第02話 カルディナとは(5)
真昼の登場により魔物の数は目に見えて減っていき、数が減れば魔物一体に対応できる兵士が増えることもあり、討伐速度は飛躍的に上昇した。
さらに一体魔物を倒した真昼は辺りを見回す。気がつけば、残りの魔物は数える程しかいなくなっていた。
「ふう……あと少しだ。あと、四体くらいか? それを倒せば終わりだ」
真昼は顎を伝う汗を拭う。ただ遠距離から魔法を使うだけとはいえ、かなり疲弊していた。
あと少しだと思う一方、もう十分働いたのではとも思う。兵士の数が魔物を十分すぎるほどに上回っている現状ではもう無理をしてでも頑張る必要は無いように思う。トレイバを初めとした一部の兵士たちの間でも勝利ムードが漂っていて、上官らしい人から気を抜くなと叱咤する声が聞こえてきた。
その時だった。
どこからか男の野太い叫び声が轟く。その悲鳴とも断末魔とも聞こえる声に、兵士たちの勝利ムードで気が抜けていた顔に緊張が戻る。
兵士たちの視線を追って真昼もそちらを向いてまずその目に飛び込んできたのは、次々となぎ倒される兵士の姿だった。ある物は地面に倒れ伏せ、ある物は宙を舞っている。
まだ立っている兵士たちが武器の切っ先を向ける先にその元凶がいた。
屈強な兵士二人分はゆうにあるその巨体は、真昼の身体よりも太い二本足で立っていた。遠目から見ればそのシルエットは熊のようであるが体毛は一切無く、瞼が閉じても収まらない程にぎょろりと目玉が飛び出ていた。
剛腕を横に振るたびに当たった兵士はおもちゃの人形のように軽々と宙を舞い、巨大な手から伸びる太く鋭利な爪は、兵士が持つ盾など紙切れのごとく薙いでいた。
その熊型の魔物を先頭に後ろからは、残り少なくなっていた狼型の魔物がぞろぞろ歩いてきていた。その数は少し見ただけでも十体以上はいるのが分かる。
「おいおい、マジかよ……。あんなのがいるのかよ……」
そう口に出す真昼と兵士たちの気持ちは同じらしく、「なんであんな魔物がこんなところに」「あんなのこの辺じゃ見たことないぞ」といった声がそこかしこから聞こえた。
兵士たちは熟練兵士と思われる人からの怒声と指示が聞こえるとすぐさま陣形を組みなおし魔物に向かう。その動きは熊型の魔物を倒すことは不可能と判断したのか、町から離すことを主とした動きに見えた。
あの魔物を倒すのは普通の人間には無理だというのは真昼も同意見だった。しかし、真昼は普通の人間には無い力を持っている。
「僕なら、やれるはずだ」
真昼はスマホに目を落とし、強力で周りの兵士に被害が出なさそうな魔法が無いかを探す。いくらこれでは人間を殺せないとは言っても味方を攻撃するのは気が引けた。
焦りから汗で滑り落としそうになるのを注意しつつスマホを操作していると、女の悲鳴が聞こえた。また誰かやられたのかとその声の方を見て、真昼は我が目を疑った。
「フィーネ⁉ な、なんでっ……!」
ここにいるんだ、とまでは驚きのあまり声が出なかった。しかし、ここにいるはずが無いと思うフィーネは確かにここにいて、今まさに狼型の魔物に足を噛まれ引きずられている。
「くそっ! フレア・ブレット!」
真昼のとっさの魔法は、距離の遠さと魔物の視界に入っていたことから当たるはずもなく、ひらりと避けられてしまう。けれど、魔物をフィーネの足から離し距離を取らせることには成功した。しかし、足を負傷しているフィーネは立ち上がる事すらできずにいる。
この距離ではいくら魔法を撃っても当たらない、近づいている間にまたフィーネは攻撃される、そう思った真昼はフィーネの近場にいる兵士に向かって叫ぶ。
「そこに一般人がいます! 助けてください!」
熊型の魔物に注意を向けていた兵士が真昼の声に驚きフィーネの方を見る。
これで少なくともフィーネが魔物に攻撃され続けることは無くなると真昼は思った。
