3.命樹の反乱
死樹が放置された洞穴で淡い光が漂っていた。
乾燥の所為なのか人が動く僅かな風でも土埃が舞い、時々、洞穴から小石がパラパラと落ちてくる、そんな危うい洞穴の中をライトの代わりに作られた植物『光華』を持った者が奥へ奥へと歩いてた。洞穴の最奥までたどり着くと、四肢と胴体部分を離れた場所にバラバラに置かれた死樹がいた。泣き腫らしたであろう顔には涙の痕が残り、全てを諦め切ったような顔で、静かに地面を見つめていた。
光華の光が死樹の顔に当たって、ようやく死樹は目の前の存在に気づいた。
ゆっくり顔を上げると、そこには三人の研究者がいた。
「死樹よ、お前の焼却処分が決定した。いくら不死と言えど、植物ならば燃えて灰になってしまえばお終いだろう」
「…… 」
死樹はその言葉に何も返せなかった。やりたくもない殺人を毎回気づけば行なっている。まるで死神のような存在だと卑下したような笑みを浮かべ、これから訪れる自分の死を大人しく受け止めようと思った。目を閉じ自分の存在理由は何だったんだろうかと考えながらその時を待っていたのに。
洞窟内が少しだけ騒がしい。死樹は静かに目を開けると研究者達の奥に静かに佇む命樹がいた。
死樹の知る命樹は、言葉を発せず、ただ無表情に植物を育てていた。感情は見せず、手に握った植物の種からはスルスルと芽が伸びていき、急成長する。その自分と対照的な生き物を美しいと思ったし、羨ましいと思ったし、憎くも思った。自分がなりたかった理想の姿がそこにあったから。
その命樹が一人、洞穴の中まで来ていた。命樹が持つ光華が死樹の方を照らしている為、命樹の表情は見えなかったが、おそらくあの無表情なのだろう。
「どうした?命樹、お前はここに来るように命令した覚えはないぞ」
そう言いながら、研究者は光華を命樹の方に向けた。明かりに照らされたメイキの顔は、いつもの無表情だった。しかし、その顔の口角が、ゆっくりゆっくり上がっていった。
「どうして私が、あなたの命令を聞かなければいけないのかしら」
初めて発した命樹の言葉。喋れるとは思っていなかったし、自分の意見を言ってくるとも思っていなかった。予想の言葉、予想外の行動に研究者の頭に血が上った。
「口答えする気か!お前は屋敷に戻っていろ!」
怒鳴った勢いで、手に持っていた器から油が飛び散った。実験の際に死んでしまった動物の骨から作られたその器を見て、溢れた油の匂いを嗅いで、命樹は静かに怒りを激らせた。
「その油で、今度は死樹を殺すの?」
「壊れたから処分するだけだ!お前はいい加減に…… 」
研究者は全てを言えなかった。怒りの笑みを浮かべた命樹が、『食人植物』の木をものすごい勢いで育て始めたからだ。洞窟内にいた研究者三人は一瞬の内に何も語れなくなってしまった。
「誰かに操られる人生や運命なんて、真っ平御免よ。私の身体は私が操るわ」
研究者が消えた後の『食人植物』に向かい、命樹は静かに言い放った。そして、何事もなかったかのように死樹へと向き直った。
「初めましてシキ。私はメイキよ。私の力ならシキの体を治せると思うの。体が治ったら、私と一緒に遠くへ逃げない?」
鈴のように優しく静かだが良く通るメイキの声。メイキはゆっくりと光華を上に掲げ、お互いの顔が見えるようにした。初めてじっくりと見るメイキの顔は、今までは仮面を被ったかのように無表情だったが、今は口元が優しく弧を描き、目元は寂しそうに少しさがっている。
「助けなくていい。このまま殺してくれていいんだ。俺はあんたとは違う。命を育てる事はできず、ただひたすら頭の中に人を殺すよう命令がくる。体が勝手に動いて俺の意思では逆らえないんだ。もう、誰も殺したくないのに」
後悔と絶望の色を浮かべていた表情は、言葉を発する内にただただ途方に暮れた表情へと変わっていった。自分の力ではどうにもならず、本来なら最終の逃げ道である『死』すらも自らの意思では選べず、シキはどうしたら良いのかわからなくなったのだろう。
「メイキ、あんたは感情を与えられてなかったんじゃないのか?今まで喋らず、表情も変えずにいただろう?」
シキの言葉に、メイキは笑みを深め、
「知識だけ与え、感情は与えない事ができるなんて烏滸がましい。私に感情がないなんて、私の心をどうやって調べたのかしらね。最初の頃は確かに無かったと思う。でもね、何度か眠り続ける度に感情を思い出したの。この身体の元になった子のものなのか、私が育て上げたものかはわからないけど」
悲しそうに目を伏せながら、メイキは言葉を続ける。
「私の頭にも命令は来るの。『命令を聞け』『我々を守るためだけに生きよ』。シキと比べると恵まれた指示内容だと思う。ずっとあの人達の為に植物を育てようと思っていたから。でもね、最近、私は何を守るべきなのかが、わからなくなるの…」
ずっと、頭の中の命令に疑問はなかった。それが当然の事だと思って行動していた。でも、自分が育てた植物から俯瞰で物事が見え、シキの姿を見るたびに、感情が、言葉が体の内側から溢れ始めたのだ。それはこの『植物人間』の元となった人間の記憶なのかもしれないが、たしかにメイキとしての思いとして育ち始めたのだ。
「ねえシキ、私達は人間の研究者によって産み出された物であるけれど、永遠の時をこの状態で過ごしていくなんて無理よ。私達にも思いがある。感情がある以上、幸せを願いたいと思わない?」
メイキは静かにシキの顔へと手を差し伸べながら
「私と二人だけの世界で生きる事を強いるかもしれない。それでも良かったら、お願い。共に生きてほしい。お願い。あなたが生きる意味を失ったというのなら、私の為に生きてほしい」
誰かが自分と共に生きるなど考えた事もなかった。誰かと共にいるのは排除するためだけだから。
「もしかしたら、俺の頭の中にメイキを殺せと指令がくるかもしれない。それでも、俺と一緒に生きるというのか?」
「指令で私が殺せるのなら殺してみてよ。元より私は不死だから、誰かに操られたシキに殺されるほどヤワじゃない。それと、もしも、あなたの意思で殺されるのなら、私はその死を受け入れるよ」
くだらない悩みだ。小さくそう呟きながらくつくつとメイキは笑っていた。