第七話
それから、なんとなく日々は流れていった。
ホタルの一件以来、太陽と由梨はどことなくぎこちない関係が続いていた。太陽としては自分があれだけ熱心に誘ったのに、由梨が自分の誘いに応じてくれなかったことが不満だった。興味がないのは仕方ないとしても、もっとべつの反応の仕方があるんじゃないのか、と、太陽は思った。由梨は由梨で太陽がよそよそしい態度をとっていることに反発しているのか、機嫌が悪かった。太陽が何か話しかけても、まともに返事を返さなかった。
そんな状態が二週間近くに渡って続いた。
それまでは夜眠るときは一緒に眠っていたのだが、最近は太陽がソファーでひとりで眠るようになった。べつに由梨に強要されたわけではなく、太陽が自主的にそうしているだけだった。太陽はそうしてひとりでソファーにタオルケットを被って横になりながら、しばしば真剣に由梨と別れることを考えた。
考えみれば、ホタルのことにしても、なんにしても、俺と由梨はもともと趣味が合わなかったのだ、と、太陽は思った。いつも自分が由梨に対して譲歩していた気がすると太陽は感じた。そしてそんなのはどう考えても不公平じゃないか、と、太陽は思った。どうして自分はこんなに色んなことを我慢してまで由梨との関係を続けているのだろうと太陽は疑問に思った。
そう思うと、感情が泡だって太陽は上手く寝付くことができなくなった。そんなとき、太陽はよく昔好きだったひとの顔を思い浮かべた。それからそのイメージは、すぐに吉川美穂の姿に変わった。
吉川はこの前話していた通り、本当に会社に辞表を提出したようだった。実際に事務所を去るまでには手続きや、残務整理などあって少し時間がかかるようだったが、それでも吉川は少しずつ事務所にある自分の荷物をまとめはじめていて、太陽はそんな吉川の姿を目にするたびに、寂しい気持ちになった。ほんとうに彼女がこの事務所からいなくなってしまうのだ、と、喪失感を感じた。
「会社を辞めたらすぐに東京にいってしまうん?」
と、太陽は休憩時間中に吉川になんとなく尋ねてみた。すると、吉川は太陽の顔を見て、
「いや、しばらくは実家に帰ってちょっとのんびりするつもりです」
と、少し申し訳なさそうに笑って答えた。
「就職してからあまりゆっくり休んだことってなかったから、この機会に旅行とか行ってリフレッシュにしてみるのもいいかなって思って」
「そうなんや」
と、太陽は吉川の答えに短くに頷くと、
「でも、大阪からはいなくなってしまうんやな」
と、名残惜しい気持ちになって言った。
そう言った太陽の科白に、吉川は、
「そうですね」
と、口もとで弱く微笑して頷いた。
太陽が由梨と本格的な喧嘩をしてしまったのは、吉川が会社を去ることになった一週間前のことだった。
その日は祝日の一日前だった。しかし、由梨は会社の都合で急遽明日休日出勤しなければならなくなったようで機嫌が悪かった。
そしてそういう日に限って、池田が太陽の家に遊びに来た。
池田は明日が休日だということもあってか、太陽の家に居座ってなかなか帰ろうとはしなかった。由梨が早く帰って欲しそうな空気を出しているのにも関らず、池田は深夜の一時過ぎまで居てようやく太陽の家をあとにした。
池田が太陽の家の玄関を開けて出て行くのと同時に、由梨は池田に対する不満を口にした。こっちは明日朝が早いと言っているのにどうして気を使わないんだというようことを由梨は口にした。
太陽は開口一番に、友人のことを悪く言われたことが気に食わなかった。それでなくても太陽は由梨に対するわだかまりがここニ週間ばかり溜まっていた。だから、その日はいつにも増して激しい口論になった。
気がつくと、太陽は由梨に向かって「出でいけ」という言葉を口にしてしまっていた。
「お前の顔なんてみたくない」と口にしてしまっていた。
売り言葉に買い言葉で、由梨もわかったと答えると、わたしもあんたの顔なんて見たくないと言って部屋を出て行った。
いつもなら少し言いすぎたかなと反省するところだったが、その日は太陽は激しく興奮していて反省することすらしなかった。
家を出て行ってから三日経っても由梨は帰ってこなかった。
これまでにも何度か喧嘩したことはあったが、今回はもう本当に駄目かもしれないな、と、太陽は寂しい気持ちにならなくもなかった。なにしろ由梨とはもう四年以上の付き合いだ。彼女のことがほんとうに好きかどうかはわからなくても、家族のことを想うときのような愛情はあった。
でも、だからといって、太陽は自分の方から謝る気持ちはなかった。自分は何も悪いことは言っていない、と、太陽は思った。もしこれで由梨が自分と別れることを望むのであれば、そのときはそのときだ、と、太陽は意地になった。