痴女:3
「あ……あなた」
私は、今ここに居るハズの無い夫が目の前に現れたので、ショックで言葉も無くその場にへたり込んでしまった。
夫は無表情のまま帽子のカメラを踏み潰して、それから私のスマホをコートから取り出して、これも同じように踏み潰した。
「俺が今まで気が付かないとでも思っていたのか?」
夫は私が今までに見たことも無い冷たい視線で私を見下ろしていた。私は思わず夫の足元に跪いて許しを乞うた。
「ゆ……許してあなた! でも、これは無理やり脅されて仕方なく……」
「その割には嬉しそうに、逆らわずに楽しんでたみたいじゃないか」
「そ、それは……」
ああ、夫は私達の不倫に気付いていたのだ。そして、私が今日はクラス会だとウソを吐いたのと同じように、出張と偽って私を付けていたんだ……
「挙句にこんな事をしてしまって、どう言い訳するつもりだ? ……どの道お前はもう終わりだ。不倫だから慰謝料も正太の親権も貰えると思うなよ。 このまま素っ裸で刑務所行きだ。 好きなんだろ? そう言うのが」
私は絶望に狩られながら、それでも夫の足元に跪いたまま必死で許しを得ようと懇願を続けたが、夫は地面に額を着ける私の頭を踏みつけて、剥きだしの背中に唾を吐いた。
私達はしばらくそうしていたけど、不意に夫は私の頭から靴をどけて、変わらず冷たい口調で土下座したままの私に言った。
「許しが欲しいか?」
「は、はい!」
「大きい声を上げるな。……アレが見えるか?」
私は地べたから顔を上げて、夫の指差す方を見た。そこには御主人様が、息を切らせてこっちに向かって来るのが見えた。夫は忌々しいモノを見る目で御主人様を見ながら私に告げた。
「そこに落ちてるナイフでアイツを刺し殺せ。もし、警察に捕まったら全部自分の意思でやったと言うんだ」
「そ……それは」
「言うとおりにしたら、籍は残してやる。もし捕まっても、たまには正太と面会に行ってやるぞ」
私は相変わらず冷酷な表情を浮かべる夫と、こちらにアタフタと掛けてくる御主人様を交互に見比べた。今の私の頭の中は完全に混乱していて、どうしたら良いか全く解らなかった。
「いいから殺れ、これは命令だぞ」
夫の命令が私の頭を電撃の様に駆け巡り、痺れたみたいになってすぐに何も考えられなくなってしまった。 そして、私は傍らの血まみれのナイフを手に取るとフラフラと立ち上がった。
「よし、良い子だ。……そのまま一思いに殺れ」
「はい……御主人様」
私は御主人様の命令通りに、後ろ手にナイフを隠して前の御主人様に向かって飛び込んで行った。
夏のホラー2016の公式設定の、裏野ハイツの一階の住人の設定を見ていて何となく思いついた話です。
とりあえず形に出来て嬉しく思います。