第04話 メルトゥーリアは語る(1)
「しかし、いつの間に用意したんだ? こんなスーツ」
自分の世界に戻ってきた真昼は着なれないビジネススーツに悪戦苦闘していた。
というのもさすがに二日も戻らないのは悪いだろうと思い戻ってきた直後、眞麗に怒られ、かと思えば慌てた様子でスーツを差し出してきた。真昼は訳も分からないまま眞麗の気迫に押されこうしてスーツに袖を通している。
「黙って帰らなかったことは悪かったけど、そろそろ説明してくれよ」
なかなか形にならないネクタイに手がもつれる思いをしていると、眞麗が代わりに締めてくれた。
「実は今日、日本自然発電所の管理局の方がお見えになります」
「……え、まじ?」
「はい、といっても初めの顔合わせをするだけですが。これからよろしくお願いしますという話しをするだけですので、そんなに緊張しなくて大丈夫です」
はい、できましたよと眞麗は真昼の胸のあたりをぽんっと触れる。ネクタイは主張しすぎない程度の大きさの逆三角を作っていた。手慣れたものだなと真昼は思った。
「それで、マギカルト鉱石はどうなりました? さすがにもうあちらの世界の樹里男様の屋敷にあるんですよね?」
真昼は思わず「うっ」と唸った。眞麗は目ざとくそれを見つけると詰め寄ってくる。
「どうしたのです? まさか誓約書を無くしたとか言いませんよね?」
さすがに隠せることじゃないと真昼は観念して事の経緯をすべて話した。
「はぁ? 全部いらないって言っちゃった⁉」
案の定眞麗は驚くとため息をつき真昼に嫌味を言う――と思ったらそうはならなかった。何やら頭を抱え考え事をしている。
こんな眞麗を真昼は初めて見た。
「どうしたんだよ、なにかまずい事でもあるのか? 今日はあくまで顔合わせなんだろ?」
「はいそうです。ですが、今日の日程を決める際にマギカルト鉱石をすでに手に入れたことを連絡してしまったのです」
「まじか……。でもさ黙っていれば分からないんじゃないか? まだあっちの世界に置いていて持ってきていないとか言ってさ」
「……いえ、さすがにそれは出来ません。先方は国の人間です、ウソがばれたらどうなるか見当もつきません。第一、一時しのぎの嘘をつくのは社会人としてご法度です」
至極まっとうなことを言われ自分の考えの甘さに少し落ち込んだ。
眞麗は携帯電を取り出すと電話を始めた。おそらく相手は今から会う人だろう。
真昼は少しこれからのことが憂鬱になった。
ほどなくして約束の十一時きっかりに家の前にやってきたのは黒塗りの高級車――ではなく、普通の自家用車だった。
その車から降りてきた二人の男に真昼は、本当にこの人たちが? と疑っていたが男の言葉に信じるしかなかった。
「初めまして。私、経済産業省、自然エネルギー政策局の黒部と申します」
やせ型で眼鏡をかけた男はそう言って真昼に名刺を差し出した。
名刺の受け取り方なんて知らない真昼は、取り敢えず卒業証書を受け取るように名刺へ手を伸ばす。手にした名刺に目を落とすと先ほど男――黒部が言った通りのことが書かれていた。役職は局長らしい。
「それと、隣にいるのは部下の佐々木です」
黒部に佐々木と紹介された男は少しばかり緊張気味に名刺を差し出した。受け取った名刺を見れば、当たり前だがこの人も自然エネルギー政策局の人間らしい。役職は特に書いてなかった。
真昼も自己紹介をした後、互いにこの度はお忙しいところお時間を――と言った決まり文句を言い終えたところで屋敷の一室に場所を移した。
「まずは先ほどお電話でもお伝えした件ですが、手にしたとお伝えしたマギカルト鉱石を手違いにより手放すことになってしまい、誠に申し訳ございませんでした」
頭を下げる眞麗に、黒部は怒るどころか逆に笑いながら軽く手を振った。
「いえいえ。その件は先ほど話した通り、なにも問題はありません。こちらもマギカルト鉱石の供給が一年以上も断たれていた所の吉報で、すこし急ぎすぎたのです」
そう返す黒部に、ありがとうございますと眞麗は言う。そんな真面目に応答する彼女の姿に真昼は違和感バリバリだった。
