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第四章 その三

 彼女は、黒い髪をいつもポニーテールにしていた。まるでそれが自分のアイデンティティであるかのように譲ろうとしない。

 小学生の頃の話、僕は周囲の人間がどんな髪型をしていようと一向に気にしないタイプだったが、ゲームセンターで会う彼女に関してだけ言えば、他の髪型も見てみたいと、そう思っていた。理由はよく分からないけれど、多分好きだったんだ、彼女のこと。だから一度、そんな僕の要望を彼女に伝えたことがあるのだけれど、

「いーの、これが一番、可愛いから」

 却下されてしまった。

 そうして、期待していた返事がもらえなくて僕が俯いていると、彼女が言った。

「んー、どんなのが好きな髪型?」

 言われて僕は、降ろしたのも見てみたいって答えた記憶がある。

「じゃあ、次会うときまでに啓一君は、髪切っといてねー」

「え? なんで?」

「短いほーが好きだからっ」

「う、うん。分かった」

 確か、こんな会話だった。

 僕らが交わした最後の会話。

 その後、彼女が髪を降ろしてゲームセンターに来てくれたのかどうかは分からない。

 両親の離婚が決まったのが直後のことで、色々な手続きとか祖父母の家へ顔を出しに行ったりしているうちに時間が過ぎて、そのまま、彼女と会うことのないまま、僕は東京へ引っ越したから。

 この頃、あの日の彼女を、頻繁に夢で思い出すようになった。

 思い出して目が覚めると、決まってお腹が痛くなる。

 僕がいなくなった程度のことを彼女がどう思っていたのかなんて分からないけれど、無意識のうちに自分だったらと、心境を当てはめて考えてしまう。

 ごめんなさい、酷いことをしてしまった罪の意識がまず初めに僕を苛んで、体の中で黒い何かが蠢きだす。一分、十分、十五分、それ以上の長い時間、それは僕の中で蠢いて最後には別の感情へと姿を変える。そうして心に残る感情は虚しさだ。

 他人の心を想像して、はっきりとしたことは分からずに疲れ果てた僕は、いつも天井の暗闇に虚無を見る。こんな風に。

 意味なんてあるのだろうか、こんな風に誰かのことを考えるなんて。

 時間が流れてしまえば、どうせまた思い出さなくなるだろうに。

「ミオ」

 僕にとって特別な意味をもつその名前を呟いて、しかしそれは暗闇の中に虚しく溶ける。

 いつかきっと、この特別も溶けてなくなる。

 けれど今は、そうなってしまうことが怖くて、逃げるように僕は。

 視界を閉ざした。


        ※


「か、加藤君。え、ミュージカル終わったよ……」

 真っ暗闇に照明が灯り、その眩しさに目を覚ますと僕の隣には、制服に身を包んだ美少女の姿があった。僕としては私服姿を期待していたが訪れた遊園地の制服割引を適用させるために仕方なく、ということらしい。

「ふぁあ、眠い……あ、寝ちゃってましたね」

 遊園地内にあるミュージカル劇場、他の観客が感想を口にしながら出口に続く細い通路へ流れていく様子をぼんやりと眺めていると、悲しいことでもあったのだろうか、奈々子が大きな溜息を隣で漏らした。「どうかしました?」

「そう、よね。私と観る映画なんて、面白くない、よね。加藤君も、この女優さんみたいな、妖艶で、か、髪の綺麗な人の方がいい、よね。私みたいな、くせ毛をパーマで誤魔化してる、に、偽ストレートより、本物が好き、だもん、ね……」

