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第三章 その五

 僕らの街、その駅のホームで最後に見た時刻は、確か九時十五分。多くの人が行き交う駅前を抜けて、こんな夜中も休まずに鳴き続ける蝉の声を聞きながら、僕らは住宅街を歩いていた。

 結局、ミオはプレゼントを渡さず、愛しの彼に会うこともなく僕らの街に帰ることを選んだ。本当のところ、それで彼女が満足しているのかどうかは、誰にも分からなかったけれど、今の僕の心境としては、何だかんだありながらも無駄足ではなかったのかなと思う。

 隣を歩く彼女が鼻歌なんか歌って何だか上機嫌っぽいし、それに僕のことを。

 いや、何だか超絶重い人間だと思われそうだけれど、ミオは倒れた僕を心配してくれていた。それがまあ、嬉しくて、今は、それだけで充分だった。

「それにしても、だいぶ掛かりそうだな」

 駅を出た時間からして、このままのゆっくりペースで歩けばミオのマンションに辿り着く頃には、半を回ることだろう。いつもより徒歩が遅いのは、両手に彼女の服を持っている僕がいるせいだ。僕なんかよりずっと怪力なミオが持つべきだろうけれど、奥さんに男の子なんだから頑張ってと言われてしまったからには、根性を見せるしかない。

「加藤君、見た目通りの非力さね。カッコいいわ」

「何だ、それ。馬鹿にしてるのか、褒めてるのかどっちなんだよ」

「もちろん、褒めているのよ。伝わらなかった?」

「はあ……どの辺りが褒めてるって?」

「たとえ力がなかったとしても、私のために頑張ってくれるところ」

「……」

 とんでもない萌え台詞だった。

「そういえば、あなたに渡すものがあるの」

 カウンター攻撃を喰らってしまった僕が押し黙っていると、突然ミオが立ち止まり、紙袋を降ろすように言ってきた。渡すものって何だろう、そう思って振り返ると彼女が、僕の腕に何かを通す。ひんやりと冷たく、硬い金属のような感触がして、彼女の手が離れるとその正体が露わとなった。

「腕時計……? でも、これって……」

 そこにあったものは、いつの日にか時計屋のショーケースで見た赤い腕時計。

 恐らくこれは、彼に贈るつもりだった物だ。

「私には、もう必要ない。今日のお礼だと思って」

「さすがに受け取れないよ、高かったじゃないか」

「大丈夫よ。出費に関しては痛手じゃない。元を辿れば、武村博士のポケットマネーから支払われているもの」

 もっと受け取れねえよ……いや、そうじゃなくて。

「また、会いに行くって言ってたじゃないか」

「もうあの二人に会うつもりはないわ」

「どうして?」

「立つ鳥跡を濁さず。元はと言えば、私は娘さんを亡したあの夫婦が上手くやれているのか、それを確かめるために、先生の誕生日を理由として会いに行っただけのこと。二人は、新しい家族を迎えて、最初の一歩を順調に踏み出せていた。そこへ、娘さんの後輩である私が関りを持とうとするのは、あの二人に過去を引きずらせることになるかもしれない」

 最もらしい理由に再び僕は、黙らされてしまった。

「それでもあなたが嫌だと言うのなら、取引をしましょう」

「取引……?」

 言って彼女が一歩前へと踏み出し、僕の耳元で囁くように言った。

「受け取ってくれたら、私の胸を揉んだ罪を帳消しにしてあげる」

 そして彼女は、甘い吐息のような声で続けた。

「何なら、あと一回くらい揉んでも良いのよ……はむっ」

「うわあっ!」

 何だ、何だ、何だ、これは。突然耳たぶを甘噛みされ、思わず僕は飛び退いて、格好悪く尻もちをついてしまった。そんな僕のことを彼女は、一体どんな精神力を保持していると可能になるのか、真っすぐな目で見降ろしている。