「それに今日のメインは顔合わせですしね。と、いう訳で加我戸君。君は勉強の成績はいい方ですか?」
突然話しを振られ、しかも関係なさそうな質問に、反射的に「え、ええ、そこそこは」と返事をした。同時に苗字で呼ばれるのは随分久しぶりだなと思った。
「そうですか。では、我々が携わっている日本大規模自然電力発電所についても知っていると思っていいですか?」
「ええ、学校で習った範囲の事でしたら」
というか、つい二日前に眞麗から説明されたばかりだ。
「では我々と君のお祖父さん、戸渡樹里男さんとの関係も?」
真昼が頷くと、
「それについては既に説明をしております」
と眞麗が補足を入れた。
「そうですか。では私共からご説明差し上げることは何もありませんね」
黒部はにっこり笑うと満足そうに頷いた。
「それに加我戸君は異世界への渡航一日目で鉱石を手に入れる程優秀なようですし、何も心配はいらないですね」
「いえ、優秀だなんてそんなことは」
「謙遜しなくてもいいと思いますよ。こんなに早く手に入れられるなんて普通は出来ないことです。今後の成果を期待するには十分だと思います」
真昼が礼の言葉を返すと、黒部は、ただと付け加えた。
「申し訳ないのですが、戸渡さんが持っていらした鉱石にも限りがあります。それらがなくなる前までには鉱石を持ってきて頂きたいのです。それが無くなってしまうと日本は今の発電量を維持できなくなってしまいますので」
「それって、あとどれぐらいの猶予があるんですか? 祖父が持ってきていたマギカルト鉱石はどれぐらいなんですか?」
これは前々から気にはなっていた。樹里男が死んで既に一年が経過している。いかに樹里男といえども何十年分ものマギカルト鉱石を集められるとは思えなかった。
黒部はうーんと唸ると、口を開く。
「そうですねぇ……あと大体半年といったところでしょうか」
は、半年だって⁉ と思わず叫びそうになったのをかろうじて堪える。
半年……長いような気もするし短いような気もする。それだけの期間でマギカルト鉱石の入手経路の確立が可能かどうかなんて真昼には分からなかった。
しかし、これを過ぎれば日本の未来はどうなるか分からないと、少なくとも今の状態は維持できなくなるだろうと黒部は言った。
この後は「異世界にはもう慣れたか」とか「どうやってマギカルト鉱石を手に入れたの」と言った雑談に終始した。
黒部は常に何か含みを持たせた言い方をするが特に意味はないようで、どうしても胡散臭い印象拭えなかった。ちなみに佐々木は挨拶の時と帰るときに口を開いた程度でほぼ何も言わなかった。
最後に「困ったことがあったら何でも相談してくださいね」と言うと黒部たちは帰っていった。
ふーっと息を吐くと軽い疲労感に気がついた。意外と緊張していたのかもしれない。
ある程度落ち着いたところで真昼は考えた。
マギカルト鉱石があと半年で尽きる。そうなれば日本は打撃を受ける。別にいいじゃないかと真昼は思う。この世に復讐を考える身としては絶好の機会だ。なにより日本の未来は自分がマギカルト鉱石を持ってこられるかにかかっている、つまり日本の未来は自分が握っているといっても過言ではない現状が、少し心地よくも感じた。
「真昼様。念のため言わせていただきますが、あまり半年という期間にプレッシャーを感じる必要はありません」
そう言ってくる眞麗に真昼は首を傾げる。
「なんで? あと半年で日本は終わっちゃうかもしれないんだろ?」
「そんなことあるはずありませんよ」
また眞麗は自分をからかっているのかと思ったが、その真面目な表情からどうやら違うらしい。
「あと半年で日本の経済基盤が壊れるのなら、こんなに悠長にしているはずがありません。もっと慌てているはずです」
「それは、慌ててもどうにもならないからじゃないのか? 僕にしかあっちの世界には行けないんだから」
