6.流川蓮
転校生である蓮のうわさは瞬く間に広がった。
レベルの高すぎるイケメン、英語とスペイン語がペラペラの秀才、目を疑うような身体能力の持ち主、あまり感情を出さないクールな紳士……。
もはや蓮の話題を聞かない日はない。
毎日毎日蓮と一緒に登下校を繰り返す私は、この数日、何度「付き合っているんですか?」と聞かれたか分からない。
その度に私は「昔からの知り合いで……」と言って自分で悲しくなっていた。
「……どうするの? 美月」
「どうするも何も……」
……どうもしないわよ。
私は目の前でお弁当を突く花恋に曖昧な返事をする。
最近気が付いたのだけれど、お弁当の中身が一緒である蓮とクラスが離れていて良かったと思った。
同じクラスだと、中身が同じことに気づかれやすい気がして。
そうなれば、同居していることがばれそうだからだ。
「このままいけば、来週くらいには告白する人も出てくるよ? 良いの?」
「良くないけど……」
良くないけれど、どうすれば良いと言うのか。
「噂では、ファンクラブが出来たとか……」
「え? 本当にあるの?」
「え? 興味あるの?」
「いや、無いけど……」
家で十分すぎるくらい一緒にいるので、ファンクラブには興味がない。
しかし、よく聞く〇〇さんのファンクラブというのが存在していることに驚いているのだ。
「……というかね、美月にその気があることが分かれば、大抵の人は身を引いてくと思うんだよね」
「え、そうなの?」
「だって……美男美女のカップルすぎて、お似合いだもん」
「いやいや、蓮がかっこいいのはそうだけど、私は釣り合うほどじゃないよ」
蓮の顔面はだいぶ神がかっている。
一般人である私なんかが釣り合うわけないのだ。
「いや、美月はもうちょっと自分の顔の良さを自覚した方が良い……。美月は可愛いよ?」
「そう? ありがとう! 花恋も可愛いよ」
「ダメだ……。分かってない……」
何故か私は花恋にため息をつかれた。
その時、突然教室がざわざわとして、私は何事かと顔を上げると、ざわざわの元凶を見つける。
「あ、美月いた」
ご本人登場である。
蓮は私の方へまっすぐと歩いてくる。
「どうしたの?」
私は立ち上がっていつもの微笑みで接する。
ニヤニヤしている花恋は無視だ。
「美月、古典の教科書持ってる?」
「持ってるけど……」
「忘れたから貸してほしい」
「うん、良いよ」
私は机の中から教科書を出して蓮に渡す。
「ごめん、助かった」
「私、6時間目古典だから、授業が終わったら返してくれる?」
「分かった」
「あぁ、そうだ……」
私は丁度良いと机から数学のノートを取り出す。
「蓮に聞きたいんだけど、良い?」
「それは勿論」
次の授業で自分が当たることをすっかり忘れていて、しかもその問題がとても難しかったので蓮に聞くことにした。
「これなんだけど……」
私はノートの問題を見せながら、蓮に聞いてみる。
蓮は問題文を読むと、ノートを眺めながら固まる。
この人は集中力が凄い。
こうして問題を考えているときは、全く動かないのだ。
動くのは、何回か瞬きをする目蓋くらいだろうか。
思考モードに入って10秒ほど、蓮は私の目を見て言う。
「美月、ペン」
「あ、はい」
私は筆箱からシャーペンを一本出し、蓮に渡す。
すると蓮は隣の空いている机でスラスラと解答を書き始めた。
たった10秒しか考えていないのに、蓮の手は止まらない。
もう、本当にこれは頭の中身が違うとしか思えない。
「美月」
「あ、はい」
蓮に呼ばれ、私もノートを覗き込む。
そこには途中まで書かれた答案。
「ここまで式の変形は出来た?」
「うん、そこまでは出来たんだけど、そこからどうすれば良いのか分からなくて……」
すると、蓮は説明しながら綺麗な字で解答を書いていく。
「ここは、場合分けしなきゃいけない」
「え、あ……そっか」
「うん、ならこの値は?」
「え、えっと……あぁ、全実数?」
「そう」
蓮はいつだって全て教えることはしない。
少しずつヒントを出して、私自身で解かせるのだ。
私が16年生きてきて、1番教えるのが上手いと思ったのは蓮だったりする。
蓮の質問に答えながら、書かれていく数式を見ていけば、簡単に答えに辿り着いてしまった。
「あれ、意外と簡単だった……?」
「この問題は、ここから敢えて一度展開するのを思いつけるか、だ。思いつけたら美月も普通に解ける」
「そっか……、ありがと」
「いえいえ」
じゃぁ、とノートとシャーペンを私に渡した蓮はすぐにいなくなってしまった。
「流石は流川くん。頭良すぎて意味が分からない」
席につけば、黙っていた花恋が口を開く。
「それは、思う」
先ほどの問題だって、思いつけたら簡単だけれど、普通は思いつけないのだ。
それなのに、あの短時間で解いて見せた蓮には感服だ。
「……とっても目立っていましたね……」
花恋の呟きにえ? と聞き返す。
「嘘でしょ? 気づいていないの?」
「気づかなかった……」
私は蓮の作ってくれた唐揚げを大切に口に入れる。
「……そっか。2人の世界に入っちゃったんだね」
「ち、違うよ。問題解くのに集中してただけで……」
そう、これは花恋の気のせいだ。
だって、皆お弁当食べている最中だったもの。
きっと……多分……、大して、目立ってない、うん。
5時間目終了後、私は蓮から教科書を受け取るために、隣の教室に向かう。
蓮に教えてもらった問題は、間違えることなく答えられた。
蓮に感謝だ。
先生に褒められたときは、私じゃないんだけどなぁ、と思いながら取り敢えず微笑んでおいた。
蓮のクラスを覗けば、まだ授業が終わっていなかったので廊下でしばらく待つことにする。
椅子を引く音と、週番の号令が聞こえ、私は教室を再度覗いた。
「な、るせさん?」
目の前にいた男子は目を丸くして驚いている。
そんなに、驚かなくても……。
ちょっとショックだ。
「蓮……流川蓮ってどこの席かな?」
丁度休み時間に入り、皆が立ち上がった状態なので、蓮がどこにいるのか分からない。
「あ、はい! えっと、窓側の前から4列目です」
「ありがとう!」
私はお礼を言い、教室に入る。
人を避けながら、言われた席まで行くとまさに立ち上がろうとする蓮がいた。
「あ、いた」
「美月……、ごめん。こっちから行こうと思ったんだけど」
「ううん。私の方が授業終わるの早かったから」
「教科書、ありがと」
「いえいえ」
異様に静かな教室に私たちの声が響く。
蓮から教科書を受け取りながら、あれ、休み時間、だよね? と不安になる。
「もう、休み時間、だよね?」
「うん、そうだけど。……どうした?」
「え、いや……静かだなって。私のクラスもっと煩いから」
「いや、このクラスも、もっと煩いけど……」
クラスを見渡した蓮の顔が微かだが困惑の色に染まるのを見て、察してしまう。
これは……早めに撤退するのが良い気がする。
「あ、あの、数学の問題、ありがとね」
「合ってた?」
「うん。本当にありがとう」
「それなら良かった」
「それじゃぁ、またね」
「うん。また」
私は早足で素早く教室を出て退却する。
……怖かった。