Turn 6. 半獣人の姫君
エリシア・ロエム。彼女の名前は当然知っていた。イズ評議国の議長の妹君であるロエム帝国第二皇妃ルピス陛下の一人娘。ルピス陛下亡き今では陛下に代わるイズ評議国との同盟の象徴。まあ、私が知っていることはそれくらいだ。彼女は帝国にとって有益な存在であると私は第一皇子として判断している。もちん皆がそう思っているわけではないが。
ロエム帝国とイズ評議国は今となっては同盟国だが、最初からそうだったわけではない。長い戦争の歴史があるのだ。必然的にどうしようもない感情の溝ができてしまている。この国には獣人そのものを嫌う人がたくさん存在する。イズ評議国との同盟すらも快く思わないものも少なからずいる。
エリシア・ロエムは半獣人の姫君と陰で呼ばれているが、もちろん決していい意味ではない。彼女には半端者や出来損ないという言葉がいつも付き纏うのだ。もちろん面と向かって帝国の皇女にそんな呼ばわり方をする愚か者はいないが。
私にとっても彼女の重要性はそう高くなかった。実際、魔法庁で彼女の名前を聞く前まではエリシアという名前は記憶の片隅にしか存在しなかったのだから。
私は魔法は好きだ。才能もある。成人前して正式に魔法士の称号を得ている。魔法を習うといろいろ便利である。すでにこの国は魔法なしでは運営できないほど魔法が根深く浸透している。つまり、魔法を知ることはある意味国の動かし方の一端を知ることと同義なのだ。そして魔法に関わる、国の最重要機関の一つが魔法庁である。次期皇帝の座を狙う者として、魔法庁とは良い関係を築いておくべきであろう。
純粋に魔法が好きなこともあり、私はちょくちょく魔法庁に足を運んでいる。魔法庁の図書館で資料を探しに来たある日、魔法庁の職員の雑談が耳に入った。
「そういえば、ボルトンの奴、最近見ないな」
「あれだろう?第四皇女殿下の魔法の教師役」
第四皇女?確かにあのエリシアのことだ。しかし、魔法の教師とは何だ?彼女は四歳のノエルより年下のはずだ。もう魔法を習い始めたなんて可笑しな話である。
「あれ?まだ続いているのか?」
「それがさ、ものすごい天才らしいぜ?」
「まさか?」
「いや、ボルトンの奴、会議で授業する意味がないなら即辞退しますとか言ってただろう?」
「確かにそんなこと言ってたな」
「なのに、最近は研究よりも授業の方を優先しているって話だよ」
「あの研究バカのボルトンがね…」
面白い話を聞いた。私は部屋に帰ると従者に魔法庁のボルトンという職員について調査を命じた。エリシアについて直接調べると後々面倒なことになりそうなので、ここは回り道するのが賢明である。
アンスラ・ボルトン。西の公爵の家臣であるボルトン伯爵の三男坊。魔法庁の三等研究員。成人してすぐ魔法庁入りした秀才で、現在魔法庁の職員の中では未だに最年少の18歳。
3ヶ月ほど前に水晶宮の要請を受けて、エリシアの教師役として任命される。噂では誰も志願者がなかった為一番若い職員の彼に押し付けられたと言う話だ。本人もあまりやり気ではなかったわけだが、最近はエリシアを天才と呼び、自分の研究よりも彼女の教育の方に力を入れている様子らしい。
魔法士としてかなり興味深い話だ。3歳の魔法の天才か。一度この目で確かめて見たい。それに皇子として、天才と呼ばれる皇女を見極めなければならない。皇族である以上、兄妹であろうとも暫定的には敵と見做すべきだ。
そして数日後、私は予定通り魔法庁の図書館で「偶然」ボルトンと出会すことになった。
「君がアンスラ・ボルトンか。どうやら妹が世話になっているみたいだね。どうだい?授業の方は順調かな?」
「エリシア殿下はとても聡明なお方で、自分の矮小さを思い知らされる毎日でございます。妹君は魔法の神の加護の元に生まれたに違いありません」
「君をそこまで言わせるとは、一度授業の様子を見て見たい物だね。次の授業は何時だい?」
「明日…でございますが」
うん、知っているよ。
「じゃあ、明日私も水晶宮に参るとしよう。エリシアには私から連絡を入れておくね」
善は急げ、なんちゃってね。実は明日の日程は空けてある。こういうことは相手に準備する時間を与えないことが大事なにだ。相手が慌てれば慌てると素が見られる。
次の日の昼食後、私は護衛の騎士二人とボルトンと共に水晶宮に向かう。水晶宮に来るのは初めてだ。しかし何か寂れた感じがする。建物自体は他の離宮と同じく立派ではあるが、内装や中庭の手入れが行き届いていない感じがする。とてもじゃないが、皇女の住まいとしては些か質素な感がある。
後で分かった事だが、水晶宮には使用人の数が不足しているらしい。使用人の殆どがルピス陛下のイズ評議国からの従者らしく、ロエム帝国来て雇った人間の使用人は少数だそうだ。信用における者が少なかったこともあるが、そもそも働こうとする者がいなかったらしい。
使用人に案内され部屋に入るとエリシアが緊張した顔で待っていた。半獣人を見るのは初めてではないが、彼女の外見はなかなか珍しい。模様のある髪なんて人間族にはいないものだから。色違いの目の色もあって、この世ならざる幻想的な雰囲気の醸し出している。将来性を感じさせる整った顔は普通に愛らしい。