「まだ足りなかったかしら? 二回? 三回? さすがに四回は駄目よ」

「何で三回がよくて四回が駄目なんだよ! じゃなかった!」

 興奮気味に騒いでしまった僕にミオは、首を傾げた。本当に分からないのだろうか、僕がこの腕時計を受け取りたくない理由。

「あのさ、へ、変な勘違いすんなよ。僕が受け取りたくないってのは」

 我ながら妙な前置きをして、言葉を探す。

 なるべく恥ずかしくないものを探して、しかし、そのどれもが喉元でつっかえてしまう。

 何というか、その。

「嬉しくないんだよ……だって、これ、ミオがす、好きな人に渡そうとしてたやつだろ。結局渡せなくて、行き場がなくて渡そうとしてる相手ってことだろ僕」

 しどろもどろに、僕は続ける。

「何つーか、その立ち位置は、嫌なんだよ」

 彼氏の代用品みたいじゃんか。

 この微妙な嫌さ加減が伝わるかどうか、彼女は暫く僕を見つめていた。緊張と祈りの沈黙を経て彼女が紡ぎ出した最初の一言は、こうだった。「あなた、勘違いしているわよ」

「は?」

「私は、確かに彼のことを好きだし、愛している。だけれどそれは」

 それは。

「お父さん的なノリでのこと。そこに恋愛感情なんて無いわ」

「……」

「なるほど、分かりました。それで加藤君、東屋を出てからというもの口数が少な」

「やめてやめてやめてっ! お願いだから! 何にもないから!」

 馬鹿みたいじゃないか、僕。

「ふうん。ああ、そう。なるほど。だったら良いことを教えてあげる」まるで僕の反応を咀嚼するように言って、それから彼女は尻もちをついていた僕に手を差し伸べた。

 その手の意味を考えて、ぼんやりと見上げていると彼女は言った。

「こう見えても私、あなたのことを男の子として見ているのよ」

 熱い、耳たぶが熱いとかそういうレベルではなく、身体の中が燃えているんじゃないかというくらいだ。言葉を返そうにも、どう足掻いたって出てきそうになかった僕は、彼女の飴色の瞳から逃れるようにその手を取ることにした。

 そうして黙ってまま紙袋を持とうと彼女に背を向けるも、ミオの手が僕を離そうとしなかった。力強いが震えを感じる、僕が驚いて振り返るとミオは、

「どう思ったかくらい……聞かせなさい」

 言い終えて彼女は、唇を引き結ぶと視線を繋がれた手に落とした。

 赤くなった頬と耳たぶ、不安気に揺れる瞳。

僕を繋ぎとめる手は、小さく震えている。

 そこにあった彼女は、普通じゃない表情を浮かべていた。

 何だよ、ミオも一緒だった。

 だったら、こんな、思わせぶりなこと言わなきゃいいのに。静かにそう思って、けれど、彼女の様子に救われたのも事実で、だから、

僕は、言えた。

「腕時計……大事にする」

 つっかえていた言葉を押し出して、続ける。

「お返しもする。誕生日とか、あるなら、教えてくれよ」

 そこで彼女は、ようやく僕の手を離し、微笑んだ。作ったような笑みだったけれど、今の僕には、そこに触れる勇気も余裕も残っていなかった。

「十二月二十五日よ、楽しみにしているわ」

 その後、彼女のマンション前までの時間、およそ十五分間は、僕らの間に流れていたのは沈黙だ。しかし、それは嫌なものではなく、かといって居心地が良いものかと言われれば微妙なところだが、いつまでも続いて欲しいと、そんな風に感じる時間だった。

「それでは加藤君、気を付けて。良い休日を」

 軽く手を挙げて回れ右、最初の一歩を踏み出して、僕は彼女のマンションを離れていく。今日は、本当に何でもない一日だった。クラスメイトが一人欠席しただけの日で、友達と遠出しただけの日で、その友達とは結局友達のまま、何も変わらないままに終わる。

 変わらなかったけれど、二つ、分かったことがある。

 アンドロイドのミオ、彼女がアンドロイドだからと考えないようにしていたけれど、僕は彼女のことが気になっている。

 それから。

「ミオも、僕のこと」

 人間の僕のことを気になっている。

 僕らの「気になっている」が特別なものかどうかは、まだ分からない。

 まだまだ、未確定だ。

 けれど、それがいつか。

――分かると良いな。

 そう思いながら踏み出した二歩目、僕の背後でガタンと物音がした。

 あまり大きな音ではなかったが、日常的には聞かない異質な音に僕は振り返る。

 そこで僕が目にしたもの。

「ミオ……?」

 うつ伏せに倒れたまま動かない、そんなミオの姿がそこにはあった。


昨日は毎日投稿を掲げているにも関わらず、ついうっかり眠りこけてしまいました。

いつも読んでくださっている方々、ここまで付いてきてくださった方々、ありがとうございます。

もしよろしければ、最終回を迎えるその日までお付き合いくださいませ。

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