしたところ、彼女は快諾してくれた上に、それだけの機材を旧校舎から体育館まで移動させるのに運搬用ロボットのロボタンを寄越してくれた。

 ここだけの話、紅茶しか運べないポンコツロボットだと思っていた僕だけれど、指示通りに体育館内に機材を設置までしてくれて、これからはロボタン様と崇めることにしよう。

 そうして事は順調に運び、体育館の天井一面に広がった夜空、入り口から一面に広がる浜辺と暗く静かに揺れる海、向こう岸に見える飴細工のような東京の夜景、息を呑むほどに美しい、ようやく僕らは、この街の海辺を体育館全体に巨大な3Dアートとして描ききった。

 一息つけるかな、来賓の方々やクラスメイト、上級生たちが口々に3Dアートへの感想を漏らす様子を見ながら思っていると、誰かが後ろから僕の肩を叩いた。

「か、加藤君……おめでとう……えっと、その」

「奈々子先輩……一度、体育館を出ましょうか」

 告白の返事をしなければならなかった、体育館を出る前に意味はないはずなのにミオの姿を探して、結局見つけられないままに体育館の裏へ出る。

 九月下旬、秋めいてきた空が暗くなってもまだ、もう少しだけ文化祭は続くのだろう、校舎の方ではちらほらと明かりが見える。とは言え、今から文化祭を訪れる人の姿は見えず、体育館を出て行く人の方が多い上に、きっと人は来ないだろう場所、体育館の影が伸びる入り口とは正反対の位置まで彼女を連れて歩いた。

「告白のこと……ですよね」

「う、うん……」

 緊張した面持ちで奈々子は、静かに頷いた。

「……先輩の気持ちは、凄く嬉しいです」

 だけれど、正直に言わなければならない。

「でも僕は、先輩が思っているような人間じゃない。ネガティブだし、卑屈だし、それに友達だっていないようなやつです」

「それでも、加藤君が、いい、の」

 だって、と彼女は表情をより一層強張らせて僕に言う。

「私を助けてくれた、から……しょ、正直、自分でもた、単純だなって、思う、けど、けど、それでもいい、の……あなたが好き」

「先輩……」

 僕は、口ごもった。彼女のことは嫌いじゃなかったし、寧ろ好きな方だ。振る理由なんてどこにもないけれど、それでも僕は、思われているほどかっこいいやつじゃない。

 奈々子を助けたのだって、自分が苦しむ誰かを放っておけない要領の悪い奴だからだ。

 いや、本当はそんな部分で迷っているんじゃない。

 きっと、僕はまだ。

「嫌よ、そんなの自分でも分かってる!」

「……誰だ?」

 それは突然のことだった、体育館の裏の物陰から叫ぶような声がしてそちらへ向かうと、曲がってすぐのところで僕は、

「ミオ……? どうしてここに?」

 目が合うと彼女は、自分の口を塞ぎ、こちらに背を向けて走り出した。どうして、理解が追い付かず、しかし彼女を追いかけなければならない、そんな気がして走り出そうとした僕を「待って!」小さく震えた声が呼び止める。奈々子だった。

 振り返るべきか迷って、しかし手の平で空を握りつぶした僕は、そのままに答える。

「ごめんなさい。僕は――」

「――あいつのところに行かないと」

 それだけ言って、彼女を見る勇気が沸かなかった僕はミオの後を追った。


        ※


 何度かミオを見失ってしまったが最終的に僕は、こんなところにいたのか、薄っすらと月明かりが差し込み始めた教室、自らの席で顔をうずくめる彼女を見つけた。扉を開けて、僕はそのまま静かに隣の席、僕自身の席に腰を下ろす。

「……もしかしてさ、奈々子先輩との話、聞いてたの……?」

「見てない……何も」

「そっか、じゃあ話すよ。僕、奈々子先輩に告白されたんだ。嬉しかったけれど、断った」

「答えなんて、聞いてない……」

「……ミオのことが好きだったから」

 もっと、聞かれていないことを、求められていないことを、銀色に光って見える彼女の黒髪に向けて僕は言った。

そうしてゆっくりと顔を上げた彼女は、予想していなかったのだろうか、僕と視線が重なって驚いたように目を見開く。その一瞬の間を縫うように僕は言葉を紡いだ。

「だから、僕と恋人になってほしい。アンドロイドとか人間とか関係なく」

「加藤君……私も、本当は、あなたのことが好き……」

 だけど、と彼女は続ける。

「ごめんなさい、あなたとは付き合えない……」

「どうして?」

「理由を話すことはできないわ……だけど、これ以上関係を深めればきっとあなたを傷つけてしまう」

 彼女の想いを知りながらにして、その言葉を受け止めるなんて納得がいかず、その理由を探ろうと口を開いたそのとき、ひんやりとした彼女の肌の感触が僕の頬に触れた。

 抱きしめられて、耳元で彼女の弱々しい声が囁く。

「お願いが二つあるの。一つは、奈々子さんのことを、ううん、人間の女の子をちゃんと好きになって……それから」

「何で……?」

「それから、あなたはきっと憶えてる……思い出して、武村アオイさんのこと」

 武村アオイ、それが誰のことを指しているのか僕には見当もつかないでいると、そっと彼女が身体を離し、自らの髪を後ろで一つに束ねてみせた。

 艶やかな黒髪ポニーテール。

 僕は、その姿を鮮明に憶えていた。頭の中の、引き出しの最奥で眠っていながらも、決して消えてはくれない過去の人、僕が見捨てた親友のことを。

 しかし、そんなはずはない。

 彼女は、人間でアンドロイドじゃない。

 それなのに、どうしてか、彼女の姿とミオの姿が重なって見えてしまう。

「え……」

 動揺して漏れた声、それを聞くと彼女は一瞬、優しく微笑んで、

「私のことは、どうか忘れて」

 そう言って、自らの額を僕の額と合わせる。

 その一瞬、親友との記憶が、アオとの記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、そのことに呆気に取られていると、ばたり、そんな軽い音が教室に響いた。

「ミオ……? なあ、ミオ……ミオ!」

 倒れた彼女の身体を抱き起し、訳も分からないままに僕は叫ぶ。閉じられたその瞼に、そのまま彼女が消えて行ってしまうのではないかという不安を覚え、ふと、涙が零れ落ちる。

 彼女の白い頬に涙が一つ流れて、どうすればいいんだ、僕はその頬に手を滑らせた。

 そのとき、彼女の額を飾っていた赤いカチューシャがゆっくりと、やがて橙色に変わっていき、そして、

「やっと会えたね、啓一君」

 突然に目を覚ました。けれど、声の調子も、浮かべられた笑顔の色も、何もかもがミオとは違う。何が起きているんだ、置かれた状況を理解するよりも先に僕の頭は、耳は、目は、彼女のことを理解していた。だから僕は言う。

「アオ……?」



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