第04話 メルトゥーリアは語る(4)
町の騒ぎにしばらくの間身を置いた後、レイルに連れられて領主宅へ来ると、ベクトル家による領主快気祝いへ参加させられた。主役であるバアトはこの場にいなかったのだが、それを気にする人がいないことに、あの人は前からあんな感じだったんだなと真昼は思った。
豪華な食事が並ぶこの場目の当たりにしてフィーネは先に帰っていると言い出した。理由を聞く間もなく足早に帰路につくフィーネの腹から音がしたような気がした。
その場にはメルトゥーリアも居た。真昼はライゼルに促されるようにして話しかけるも、
「あなたは、自分の背の大きさのことを言われると怒るくせに、女性の胸の大きさについては言うのね」
といった感じで取り付く島もなかった。
身体的特徴をどうこう言われるのは真昼の最も嫌うことだったので、誠心誠意謝り倒した。ここまで頭を下げたのは人生で初めてのことだった。
しばらくして日が落ちかけたころ、レイルに促される形で真昼は帰路につくことになった。戻ってきた、そのへんの酔っぱらい親父と化していたバアトにメルトゥーリアがどんなにいい娘かを延々聞かされていた真昼にとっては嬉しい言葉だった。
ライゼルに促される形でメルトゥーリアも一緒についてきた。いつの間にか先ほどまで着ていたドレスから着替えている。
「あんた、まだ怒っているのか?」
町を出て、もうそろそろ自分の屋敷が見えてこようかというところで、真昼はそう切り出した。前を歩くメルトゥーリアはまるで地蔵のようにむすっとした表情を変えず、一言もしゃべらなかった。
その後も真昼は「どうしたら許してくれる」とか「もう絶対に言わないから」とか「あんま怒った顔しているとシワになるぞ」と言ったがいずれも反応は無かった。
もはや独り言のような何個目かの言葉の後、
「あんたライゼルとあんま似てないよな。あの人はもっと理性的な人なのに。あ、リーリアムはあんたに似て感情的か。となるとライゼルが浮いているのか?」
という言葉にメルトゥーリアが反応し真昼の独り言状態は終わりを迎えた。
「分かっているわよ。私がライ兄様やリア兄様達と似ていないってことくらい」
「はぁ? 僕はライゼルと似てないって言ったんだぞ」
「リア兄様だって運動神経は良くって王都の学校を首席で卒業するほど頭がいいの。私と違ってね。――あなたには私の気持ちは分からないでしょうけど」
リーリアムが首席で卒業という言葉に真昼は驚いたが、今はそのことを横に置き返答することを優先した。
「そりゃあ分からないさ。だって僕はそんなこと初めて聞いたんだから。人間は意思疎通するのに言葉を使うんだ。言ってくれなければ、言わなければ、相手には伝わらない」
メルトゥーリアはふと立ち止まり、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私はね、父様や兄様たちから期待されていないの、愛されていないのよ。他の兄様や姉様はとても優秀なのに私はそうじゃないから」
「……ずいぶんと飛躍した話しだな。誰かにそう言われたのか?」
「いいえ、でも分かるのよ。私の上にはね、あと五人兄弟がいて私だけ母様が違うのよ」
メルトゥーリアの話しによれば、バアトの前妻が五人目の子供を産んですぐ亡くなったらしい。まだ小さい子供には母親が必要だろうということで現在の妻、シルヴィアを嫁に迎えた。そして間もなくシルヴィアも身ごもり、生まれたのがメルトゥーリアだという。
つまりは六人いる兄弟の中でメルトゥーリアだけ母親が違うということになる。
真昼はシルヴィアの姿を思い出し納得した。ずいぶん若いと感じたが実際に若かったようだ。
「別に母様を恨んでいるわけじゃないのよ。むしろ愛しているわ。それが原因とは思ってないけど、他の兄弟はみんな秀でた部分があるのに私だけ特に何もない。頭がいい訳でもなければ、運動神経もよくない。誰にも負けない特技もない。他の兄弟は父様から厳しく躾けれているのに、私にはそういったこともなかった」
だから、自分は期待されるに値しない人間なのだとメルトゥーリアは言った。
「今回の事だってそうよ。だから政略結婚をさせられた。別に何か特別な才能はいらないからね」
