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第四話

 その日、仕事を終えて事務所を出たのは夜の九時過ぎだった。


 太陽はちょっと迷ったが、ケータイ電話を取り出すと、由梨に電話をかけた。由梨を食事に誘おうと思ったのだ。自分は何も悪いことはしていないのだからべつに由梨に媚を売る必要はないのだが、しかし、このままお互いに気詰まりな思いをしているのは嫌だった。由梨にはなるべく早く機嫌を直してもらいたかった。


 太陽が電話で食事に誘うと、最初由梨は面倒くさいと言って渋っていたのだが、でも、最終的には太陽の誘いに応じて出てくることになった。


 太陽は駅前で由梨と待ち合わせをして、駅から少し歩いたところにある、最近できたばかりのオシャレなレストランに入った。


 程なくして注文を取り来た店員に、太陽はオムライスのセットを注文し、由梨はだいぶ悩んでから、きのこパスタとピザを注文した。


 店内にいるあいだ、由梨は終始機嫌が良かった。久しぶりにこういったオシャレな雰囲気の店で食事をするのが楽しいようだった。太陽としても楽しそうにしている由梨の顔を見て来て良かったと思った。考えてみれば、こうしてふたりでデートらしいことをしたのはずいぶんと久しぶりのような気がした。昨日、由梨が機嫌を悪くしたのも無理のないことだったかもしれない、と、太陽は反省した。


 料理を食べ終え、ふたりがそろそろ店を出ようかなと考えていると、唐突に、太陽のケータイ電話が鳴った。誰だろうと思って着信を見てみると、それは学生時代の友人である、池田正行からの電話だった。


 何の用だろうと思って太陽が電話に出てみると、池田はこれから太陽の家に遊びに行っても良いかと訊いてきた。太陽が一応由梨に確認を取ってみると、由梨はいいんじゃないと答えた。由梨も池田とは一応面識がある。太陽がそう伝えると、池田はこれから一時間後くらい太陽に家に向かうと言って電話を切った。


 約束通り、池田は一時間後に太陽の家に遊びに来た。


 太陽が池田と顔を会わせるのは三ヶ月ぶりくらいのことだった。

 池田はSE関係の仕事をしている。


「久しぶりやな」

 と、池田は太陽の顔を見ると笑顔で言った。

「そうやな」

 と、太陽も久しぶりに会う友人の顔を見てつい嬉しくなって笑顔で答えた。


 ふたりは部屋でお互いの近況について報告し合った。お互い特に生活に大きな変化はないようだった。ふたりが夏になったらまた去年みたいに無人島でキャンプをしたいという話で盛り上がっていると、由梨が気をきかせてコーヒーメーカーでふたりのためにコーヒーをいれてくれた。その由梨のいれてくれたコーヒーを飲みながら太陽と池田は由梨も交えて思いつくままに話をした。


