猫は九度生まれ変わる
【十月二十三日 雨】
しばらく日記をつけていなかった。そんな気になれなかったのだ。
このところ、毎日たまのことばかりを考えている。あの子がいない部屋はガランとしていて、私には広すぎた。
私は今、あの子の首輪を持ちながら、ベッドに寝転がってこうして日記を書いている。いや、今だけではない。私は最近ずっと、ベッドで過ごしていた。
あの子が死んでしまってから、私は自分が思っていたよりもずっとあの子を愛していたのだということを知ってしまった。
友人には、病院に行った方が良いのではないかと勧められている。そんなに私はやつれてしまったのだろうか。
だが、病院なんかへ行って、何になるのだろう。たまが生き返るわけでもないのに、そんなことをしたって無意味だ。
二度目のたまの死は、一度目よりもずっと私を落ち込ませていた。だって、あのたまはまだ若かったのだ。お別れなんてずっと先だと思っていた。それなのに……。
ああ、苦しくて悲しくて仕方がない。
いっそ私も、たまと同じところへ行ってしまった方が楽になれるのだろうか。
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【十月三十日 晴れのち曇り】
覚悟は決めた。もうたまのいない世界なんて、耐えられない。
明日は一度目のたまが実家にやって来た記念すべき日だ。その記念日に、たまが死んだベランダから私は飛び降りることにした。そうやって死んでも一緒にいるのだ。
でも、その前に、せめて私がたまを拾った場所を見ておきたい。それさえ叶えば、もう心残りはない。
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【十月三十一日 晴れ】
今日は奇跡が起こった。たまが、また私の前に現れたのだ。
あれは、今朝、私がたまと出会った場所に行く途中のことだった。ぼんやりしていた私は、少し道を間違えたらしく、知らない通りに出てしまった。
そこのバス停にあの子はいたのだ。ベンチに座って日向ぼっこをしていたのである。
私は動悸が激しくなるのを感じた。あんなにたまと同じところに行きたいと願っていたのに、いざあの子が目の前に現れると、どうしようもなく動揺してしまい、私はその場から逃げるように立ち去ることしかできなかった。
この日記をつけている今も、心臓の鼓動が静まらない。きっとあれは幻だったのだろう。だが、幻覚だとしてもよかった。
また、たまに会えた。この世での最高の思い出ができた。これで心置きなく死ねる。
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【十一月一日 曇りのち晴れ】
幻などではなかった。やはり、あれはたまだ。
死のうと思った私だったが、どうしても昨日のことが引っかかり、またあのバス停に行ったのだ。
すると、今日もそこにあの子はいた。私は確信した。これは紛れもない現実なのだと。
しかし、死んだたまが生き返ったわけではなさそうだった。空き地に行って墓を確認してみたのだが、あの子はきちんとそこに埋まっていたのだ。
その時、私は昔聞いた話を思い出した。『猫は九度生まれ変わる』といういわゆる迷信とか、都市伝説とか、そういった類いのものだ。
とすると、あのバス停の子は、生まれ変わったたまなのだろうか。いや、きっとそうに違いない。半年前に、私に会うために生まれ変わって天国から舞い戻ってくれたたまなのだ。二度目の生まれ変わりがあったって、おかしくないではないか。
あの子はそれほどまでに私を愛してくれていたのだ。だから、また私の傍に来てくれたに違いない。
何という奇跡だろう。もう死のうなんて思わない。生きて、明日もたまに会いに行かなければならないのだから。