1-ジークフリートとの出会い
エーデルラント皇国、皇都の中心部からほど近い場所に建てられた高級娼館。
時刻は夕刻、従業員たちは営業開始の準備をしている。
娼婦たちに割り当てられた個室、その一室に長い黒髪の少女はいた。
少女の目は手元の本の文字を必死で追っている。
本のタイトルは『回航巡覧』
旅に関する本だった。
黒髪の少女__レアの人生は散々たるものだった。
幼い頃に母親は自分を置いて家を出て行き、父は一日中酒を飲んでまともに働くことはなく、挙句の果てに父の作った多額の借金返済のため、レアは14歳で娼館に売られてしまった。
彼女の初めては肥え太った中年の男だった。
金はあるのか肌ツヤだけは良いのが逆に気持ち悪く、その行為が終わるまでレアは必死で現実から目を逸らし続けていた。
だが目を逸らしても逃れられなかった。
身体の一部が裂ける苦痛、知らない男のモノが体内に侵入してくる恐怖、脂ぎった肌の感触や臭いの不快感……
幸いなことにここは高級娼館だった。
ある程度身なりの良い清潔な客しか来ないため、病気で死ぬ可能性は低かった。
だがレアの父が作った借金は、数年間働いた程度では到底返せるような額ではなかった。
娼館に売られて3年が経ったころ、彼女は支配人にあとどれくらい働き続ければ自由になれるのか聞いた。
「まだ半分だって返せてねえよ、利子も上乗せされてんだ。
余計なこと考えてる暇あったら働きな」
3年間、毎晩のように男たちの相手をしても半分だって返せていない。
17歳の少女は絶望に打ちひしがれた。
いつかここから出られると信じて働き続けた。
いや……出られたとしても、既に私は以前の私と違う。
追い詰められたレアの頭に浮かんだのは『死』だった。
とにかく楽になりたい。
もう男のモノを受け入れたくなかった。
死ねば楽になれると気付いてしまった。
だが痛いのも苦しいのも嫌だった。
自分の死体を誰かに見られたり、弄られるのも避けたい。
どうすれば楽に、人知れずひっそりと死ねるのだろうか。
考えた末にたどり着いた答えは入水自殺だった。
ポケットに石を詰め込んで、海へまっすぐ進んでいけば、体が沈んで溺れ死ぬ。
窒息していくのは苦しいだろうが、きっと海の水がこの身体を綺麗にしてくれる。
「海……」
その日からレアは娼館からの脱出方法を考え、海のある土地を調べ始めた。
どうせ死ぬなら綺麗な海がいい。
本当の海を見たことがないから、最初で最後の海は人生でもっとも綺麗な場所であってほしい。
絵本で見たような、綺麗な青い海で死にたい。
レアの本をめくる手には、そのような切実な想いが込められていた。
彼女は死を求め続けている。
娼館内を鐘の音が鳴り響く。
営業開始の合図だ。
レアは本を閉じ、娼婦たちが待機する部屋へ向かう。
指名の途絶えない売れっ子になれば、営業時間中でも個室でゆっくりすることができる。
だがそうでない者たちは1階のロビーにある待機部屋に入り、客たちに自らの存在をアピールしなければならない。
今日も店には身なりの良い男たちが絶えずやって来て、目当ての女を指名していく。
しばらくすると、店に軍人たちのグループがやって来た。
装飾の施された制服が、彼らが将校であることを誇示している。
「ジーク、俺が金を出してやるから好きな女の子を選ぶといい」
将校たちの中の一番年上らしき男が、ジークと呼ばれた銀髪の青年に話しかける。
「……興味ない、寝るための部屋だけ貸してくれ」
ジークの言葉に、周りの男たちが囃し立てる。
「お前は硬すぎんだよ、王都に戻れたら遊ばないと損だぜ」
「ここはホテルじゃねえぞ! 店長! こいつが好きそうな女の子つけてやって!」
軍人の客はあまり人気がない。
金払いは良いが女性の扱いが荒く、とにかく体力があるため、一晩中相手させられることも珍しくない。
「うちは色んな女の子を取り揃えております、どんな女の子がお好みでしょうか」
ジークは不服そうな表情で渋々答える。
「一番大人しいのを、」
支配人は満面の笑みで声を上げる。
「おい、レア! お前の出番だぞ」
それがジーク__ジークフリートとの出会いだった。
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