「そういえば池ちゃんってもうすぐ誕生日やったよな?」

 一通り話題が尽きてしまってから、太陽はふと思いついて言った。

「・・・うん、そうやな」

 と、池田は太陽の言葉にちょっと複雑な表情を浮かべて頷いた。

「来週の木曜で自分がもう二十七なんて信じられへんわ」

 と、池田は自嘲気味な笑みを浮かべて嘆くように言った。


「四捨五入したらもう三十やで」

 と、太陽はからかった。

「三十かぁ」

 と、池田は太陽の言葉に打ちのめされたように小さな声で言った。


「そんなこと言ったって、太陽も来月誕生日でしょ?」

 と、由梨が横槍をいれた。

「まあ、そうやけどな」

 と、太陽は由梨の言葉に開き直って答えると軽く笑った。


「だけど、二十七になるっていう実感、全然ないよな」

 と、池田はしみじみとした口調で言った。

「そうやなぁ」

 と、太陽は池田の科白に頷いた。

「感覚的には高校の頃とかとあんまり変わってへんよな」

 と、太陽は苦笑して言った。


「だから、めっちゃ変な感じするわ。気持ちは二十歳とかそれくらいやのに、年齢は二十七って」


「わかる気がする」

 と、由梨が微笑して池田の科白に同意した。

「わたしも先月二十六歳になったんだけど、自分が二十六歳になったっていう感じは全然しないもんね」


「こういうのってもしかしたらずっと変わらんのかもしれんな」

 太陽は微笑して言った。

「四十とか五十になっても」


「そうかもしれんな」

 と、池田は太陽の言葉に静かに頷いた。そしてそれから池田は四十歳になったときの自分を想像するように視線を天上あたりに向けた。


「だけど、みんなどう?」

 と、しばらくしてから、由梨がいくらか改まった口調で言った。

「実際に二十七歳なってみて?」

「まだ二十七歳にはなってへんけどな」

 と、池田は軽く笑って抗議した。それから、池田は真面目な顔つきに戻ると、

「でも、高校のときとかに思い描いてた自分とは全然違うよな」

 と、いくらか沈んだ口調で答えた。


「だって俺、高校のとき、大人になったら本気でプロのギターリストになるつもりでおったもんな」

 池田は自嘲気味な笑みを浮かべて言った。

「池ちゃんってギター弾くんだ」

 と、由梨が意外そうに呟いた。


「これでも俺、大学のときまでバンド組んでてんで」

 と、池田は笑って抗議した。


「今でもたまにギター弾いたりしてんの?」

 と、太陽は何気なく尋ねてみた。すると、池田は太陽の問いに頭を振って答えた。

「最近は全然やな。そんなめっちゃ忙しいっていうほどもないんやけど、いつ間にか全く触らんくなってしまったな・・・ほんとうは就職してからも趣味で続けていくつもりやってんけどな」

 池田は続けてそう言ってから、どこか寂しそうに軽く笑った。


 太陽は池田の科白に曖昧に頷くと、タバコの箱から残りの最後の一本を取り出して口にくわえた。

「でも、みんなそんなもんやよな」

 と、太陽は口にくわえたタバコに火をつけながら微笑して言った。


「この歳になってくると、色々現実が見えてくるもんな・・・それぞれみんなどこかで何か諦めたり、妥協したりしてて・・それでいつの間にかこんなものかなって、色んなことがあやふやになっていってしまうんよな」

 太陽は口元で力なく微笑んで言った。


「・・・俺も有名な建築家になるのは無理でも、もうちょっといけてるはずやってんけどな」

 太陽は続けてそう言うと、自分の言葉が深刻さを帯びてしまわないように軽く笑った。その太陽の笑い声に誘われるようにみんな曖昧に少し笑った。


 太陽はタバコをゆっくりと吸って吐き出した。吐き出したタバコの煙はたよりなく部屋の空間に漂ってすぐに見えなくなった。


 それから、いくらかの沈黙があった。


 みんな黙って自分の思考のなかに沈んでいるようだった。


 太陽も黙って、まだ大学生になったばかりの頃の自分を思い出した。あの頃は無邪気というべきなのか、過剰なほどの自信があった。それこそ、努力次第で世界的な建築家になることだってできると本気で思い込んでいた。それが現実はどうだろう、と、太陽は過去の自分の幼さが恥ずかしくなる。


 いま自分は世界的な建築家になるどころか、その建築家になることすらできていない。でも、現実なんて所詮そんなものだろうと、太陽は自分の気持ちに言い訳した。ある程度のところで妥協して、上手く現実と折り合いをつけて生きていくしかないのだ。


「だけど」

 しばらくの沈黙のあとで、由梨が躊躇いがちに口を開いて言った。太陽は由梨の顔に視線を向けた。

「・・・なんか現実なんてこんなものだって諦めて生きていきいくのは寂しいよね」

 と、由梨はポツリと言った。


「わたしはたとえそれが実現しなくてもいいから、一生、何かしら目標みたいなものは持って生きていきたい気がするな」

 由梨は続けてそう言うと、ちょっと照れ臭そうに小さく笑った。


「ちょっとくらい惨めでもいいから、その夢みたいなものにしがみついて生きていきたい気がする」

 由梨は静かな口調で言った。


 その由梨の科白にみんなわずかなあいだ黙っていたけれど、やがて池田が口を開いて共感を示した。

「でも、確かにそうやよな」

 と、池田は頷いて言った。

「現実ってなかなか思い通りにいかへんもやけど、何かひとつくらい目標みたいなものは持ってたいよな」

 と、池田は言った。


「じゃあ、俺、今からでも頑張ってプロのミュージシャン目指してみようかな」

 と、池田は冗談めして言うと軽く笑った。

「じゃあ、わたし、ボーカルやりたい」

 と、由梨が池田の科白に冗談で返した。

「じゃあ、俺はドラムやな」

 と、太陽も続いて冗談を言うと、少し口元を綻ばせた。


 太陽は由梨の科白を聞いて、やはり自分の考え方は間違っていたかもしれないと思い直した。確かに由梨の言うとおり、人生において何か目標は必要かもしれないと思った。希望はあった方がいいと思った。たとえそれが叶わなくてもいいから。


 太陽はふと今からでも努力してみようかなと決意した。建築家を目指して。結果として、その目標に届かなくてもいいから。


 そう思うと、どこからともなく光が差し込んできたように、太陽はふうっと心が明るく照らされるのを感じた。

 






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