「もし本当にそうだったとしたら真昼様を指示下において、早急な鉱石の確保を行うはずです。逐一状況を真昼様に報告させて最短経路に導くなどの対策を行うはずです。しかし今はそんな兆候はありません」
そう言葉を紡ぐ眞麗は少しばかり怒っているように感じた。
「大体、本当に後半年しかないのなら現在より発電量――鉱石の使用量を減らすなどして延命を図るはずです。ですが私の知る限りそう言った話しは聞きません。つまり、残り半年は真昼様を焦らせる為のハッタリである可能性が高いです。その半年という期間を用いて何をはかりたいのか分かりかねますが、少なくとも十七歳の子供に行うようなことではありません」
眞麗は一気に捲し立てると一旦間を置いた。
「ですので、真昼様にはそこまで半年という期間を意識する必要は無いと私は思います。半年以内にどうにかできたらいいな、ぐらいの感じでよいかと思います」
普段見ない眞麗の姿に真昼は少しあっけに取られた。
「……珍しいじゃん。眞麗さんがそこまで感情的になるなんて」
図星だったのか、眞麗はたじろぐ様子を見せると、中指で眼鏡の端をくいっと上げた。
「先ほども言いましたように、こんな試すようなやり方は良くないと思っただけです。それに樹里男様のおかげで今の日本があるというのに、それを当たり前とでも言いたげの、あの態度が私は好きではありません」
真昼は意外に思った。まさか眞麗がそのように思っていたなんて。
「それにあの黒部と言う男、なんか苦手なんですよね。何を考えているか分からないというか。意味もなく含みのある言い方をするのが特に」
「……あっははっ。なんだよ、それ」
眞麗の言葉に真昼は思わず吹き出す。黒部に対する印象が眞麗と同じだったことがなぜかおかしかった。真昼につられたのか普段滅多に笑わない眞麗も少しばかり笑っていた。
少しの間笑った後、真昼は眞麗に聞きたいことがあったのを思い出した。
「そうだ、眞麗さん。イルフェナという名前に聞き覚えは無いか?」
それは夢の中に現れた女神の名前だった。初めて夢に出てきて以降は一度も会っていない。
「イルフェナ、ですか。いえ、私に聞き覚えはありませんね」
「じゃあ、祖父さんから女神について何か聞いていないか?」
女神という単語に眞麗は訝しげな顔をする。
「真昼様、もしかして変なことに騙されているんじゃないですよね?」
まぁそう言うのも分からなくは無いなと真昼は思う。そう思われるのも面倒なので夢でのことを説明した。
「女神イルフェナですか……。私はその名前に覚えはありません」
「そうか……」
心のどこかで眞麗であれば知っているだろうと思っていた。期待が裏切られたような気がして真昼は少し落胆する。
「と、言ますかフィルネアさんが亡くなっていたという事は今初めて聞きました。フィーネさんのことも。何故黙っていたのです」
「え、いやぁ、単純に忘れてたというかなんというか」
「……まぁいいでしょう。ですが今後はこのようなことが無いようにお願いします。――話しを戻しますが、その女神は確かに樹里男様から頼まれた、そう言っていたのですよね」
「ああ、間違いない」
「そして、真昼様が知らないような、フィルネアさんの命日も知っていた。――不思議な方ではありますが、私から見ればあちらの世界自体が不思議に満ちているので、女神という存在が夢に現れるということ自体が、異常なことなのかどうか分かりかねます」
言われてみれば確かにそうだと真昼は思った。あちらの世界では夢に女神が出てくることが結構平常的なことなのかもしれない。
「なんにせよ、私の方でも女神について調べてみます。ただ、あまり期待はしないでください。何分情報が少なすぎますので」
「ああ、頼むよ。僕も他に何かわかったら伝える」
分かりましたと眞麗の言葉を聞くと真昼はまた異世界へ行くための準備を始める。
正直女神本人に聞くのが一番手っ取り早いのにと真昼は思う。夢に出てくるのには何か法則があるのだろうか。それとも単純に女神の気まぐれなのだろうか。
再度夢の中の女神を思い出してみれば、後者なような気がしてならなかった。