しかし現実は、真昼の思う通りに動かなった。
兵士はフィーネを見ると、視線を外し再び獣型へ注意を向けたと思ったら叫んだ。
「馬鹿を言うな! 今はカルディナなんかを助けている余裕なんて無いだろうが!」
初め何を言っているのか真昼は分からなかった。いや、本当は分かっているのだ。
「ふざけるな!」
真昼は駆け出すと、フレア・ブレットを魔物に対して何度も放ち続ける。当たらなくてもいい、今はただフィーネに近づけさせてはダメだ。
真昼の思惑は上手くいき、魔物に攻撃をさせる隙を与えないままどんどん近づいていく。すでに先ほどまでトレイバと戦っていた時に開けていた距離に達していたが、真昼は足を止めず走り続ける。先ほどと違い注意を逸らす相手がいない以上できるだけ近づく必要があると思ったのだ。
ひたすらにフレア・ブレットを放ち近づく真昼に、魔物は魔法が当たらない軌道を見つけて跳躍、真昼に飛び掛かってきた。
急に狭まる魔物との距離に真昼は動揺することなく、この距離ならば避けられないとフレア・ストライクを発動する。突然目の前に現れた炎に空中で制動がきかない魔物はどうすることもなくただ突っ込むとそのまま直撃した。
炎と魔物が目の前で衝突し、爆発した際の衝撃で魔物と一緒に真昼も吹き飛ばされる。背中で着地し痛みに耐えながら上体を起こすと、魔物が霧散していくところが見えた。
このまま横になっていたいという思いを無視して立ち上がると、フィーネへ近寄る。
「大丈夫か? つーかお前何でこんなところにいるんだよ」
「ご、ごめんなさい……。あのあの、わたしご主人様が呼んでいるって聞いて……」
そう言ってフィーネは立ち上がろうとするが、足の痛みに再びしりもちをついた。
魔物に噛まれたふくらはぎは歯によってできた穴がぽっかりと開いていて、止めどなく血が溢れている。
「じっとしていろ。今治してやる」
真昼はあらかじめ確認しておいた治癒系の魔法を探し出し、その名前を確認する。
「これだ、ヒール・ライト」
ふくらはぎの傷に光が灯ったかと思うと、光が消えた時には開いていた穴は完全に塞がっていた。残った血を拭えば、もはやどこに傷があったのかなど分からないほどに綺麗に無くなっていた。
「わーすごいです、ご主人様! 痛みも全然無くなっています」
フィーネはふくらはぎをさすりながら感動していた。
真昼がほっとしたのも束の間で、先ほどの兵士の言葉が頭をよぎる。フィーネを助けてくれと言った時の、あの時の光景が頭の中で蘇る。
兵士は言った「馬鹿を言うな」と、「カルディナなど助ける余裕は無い」と。そう言って兵士はフィーネを無視して、助けることなく別の魔物へ向かって言った。
頭の中が何故という言葉でいっぱいになる。
いや違う。そんな事とうに分かっているだろ。
あの兵士の言動に今さら何故などと疑問に思う必要などまったくない。なぜなら今まで見てきた人達の言動と少しも違うところなどありはせず、なによりその兵士が答えを口にしている。
いわくカルディナだから。いわく劣等種族だから。
その命は他の人間よりも軽いのだろうか。今フィーネが魔物に殺されても、カルディナなんか、と言われるのだろうか。
馬鹿を言っているのはどっちだと真昼は思う。
真昼はふらりと立ち上がると、そのまま混迷している魔物と兵士達の方へと歩いていく。
「ど、どうしたんですか?」
フィーネの声は、真昼には全く届いていなかった。
真昼はゆっくりとした足取りで魔物の方へ近づくと、ゆっくりとした発音で言葉を紡ぐ。
「ライトニング・ヴァイアラント」
突如上空に真っ黒い靄が集まってきたかと思うと、その靄から雷光が辺り一面に降り注ぐ。普通の人間にはただ光の線が一瞬現れたようにしか見えないその雷光は、魔物の数だけ降り注ぐと、すべての魔物を撃ち抜き消滅させた。
それは、万が一の時の為にと事前に調べていたが、他の兵士達に当たるかもと使わないでいた魔法だった。