エリシアはぎこちない動作で一礼をする。いっぱいいっぱいの様子が応援したくなる気持ちになる。しかし、その下手な動作とは裏腹にその小さい口から紡がれる挨拶の言葉は流れるように自然だった。その対照的な様子が彼女の異常さを際立たせる。
「導きの神トレノアに祝福された良き日、この出会いに心から感謝を。お初にお目にかかります。ロエム帝国第四皇女、エリシア・ロエムと申します。本日は…」
「いいよ、そんなにかしこまらなくても。でも頑張ったね。えらい」
言葉を遮られたのが気に入らなかったのか、エリシアはちょっとむっとした顔になる。普通の幼女の反応だ。本当に彼女は天才なのか?しかし妙に言葉遣いが大人びている気がする。
「今日の訪問、許してくれてありがとう。いきなりだったからみんな大変だったんだろう?」
「いいえ、ベイロン殿下。水晶宮の一同、殿下にお会いできて皆光栄に思っています」
この対応、侍従長のリュエルからの暗記させられたのか?それだけでも十分凄いと思うが、ただ意味も分からず暗記して喋っている感はしない。あまりにも自然で、流暢だ。
「本当にできた子だ。ベイロン殿下なんて堅苦しいよ。お兄さんと呼んでくれないかな」
場を和ませ、彼女の警戒心を解くために兄と呼ばせて見る。
「お、お言葉に甘えてそう呼ばせていた出します、お、お兄様」
ちょっとくすぐったい気分になるのは何故だろう。実妹のノエルは普通に「お兄さん」と呼んでいる。それとは妙に感じが違う。解せぬ。そんなことを思いつつ私は出されたお茶と茶菓子をいただきながら授業の様子を眺める。
ボルトンが出した課題の採点結果はどうやら満点らしいが、どんな問題なのか分からない。見せてもらおうかなと思ったその時、ボルトンか信じられないことを口にした。
「今日からは第三階位の魔法の勉強に移りたいと思います」
「第三階位だと?!」
思わず叫んでしまう。第三階位は初級魔法の最終段階である。魔法は今のところ第九階位まで存在し、三階位ごとに初級、中級、上級魔法として分類される。魔法庁の採用の際最低条件が第四階位の魔法が使えることだ。魔法庁に入れる程の才を持つものなら大抵成人前後、つまり15歳前後にはこの条件を満たすのが普通と言われている。
ちなみに私が第三階位の魔法を習い始めたのは10の時だった。第三階位の魔法は間違っても3歳の子供が到達できるような境地ではない。
そもそもどうしてエリシアはその歳で字が読めるのだ。どうして大人も苦労する魔法の本が平気で読める。どうして我がままも言わず、長時間椅子に座って授業を聞いて居られるのだ。エリシアの異常性は魔法の才能ではないと私は確信する。総合的に主に精神面で彼女は同年代の子供よりはるかに優れている。
「ねえ、エリシア。君は何でそこまで必死なのかい?」
聞かざるを得なかった。君の狙いは何なのだ。その幼い体の中にはどんな化け物が潜んでいるのだ?
私の問いにエリシアは一瞬息を飲む。しかし次の瞬間何の躊躇いもなくこう答えた。
「私は母様の顔を知りません」
いきなり何を言い出す。
「皇帝陛下には、父上には一度も会ったことがありません」
それは何かの抗議のようにも聞こえる。
「自分の身は自分で守るしかないと思います」
ああ、そうか。その歳で理解しているのか。自分の境遇を。この帝国が、この宮廷が決して自分に友好的な場所ではないことをこの子は3歳の頭で理解してしまったのか。
「お兄様が、エリシアのこと守ってくださいますか?」
私は目を反らしてしまった。この問いへの返答は簡単にできるものではない。私的は場とは言え、これに対する言葉には重みを持つ。特別な意味を持ってしまう。見ている目も、聞いて居る耳も多い。どう答える。
私を見上げている色違いの瞳に何か切なさを感じてしまう。君は私の庇護の元にあると、守ってあげるとそう言いたくなる。何故こんな気分になるのだ。
「まあ、君がそう望むならね。では、今日はこれで失礼するよ。じゃあね」
私は曖昧な返答をし、急いで我が住まいである「翡翠宮」へ帰る。
「どう思う、シオネ」
途中、私は護衛のシオネに質問を投げた。
「守ってあげるべきだと思いますよ」
先まで無表情を徹していた彼女はニヤニヤしながら答える。
「真面目に答えろ。ふざけている場合か」
「いやぁ、まさか殿下が幼女趣味だったとは…」
「シオネ!」
「いいではありませんか。こっちで庇護しましょう。彼女はイズ評議国との同盟の証。しかし、今は放置気味です。殿下がイズとの関係を重んじるおつもりでしたら、早い内にこちらの陣営に取り込むべきかと」
まあ、もっともな意見だ。
「ヘミルの意見は?」
「私も同意見です。優秀な人材はいくつあっても足りませんから」
そうだな。どうせエリシアでは帝位には絶対手が届かない。帝位を回って私の敵となる可能性はゼロに近い。ならば、味方にすれば有意義に活用できるのではないか?エリシアが獣人嫌いのクルス側に付く可能性もないので、取り込んでしまえば寝返る心配もない。
「しかし、半獣人の娘があんなに可愛らしいなんて新たな発見です。エリシア様は将来有望ですよ!そう思いませんか殿下?」
「シオネ、お前そのうち不敬罪で首飛ぶぞ!?」