うつむきそう話していたメルトゥーリアは、両手を握りしめると空を睨ように上を向く。
「でもだからこそ、これは私に与えられたチャンスなのよ。ここであなたがこれまで以上の活躍をして、父様のお役に立つことが出来たなら、妻役として陰ながら支えてきた私のことも少しは認めてもらえるかも知れないわ。だから私はあなたの妻役をやめないし、やめさせないんだから」
はっきりと言い切った声は力強く、その目には決して逃げ出さないという決意に光っていた。
だから頑なに家に帰ろうとしないのか真昼は思う。勝手なイメージではあったが、こういう金持ちの娘は少しでも嫌なことがあるとなんでも投げ出してしまうものだと思っていた。どうやらメルトゥーリアは真昼の想像とは異なる人物ようだった。
誰からも期待されていないということが、どれほど辛い事なのか真昼には分からなかったが、少なくともメルトゥーリアからしてみれば自身の存在意義にも直結する重大な問題だったのだろう。
こいつも理不尽の被害者なんだな、と真昼は思った。
「どうしてそうゆう事を僕に話すかな」
「話さなければ伝わらないと言ったのはあなたでしょう」
「そりゃそうだけど、そんなこと聞いたら僕のことも話さなきゃいけなくなるじゃないか」
「はぁ? 別にいいわよ、そんなこと話さなくても」
「いいから聞け。一方的に身の上話を聞かされて自分は何も言わないってのは気になるんだよ」
変な人ね、とメルトゥーリアは言うとそれ以降は黙って真昼の言葉を待った。
真昼は軽く息を吐くと、
「僕は幼いころの記憶が無いんだ」
そう言った。その声はなんでもない事のような、感情がこもっていない声だった。
「記憶が無い? 記憶喪失ってこと?」
訝しげに聞いてくるメルトゥーリアにやはり真昼は特別なことではないように話す。
「ああ、そうだよ。と言っても六歳以前の、だけど」
「それでも大変なことじゃないのっ」
「そうでもないさ。子供のころの記憶なんてどうせ誰だって大して覚えていないんだ。僕はただそれが六歳以前のことが全く思い出せないってだけの話しだ」
真昼は記憶を失った時の事を話した。
両親が言うには六歳のある日公園で、ふと母親が目を話した隙にいなくなっていたらしい。警察も交えて探したが一向に見つからず夜を迎えたが、夜の十時頃に自宅の前でぼうっと立っているのを発見された。
目立った外傷等は無かったが、今までの一切の記憶を無くしていた。そして記憶は今なお戻ってはいない。
「その後は、両親の顔や友達や知り合いの顔とか忘れていて大変だったらしいが、その辺のことは覚えていないんだ。だからどれぐらい大変だったかなんて僕にはわからない」
真昼はそこまで言ってメルトゥーリアを見ると、何と言葉を返せばいいかわからず困ったような表情をしていた。
「まぁ何が言いたいかというとだな。そうやって昔のことを忘れても、父さんと母さんはちゃんと僕のことを自分たちの子供として、愛情をもって育ててくれたと思うよ。親っていうのはきっとそうゆうものなんだろ。だからあんたの親も同じなのかもしれない。そう勝手に悲観しなくていいんじゃないかと僕は思うんだ」
いつの間にか励まされていることに気がついたメルトゥーリアは、驚きの表情を真昼に向ける。まさか真昼からこんな言葉をかけられるとは思っていなかったような顔だった。
そんなメルトゥーリアから視線を外すと真昼は、それにと言葉を続ける。
「あんたに期待しているかどうかはともかく、愛していないってことは無いと思うぞ」
その言葉にメルトゥーリアは再び訝しげな顔をする。なぜそんなことが真昼に分かるのか。
「あなたの言いたいことは分かったけど、なんでそんなことを断言できるの?」
そう言うメルトゥーリアの様子に真昼は少し考えるそぶりを見せる。
「……そうか。やっぱりあんたにも言っていないのか」
「ちょっと、何のこと? 一体何を言っているの?」
真昼はしばし考えるとあたりを見回し誰もいないことを確認する。メルトゥーリアに少し近づき声量を落として話す。
「いいか、これは僕の推測だぞ。――領主の病の原因だった魔術だが、それは寝室に仕掛けられていたのは知っているだろ?」
メルトゥーリアは、ええと頷く。その場にいたのだから知っていて当然だった。