しかし、今の真昼にとっては兵士に当たろうがそんなこと知ったことではなかった。
突然の出来事に兵士達は身動き一つとれないでいた。しかし、そんな兵士達とは対照的にふらふらと動く大きな影が一つ。
「まだ残っていたのか。見かけ通りしぶといな」
真昼が見据える先にいたのは熊型の魔物だった。あの魔法を受けて生きているとは、とその場にいた全員が思ったが、その足取りはおぼつかず、今にも倒れそうなところをかろうじて踏ん張っている状態だった。
真昼は熊型の魔物を見ると、無毛の皮膚とぎょろりと飛び出た目玉という気持ち悪い姿にさらに苛立つと、力の限りに叫ぶ。
「僕の……僕の目の前から消えてしまえ! フレア・ストーム!」
真昼の声に呼応するように魔物を中心に炎の渦が生まれ、その身体は飲まれていった。聞くに堪えがたい鳴き声のような音がしばらく続いた後、突然ぱったりと止んだ。炎の渦が掻き消え、砂ぼこりが晴れると、そこに魔物の姿は見る影もなくなっていた。
あれだけいた魔物も、倒すことが不可能と思っていた魔物も、そのすべてがいなくなった現状にしばし呆然としていた兵士達だったが、やがて誰からともなく歓喜の声を上げる。その声は別の兵士達へと伝播していき、この場は歓声に包まれた。
勝利への立役者である真昼へ様々な声を送る兵士達。中には真昼へ近づき背中や頭をバシバシと叩く者もいる。その中にはトレイバや、フィーネを見捨てた兵士もいた。
誰も彼も、この場にいるすべての人がその喜びを身体全体で表現していた。
真昼を除いて。
真昼はそれらを振り払い俯いたまま、フィーネの元へと歩き出す。フィーネの顔がはっきりと見える距離まで歩いたところで、兵士達の歓声で騒がしい中、その声ははっきりと真昼の耳に届いた。
「さすが、大魔導士の孫といったところだな」
その聞いたことのある声に、真昼の顔は一層厳しくなると声の主へと振り返る。
「リーリアム。……お前何でここにいる」
リーリアムは口元を笑みに歪ませると、腰に差した剣を抜き切っ先を真昼に向ける。
「何で、とはご挨拶だな。見てわからないのか? 俺もこの戦いに加わっていたんだよ」
無言で睨み続ける真昼を鼻で笑うと、リーリアムは剣を鞘に納める。
「――それと、なーんか町をうろうろしていたカルディナがいたから親切にご主人様の元に案内してやってたところだ」
その言葉ですべて理解した。なぜフィーネがこんな場所にいたのか。
「リーリアム、お前か。フィーネをこんな戦いの只中に連れてきたのは」
「ああ、そうだよ。俺ってば優しいだろ?」
まったく悪びれる様子もなく言うリーリアムに真昼はもう我慢出来なかった。右手で強くスマホを握ると、胸の高さまで上げる。
あいつは、このままのさばらしておいてはいけない奴だ。
なおもニヤニヤと笑うリーリアムを睨みつけながら、真昼が口を開きかけた時、
「リア、なにをやっている! お前には北門の陣頭指揮を命じていたはずだろう。なぜここにいる!」
大声を上げながらライゼルがリーリアムに向かって歩いてきた。
「ライ兄か。いやなに、北門には魔物が全く来なかったからな。忙しそうな東門の手助けに来たんだよ。――それにここにはちっさい魔術師がいるって声が聞こえてきたしな」
「まったく、お前は勝手なことをするなとあれほど……。まぁ今はいい、それよりすぐ北門へ戻り撤収の指示を待て。魔物の全滅が確認でき次第連絡を寄越す」
リーリアムは、へいへいと返事をすると急ぐ様子もなく北へ向かっていく。その背中に真昼は舌打ちをしてスマホをポケットにねじ込んだ。
ライゼルは兵士達に周囲の警戒と残りの魔物がいないことの確認、負傷者の救護を素早く指示すると真昼に向き直る。
