第十話
「だから、もう少し待たなあかんって言ってるやん」
と、太陽は言った。
さっきからとなりに居る由梨がいつになったらホタルが現れるのかとうるさいのだ。
「だって、もうここに来てから二十分くらい経ってるんだけど」
と、由梨は口を尖らせて言った。
「白石さん、もうちょっと待ってみなわからへんで」
と、池田がまるで言うことを聞かない子供に言い聞かせるように言った。
「だって」
と、由梨は池田に注意されてもまだ不服そうだった。
今、太陽は、この前吉川とホタルを観に行った川原に由梨と池田の三人でいる。
あれから太陽は吉川と別れたあと、由梨に電話をかけた。なんとなくこんなふうに後味悪く由梨と別れてしまうのは嫌だなと思ったのだ。
それにしても、結局なんだかんだでやっぱり俺が由梨に対して譲歩する形になってしまうんだな、と、太陽は心のなかで苦笑した。でも、まあいいか、と、太陽は思い直した。相変わらず自分の由梨に対する気持ちは曖昧なままだけれど、それでも少なくとも由梨と一緒に居ると退屈はしないし、楽しいと太陽は思った。たぶんきっと俺は由梨のことが好きなのだろうと太陽は感じた。
由梨ともとのように一緒のアパートで生活するようになって二週間が経った頃、太陽は由梨に対して再びホタルを見に行くことを提案してみた。太陽はどうしても由梨にホタルを見せたかったのだ。すると、案の定、由梨の反応は薄かった。虫にはあまり興味がないと由梨は以前と同じ科白を口にした。しかし、今回は強引につれてきた。実際にホタルを見たらきっと由梨も感動するだろうと太陽は確信があったのだ。
ホタルを観に行くのにはせっかくなので池田も一緒に誘った。
以前吉川と来たときと同じように、ホタルはなかなか姿を現そうとはしなかった。月の光が明るく、川辺はその光を薄めたような淡い銀色の光に染まっている。
太陽は川辺を照らす月の姿を探すようにふと夜空に視線を向けてみた。すると、そこには三分の一ほど欠けた月がもの静かに輝いている。太陽はその輝きを見つめながら何気なく吉川のことを思い出した。吉川は今頃どうしているだろうと太陽は考えた。
吉川が大阪を去ってからもう二週間以上が経過した。今頃実家でのんびりしているのだろうか。それとも旅行にでも行っているのだろうか。あるいはこの前話していたお兄さんと再会しているのかもしれないな、と、太陽は想像した。
「そういえばな」
と、太陽のとなりで池田がふと思い出したように口を開いて言った。太陽が池田の方を振り返ると、
「俺、またバンドはじめることにしてん」
と、池田は嬉しそうに話した。
「えっ、池ちゃん、本気でプロのミュージシャン目指すことにしたの?」
と、由梨が驚いて訊くと、
「いや、もちろん趣味やって」
と、池田は笑って答えた。
「インターネットの掲示板に誰か一緒にやりませんかって出したらな、すぐに同い年くらいのひとでやりたいっていうひとが見つかってん」
「よかったやん」
と、太陽は微笑みかけて言った。そしてそう言いながら、俺も頑張らないとな、と、太陽はふとこの前の自分の決意を思い出した。今から努力して来年までには一級は無理でも二級の建築士の資格を取るのだ。
「あっ」
と、由梨が何かを見つけたように声をあげたのは、そのときだった。
見てみると、どこか躊躇いがちに、闇のなかに、緑色の小さな優しい光がそっと浮かんでいた。