「あんたの家は、領主の寝室にホイホイと色々な人が出入りできるのか?」
「そんなことあるはずが無いでしょう。使用人でも一部の人しか入れないのよ。――って、まさか……」
メルトゥーリアは真昼が言おうとしていることが分かったようで、一歩後退り大きく目を見開いていた。
「ああ、そうだよ。寝室に、しかも領主がずっと病で寝ている部屋になんて、普段以上に入る人間を選んで
いるはずだ。それなのにあの魔術はその寝室に仕掛けられていた。つまりは――」
「そんなことあるはずが無いでしょう!」
メルトゥーリアはバッと真昼から離れるとそう叫んだ。
「ちょっと待て落ち着け。まだ話しは終わってない」
「最後まで言わなくても分かるわ。あの魔術を仕掛けた人は……父様を殺そうとしたのは私の家族の誰かだっていうんでしょう⁉」
メルトゥーリアは興奮し叫ぶ。自分の家族が犯人扱いされて頭に血が上っていた。
「待てって、そうは言ってない。誰にも気づかれず、全く関係のない人間が侵入した可能性だってある。あんたの家族の誰かだって決まったわけじゃない」
「父様の寝室の前には常に警備の人が立っていたし、母様だってほとんど父様の近くにいた。父様の世話をする使用人だって頻繁に出入りしていた。そんな人たち全部に気付かれずに素性の知れない人が入れたって? そんなのあるはずが無いわ!」
「警備の人もあんたの母親も人間だ。人間である以上、絶対と完璧はありえない。なにか穴があってそこを突かれたのかもしれない。第一相手は魔術師だ。妙な術を使って誰にも気づかれずに仕掛けることもできるかもしれないだろ」
でもっとメルトゥーリアが反論しかけたところで口が閉じる。しばらく何かを考えるように一点を見つめてていたが、ややあって「確かにそうかもしれない」とつぶやくと、興奮して乱れた呼吸を整えた。少し落ち着きを取り戻してきたところで突然踵を返す。今にも走り出そうというところで真昼が腕を掴んで止めた。
「ちょっと待て、どこに行く」
「このことをお父様達に伝えに行くのよ。外部の人間も可能であることは分かったけど、その説明じゃ屋敷内の人の可能性もあるってことでしょ。信じたくはないけど……」
「だから待てって、ここであんたが戻って騒ぎ立てたら意味が無くなるんだよ」
「……意味って、なに?」
その言葉にメルトゥーリアは振り返り真昼の顔を見る。
「さっきあんたが言った通り、どんなに屁理屈をこねても屋敷内に犯人がいる可能性を排除することはできない。そのことはライゼル達もとっくに気がついているさ。だからあんたを僕の嫁に出すなんて言い出したんだ」
「……言っていることが分からないんだけど。それとこれと何の関係があるの?」
メルトゥーリアが屋敷へ戻ろうとする気配が無くなったのを確認すると、真昼は腕を離した。
「関係あるだろ。屋敷の中に領主を殺そうと考えた奴がいる、そいつが領主以外の者を襲わないとも限らない。だからと言って誰が犯人なのかの検討もついていない状態で、みんなで屋敷から出て行くわけにはいかない。そこで犯人も一緒に出て行ってしまったらもう捕まえるのは困難になるからな。だから、できれば屋敷の中に閉じ込めておきたい。その状態で姿を消した者がいればそいつが犯人だってことになるからな。でも屋敷内が危険であることには変わりない」
真昼の言葉をメルトゥーリアは黙って聞いていた。
「だからせめて確実に犯人ではない事が分かっており一番守るべき対象である、あんただけは屋敷の外に出してあげたかったんだ。そこで僕に嫁にやるなんて話しを作り、僕の屋敷で暮らすように仕向けた。相手は魔術を使う。そして僕も僕魔術を使う。もし犯人があんたを追ってきても僕の近くに居れば、屋敷内よりは安全だと考えたんだろう」
僕の魔術はその辺の魔術師よりも上だとライゼルは思っていそうだしな、と真昼は付け加えた。
メルトゥーリアの顔に理解の色が浮かぶ。
「あなたいつの間にそんなことを父様達と相談したの?」