「しかし驚きましたよ、真昼様。魔術師が強力な魔術ですべての魔物を倒したと連絡を受け来てみれば、まさかその言葉の通りとは。我が兵が束になっても太刀打ちできない魔物も出たと報告が来ましたが、その直後にはもう倒されたと報告があった時は我が耳を疑いました。さすがはジュリオ様のお孫さまといったところですか」
ライゼルは驚嘆と賛辞の言葉を並べたあと、それに対し全く反応を見せない真昼に心配そうに眉根を寄せる。
「どうされましたか真昼様。もしやどこかケガでもされましたか? すぐに救護の者を呼んで――」
「一つ聞いてもいいですか」
「……はい。なんでしょう」
静かに声を発する真昼を、言葉を遮られたことに一切の不快感を見せずに、ライゼルはうつむく真昼の頭を見つめ次の言葉を待った。
「……カルディナとは何ですか? あなたにとってカルディナとはどのような存在ですか」
「それについてはレイルから説明申し上げたと聞いておりますが」
「……過去に大罪を犯した劣等種族で、奴隷のような扱いを受けることが当たり前の存在、ですか?」
その言葉にライゼルは、その通りですとしっかりと頷く。それを聞いた真昼は言葉を続ける。
「つまりは、その命はこの中の誰よりも軽く優先順位は低く、他の人の為に見捨てても仕方がない、と言う事ですか」
「はい。我々は幼いころからそう教育され、そして親もその親もずっとそのように扱ってきました。それは間違えようのない事実です」
ライゼルのはっきりとしたその言葉に真昼の中で何か弾けた。
「そうかよ! やっぱりあんたも本質はリーリアムと同じなのか! あんただけじゃないここにいる全員、すべてが! 人の命をなんとも思わない奴ばかりか!」
そんなのおかしいだろうと真昼は思う。人は死ねばもう帰ってこないというのに。
「それは違います。それに当てはまるのはカルディナのみであり、我々の命の重さは皆平等です」
「それがおかしいっつってんだよ! 命に優先順位なんて無いのにあんた達はそれを勝手に決めてそれをみんなに強いてるんだ!」
「それは我々が決めたことではありません! その時代の王が、そして世界中の意思がそう決めたのです」
「世界の意思だと⁉ 世界が決めたことなら、みんなみんなそれに従うっていうのかよ、従わなければいけないっていうのかよ!」
真昼は決壊したダムの水のように溢れ続ける言葉に、もう歯止めが利かなくなっていた。
「世界が命の優先順位を決める⁉ そんなこと認められるかよ! だって、それなら……世界に殺された僕の家族は、命の優先順位が低かったっていうのかよ!」
そこまで言って、真昼はハッとする。自分の言葉に、興奮しすぎて飛躍した自分の思考に、嫌悪感が押し寄せる。それを口に出した自分に嫌気がさす。
真昼は視線を地面に落とすと、そのままふいっと踵を返しこの場を離れるように歩き出す。
「お待ちください真昼様! どちらへいかれるのです⁉」
問いかけを無視して歩き続ける真昼にライゼルは声を発し続ける。
「お待ちください、まだ話しは終わっていません! 我々の間にはきっと誤解があるのです!」
このまま真昼を行かせてはいけないとライゼルは言葉を探すと、マギカルト鉱石が思い当たった。
「その……そうだ。今回の報酬についての話しがまだ終わっていません。それに山賊退治の時の報酬についても――」
ライゼルの言葉に真昼は振り返ると、後ろポケットに入れていた、ライゼルからもらった誓約書を取り出す。それは先ほどの戦いのせいですっかりくしゃくしゃになっていた。
それを両手で持つとビリビリと破りだす。誓約書は破られるたび次第にその一片が小さくなっていった。
「それも! これも! 全部いらねーよ!」
真昼が手の中の紙をライゼルに投げつけるように放ると、小さい紙切れとなった誓約書は風に吹かれてばらばらになっていった。
その場にいる誰もがひらひらと宙に舞う紙切れの行方を目で追っている中、ライゼルだけは去り行く真昼の背中を見ていた。