第六話
その日、太陽は家に帰ってからもずっと吉川のことを考え続けた。
吉川が別れ際に見せた、あの元気のない表情が忘れられなかった。太陽は吉川のために何かしてあげたいと思った。でも、何をどうすれば吉川を元気づけてあげることができるのか、何も思い浮かばなかった。
「ちょっと、聞いているの」
と、唐突に、太陽は横から耳をひっぱられた。
一体なんだろうと思って太陽が耳の引っ張られた方向を見てみると、となりに座った由梨が不満そうな表情を浮かべている。
「どうしたん?」
と、太陽が怪訝に思って尋ねてみると、由梨は、
「さっきからずっと話かけてるんだけど」
と、不満そうに口を尖らせて答えた。
太陽は考え事をしていたせいで全く気がつかなかった。
「ごめん。ちょっとぼおっとしてわ」
と、太陽は由梨に謝った。
「それで?なんなん?」
と、太陽は尋ね返してみた。
「なんか用事があったんやろ?」
太陽がそう言っても、由梨は機嫌を害したのか、何も答えなかった。
「もういい」
と、由梨は言って、リモコンでテレビのスイッチを入れた。
それほどの広くない部屋にテレビの音声がいくらかぎこちなく響いた。
テレビでは夏の訪れと称して特集が組まれ、都会の子供たちが田舎にいき、そこではじめて夜空を舞うホタルを目するまでを追ったドキュメンタリー番組が流れていた。
太陽はその番組を見るともなく見ていたのだが、ふいに、今日吉川がホタルの話をしていたことを思い出した。
「由梨ってホタルって観たことある?」
と、太陽はテレビ画面に視線を向けたままなんとなく訊ねてみた。すると、由梨は、
「ないけど、どうして?」
と、太陽の問いに不思議そうに訊き返した。
太陽は今日たまたま会社の同僚と話をしているときにホタルの話になったのだと由梨に説明した。その太陽の説明に、
「ふうん」
と、由梨はどうでも良さそうに頷いた。
「全然興味ない?」
と、太陽が続けて尋ねみると、
「興味がないってこともないけど」
と、由梨は気のない声で答えた。太陽は由梨のコメントに何か物足りないものを感じた。だからそのせいなのか、
「今度や、観にいかへん?」
と、太陽は特にどうしてもホタルが見たいというわけでもなかったのだが、由梨の関心を引こうとしてか、自分でも知らないうちにそんなことを口にしてしまっていた。
「大阪でもホタルって見れるの?」
と、由梨は太陽の方を振り向いて尋ねた。由梨は太陽がどうしてそんなにホタルにこだわるのかよくわからない様子だった。
「見れるで」
と、太陽は由梨の問いに短く答えた。
「そんな大群は見られへんけど、俺の通ってた大学の近くにひとつ見れるところがあるねん」
と、太陽は続けて言った。
「だからや、今度観にいこうや」
と、太陽は言った。
「池ちゃんとか誘って」
その太陽の科白に由梨は何かを考えるように少しのあいだ黙っていたけれど、やがて口を開くと、
「わたしはいい」
と、短く答えた。
「池ちゃんとふたりでいってきて」
と、由梨は突き放すように言った。
「さっき俺がぼうっとしてから怒ってんの?」
と、太陽は由梨の横顔に視線を向けて尋ねてみた。
すると、由梨は太陽の顔を見て、
「べつそういうわけじゃないけど」
と、答えた。
「ただ、わたしはあんまり虫に興味がないだけ」
と、由梨は続けて言った。
そう言われてしまうと、太陽としてもそれ以上無理に由梨を誘うわけにもいかなかった。
「それやったらいいけど」
と、太陽は由梨の科白に何か釈然としないものを感じながら、視線をテレビの方に戻した。テレビでははじめてホタルを目にした子供たちが、由梨とは対照的に感動の声を上げていた。