「初めに言っただろ、これは僕の推測だって。これに気がついたのは昨日寝る前だったけど、さっきの快気祝いで正しいと思ったよ。普通あんな祝いの後なら娘を一晩だけでも泊まるよう言うものだけど、そんなそぶり一切なく送り出したからな。あんたをなるべくあの屋敷に留まらせたくなかったんだろうさ。――わかっただろ? ここまでするのはあんたのことを大切に思っているからだ。そうじゃなければこんな芝居うたないさ」
メルトゥーリアはしばし何かを考えるように空を見上げていたが、大きく息を吐くと視線を足元に移した。
「私、どうすればいいのかしら。どうすれば父様達のお役に立てるのかしら」
「……この件に関していえば何もしないこと、だろうな。あんたじゃあ何も出来ないさ。でもそれは僕も一緒だ。犯人が分かればやりようはあるけど、見当もついていないんじゃあ僕には何もできない。犯人捜しはライゼル達に任せるしかない」
もしも内部に犯人がいたとして、部外者である真昼に分かるとは到底思わなかった。
「でもそれじゃあ、なんだか気持ちが落ち着かないわ」
そうだな、と真昼は考えるとあることを提案する。
「あんた言っていたな。僕の妻として父親にいいところ見せるって。今回のことはひとまず忘れて、まずはそのことだけに頭を使えばいい。下手に意識して領主宅から遠ざかるような事をすると逆に危ないかもしれない。――まぁ領主宅に行くときは僕も行ってやるよ。僕と一緒ならまず大丈夫だろ」
メルトゥーリアは少し真昼の顔を見つめた後しばしあれこれ考えている様子を見せる。ややあってまた真昼の方を向いた。
「仕方がないわね。じゃあそうさせてもらおうかしら。……あと、これからよろしくね」
「ああ、お手柔らかに頼むよ」
真昼はそう言いながら苦笑を返すと、
「それと、礼を言うわ。なんだか私の事いろいろ考えてくれていたみたいだし。……本当にありがとう」
メルトゥーリアは柔らかく笑って返した。
なんだかこうやって話し合って、メルトゥーリアのことが分かったような気がした。
初めはどこかの誰かのように何かと突っかかってくる鬱陶しい奴だと思ったが、案外そうでもないかもしれない。カルディナであるフィーネに対しても嫌がらせのようなことはしないし、料理も初めは文句を言いつつもすべて食べていた。バアトやライゼルに言われたからかもしれないが本当は、根はやさしい家族思いの奴なのかもと真昼は思った。
「あ、そうだ。あなたに言っておきたいことがあったの」
真昼の屋敷へ歩き出すメルトゥーリアを、真昼も追いかけるように歩き出す。
「なんだよ?」
「私の名前。あんたじゃなくて、私にはメルトゥーリアっていう名前があるのよ。ちゃんとそう呼びなさい」
そう言えばそうだと、真昼は思う。しかし、メルトゥーリアっていうのは何だか呼びにくそうだ。
そんな真昼の心を読んだのか、
「特別にあなたにはメルって呼ぶことを許してあげるわ。メルトゥーリアじゃあ言いにくいでしょうし。それに私の家族はみんなそう呼ぶのよ」
メルトゥーリアはそう言った。
「……僕、あんたの家族じゃあないんだけど」
「分かってるわよそんなこと! でも一応私の婚約者なんだから特別にと思って――」
「はいはい。じゃあ、ありがたくそう呼ばせてもらうことにするよ、メル」
「……初めから素直にそう言えばいいのよ」
素直じゃないのはどっちだよ、と真昼は思う。
真昼も名前で思いだした。
「そういえば僕の名前、言ってなかったな」
「それは大丈夫よ。ライ兄様から聞いているわ。――アヒルっていうんでしょ? なんだか変わった名前よね」
その言葉に真昼の怒りは一気に頂点に達した。
「アヒルじゃない! 真昼だ、ま・ひ・る! 僕の名前は真昼だ!」
突然、鬼の形相で怒りだした真昼にメルは困惑する。
「な、なによ。そんなに怒らなくてもいいじゃない。ちょっと間違えただけでしょう」
「ちょっとじゃない! お前だって自分の名前を呼ばなかったら文句言ったじゃないか! ちょっと間違えて胸が小さいって言ったら怒っただろうが!」
「なっ! 今胸のことは関係ないでしょう!」
「大ありだ! 物事には間違えてでも言ってはいけないことってのがあるんだよ!」
「あなたの名前をちょっと間違えたのがそんなに大きなことの訳ないでしょう!」
「僕にとっては大きなことなんだよ!」
言い争いをしつつ二人は屋敷へ向かい、出迎えたフィーネをかなりうろたえさせた。
前言撤回。やっぱりこいつは嫌な奴だ。