山の幸い
私は山に住んでいます。
ある日、息子が私を背負い、私を山の中腹に運びました。
これからここが母さんの家だよと言われ、私は素直に頷きました。
ふとあたりを見渡せば項垂れた、私と同じくらいの年の人がいて、うずくまっています。
これはどうしたことでしょう。
ただ自分の家にいるだけなのに。
息子は去る時、泣いていました。
おかしな子。
泣くことなんて何もないのに。
私がその頭を撫でようとすると、私の手を避けるように身を引きました。
さよなら。
さよなら母さん。
本当におかしな子です。
ただ住まいが移るだけなのに、何を悲しむことがありましょう。
その内夜になり、私は息子が渡してくれた毛布にくるまり、乾パンを食べて水筒からお茶を飲みました。
ごくり、という音に振り返れば、私と同じくらいの年頃の男性が私を凝視しています。
頬がこけて、目がぎょろりとしています。
お食べになりますかと乾パンを差し出すと、それをひったくり、貪るように食べました。
上を見れば星が綺麗です。
息子が久し振りにやってきました。
私はほっとしました。もう食べるものも底をついていましたから。
息子は私の顔を見ないように、食糧を黙って置いていきました。
一度、その唇が何かを言いかけ、しかし声は出ませんでした。
そろそろ冬がやってきます。
この毛布で寒さをしのげるでしょうか。
もうすっかり馴染みになった男性が、待ってましたとばかりに私から食糧を得ました。隣人が助かるのは良いことです。
けれど最近、私の身体も段々、衰えてきました。
時々、身体が引きつったりします。
そして冬。
厳しい寒さと積雪に、私は凍えそうになっていました。
私の住まいは、どうも余り優しい場所ではなさそうです。
けれど息子がそれが良いと決めたのですから従います。
泣き虫だったあの子が今も泣いている気がして。
山の住みかは厳しいけれど、そう悪いものでもないのです。
いいのよ。
あなたの幸いが私の幸い。
私が山に住むことで、あなたが幸いを得ますように。
降る白雪に私は手を伸べます。
しもやけで赤く腫れ上がった手。
大丈夫。
大丈夫と私は自分に言い聞かせ、そして心の中の息子に問います。
あなたは大丈夫?
優しいあなたが胸を痛めていないかと、それが私は心配です。
愛しい子。
私がここにいることがあなたの幸いなら、それが私の幸いです。
それが私の幸いです。