 言って、偽ストレートセミロングの栗色髪をいじる奈々子だったが、相変わらず被害妄想の方向が意味不明だった。

「安心してください、僕は偽ストレート派ですから。ミュージカルは、面白かったんですけれど先輩が隣にいると思うと気が休まり過ぎて眠ってしまいました」

「ほ、本当……? え、ミュージカルはどこが良かった?」

「そうですね、特にタイトル『いつになったら彼女を作るの?』は、かなり挑戦的なワードでした。先輩の選定センスには、驚かされるばかりです」

本当に。チケット見たときは、先輩が僕のこといじってんのかと思ったくらいだ。そんな僕の気持ちなど露知らぬ奈々子は、心なしか頬を染めて笑った。

「え、えへへ。優しいんだ、ね」

 不意打ち、予想外の可愛らしい表情としぐさにたじろいでしまう。いかん、いかん、気持ちを切り替えて僕は言う。

「あの、僕たちは先輩の苦手意識を克服するためにここへ来たわけですけれど、何か指標というか具体的な目標みたいなのは、あるんですか?」

「目標……そうだ、ね。て、手を繋ぐとか、どう、かな?」

 手を繋ぐ……か。

「加藤君……?」

 夏だから、次第に二人の手が汗ばんできて、それでも手を離すタイミングが分からなくて、気付けば三十分、いや一時間くらい繋いじゃったりして。

 想像していたら、何か緊張してきたな。

「だ、大丈夫……?」

「え、ああ……いや僕は大丈夫ですよ。そんなことよりも先輩」

 なにはともあれ、ここは遊園地。

「僕に惚れないでくださいね」

きっと、うまくいくだろう。

 僕は軽口を叩いて誤魔化した。


        ※


 沈みゆく陽と園内アナウンス、観覧車から見える閉園三十分前の遊園地は、帰りを惜しむ恋人たちや疲れて眠る子供を連れて帰る親の姿で溢れている、けれど、少しずつ、少しずつ、確かにその姿は――今日が終っていくのだと、ふとそんなことを思った。

「ご、ごめん、ね。手、繋げなくて……」

 物憂げな表情をしている。窓の外を眺めながら、奈々子が言った。

景色が孕んでいる寂寥感、それは一日が過ぎて行くことを止められないのと同じくらい、僕にはどうしようもできない感情だ。自分がもっと上手くやれていれば、きっとここから見える景色にも、違った感情を抱くことができたのだろう。

 要するに、僕らは失敗した。

 遊園地のアトラクションをきっかけに、気が付いたら手を繋いでしまう作戦は、僕の誤算によって失敗したのだ。

「で、でもさ」

最初に入ったお化け屋敷では、そのホラーな雰囲気を利用して、自然とスキンシップが発生することを期待していたが、そもそも奈々子は怖がる素振りさえ見せなかった。どころか演出装置の仕組みに興味津々で、結局怖い思いをしたのは僕だけだ。

「わ、私は、す、すごく」

 その後の、ジェットコースターも空中ブランコも、切り札だったホログラムとプロジェクションマッピングを組み合わせた異世界の冒険も、色っぽい展開が起こることは一切なく、普通に純粋に無邪気に遊び回ってしまった。

「楽しかった、よ。加藤君は……?」

「もちろん、僕だって楽しかったです」

 だけれど、それは。

「よ、良かった……何だか、ね、あっという間に感じた、よ」

「僕も、同じです」

 奈々子と過ごした時間は、想像していたよりも、ずっと楽しいものだった。

 それこそ、時が経つのを忘れてしまうくらいに。

「そ、それに、ね。手は繋げなかった、けど……その、私、ど、どき、どきも、ちゃんとしたんだ」

 ほど良い緊張に包まれた時間と、無意識に口元が綻んでしまう穏やかな空間。

 奈々子と話していると、こんな時間がずっと続けばいいと、そう思ってしまう瞬間が何度もあった。

 彼女も、同じことを感じてくれているのだろうか、窓に映る横顔を見てふと不安になる。

 けれど、その不安さえもが心地良くて、胸の奥がじんわりと温かくなる。

「だ、だから、つ、次は、ちゃんと――」

 こんな気持ちになったことは、以前にもあった。

「先輩、もう、良いんじゃないですかね」

 その気持ちのことを以前の僕は、「気になる」と、そう呼んでいて、そしてそれは、ミオに対して抱いていた特別な感情だったはずで。

「男性が苦手で、スキンシップが出来なかったとしても、今日の先輩は楽しそうだったし」

 それなのに僕は、同じ感情を奈々子にも抱きかけている。

「それで充分だと思います。だからもう――」

 ずきりと胸が痛む、その傷口から温かな熱が漏れ出して、自分でも分かるくらいに心の中で虚無が広がっていく。

 僕が感じていたことは、特別でも何でもなかったんだ。

「――あ、あのねっ!」

 客観視、必死な様子でこちらの言葉を遮った奈々子のことをどうしてだか僕は、酷く落ち着いて見つめていた。

「つ、次の日曜は……う、海に行きたいな」

 奈々子が立ち上がって、僕を真っすぐに見て言う。

 涙に揺れる瞳と震える声に、しかし僕の心はうまく機能せず、無感情のままに答えた。

「もう、終わりにしましょうか」


        ※


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