痴女:1
「最近この辺りに通り魔がでるらしい。明日には帰れると思うが、戸締りをしっかりして正太から目をはなすなよ。まだ三歳なんだからな」
夫は玄関で靴を履きながら私に注意した。いつもと同じ優しい笑顔。この人は何も気付いていない……
「ええ、気を付けるわ。いってらっしゃい、あなた」
私は夫に頷いて笑顔で送り出す。夫も何時もの優しい笑みを返して、私と息子の正太に手を振ってからドアを出た。
すぐにキッチンの窓から夫の姿が見えなくなるのを確認すると、朝食の後片付けもそこそこに済ませてから、少しむずかる正太を連れて、私たち一家の住む裏野ハイツの近所にある実家に正太を預けに行った。
両親には私がパートで家を開ける間、子供を預ける事がある。二人とも初孫の正太の事が可愛くてたまらないので、喜んで預かってくれる……夫と同じで疑いもしない。
罪悪感に胸が締め付けられたけど、とても本当の理由なんて言える訳が無かった。
早く戻らないと、あの男が何をするかわからない。私は両親に正太を預けると、急いで自宅である103号室に戻って来た。
玄関のドアを閉めてキッチンに戻った途端、私のスマホが鳴った。
あの男からだ。私は慌ててエプロンのポケットからワイヤレス通話用のイヤホンを取り出してから、耳に嵌めて電話に出た。
「もう準備は出来たか? 二葉」
聞き慣れたダミ声が私の名前を呼ぶ。
「はい……御主人様」
「ダンナと子供は大丈夫だろうな?」
「はい。夫は明日まで出張、子供はまた実家に預けました。今回はクラス会で外出すると言ってるので、明日までは大丈夫です」
「お前はパートが休みだし、明日の夕方までは遊べると言う訳だ」
受話器の向こうからあの男……御主人様の低い笑い声が聞こえた。そしてあいつは楽しげに私に命令する。
「じゃあ、まず服を脱げ」
「はい」
私は言われるままにその場で服を脱ぎ、裸になった。
イヤホンからまた笑い声が聞こえた。この103号室には、至るところ盗聴器や隠しカメラが仕込んであるらしい。今もあいつは、そのカメラで私を観察しているのだ。
「よし、それじゃこの間渡したアレを着けろ。早く用意しろよ」
「はい、御主人様」
私は洋室の物入れに隠してあった大きなカバンを取り出して開け、中に入ってる物を一つ一つ取り出して身に付けた。
まず、黒いガーターベルトとストッキングを身に着ける。それからコートを取り出して裸の身体に直接着込んだ。夏物のベージュのロングコートで、薄手だが長袖で裾は膝近くまである。次に大きなサングラスとマスクを顔に付ける。
最後につばの広い帽子を取り出した。色々な機械が入ってるらしく、思ったよりも持ち重りのするそれを頭に被った。
「カメラが正面を向いてないな。帽子をもうちょっと右側にずらせ……よし、いいぞ」
帽子の横に付いている、大きな花を模った飾りの中に小さなカメラとマイクが仕込んであるらしい。これで私の行動は一切があいつに筒抜けになる。
私は洋室の片隅に置いてある姿見の前に立ち、ゆっくりとコートの前をはだけて鏡に裸身を映した。
「ブヒャヒャヒャヒャ、いいぞ。 どこから見ても立派な痴女だな」
あいつの嘲笑に恥ずかしさで耳まで真っ赤になった。御主人様は、さらに笑いながら私に命令する。
「よし時間が惜しい、さっさと始めよう。 まずは外に出ろ」
「……はい」
私はスマホと部屋の鍵をコートのポケットに押し込み、小さな財布を内ポケットに入れた。そしてコートの前を止めて玄関に向かいブーツを履いた。
これで準備は整った。
でも……私はこの格好で外に出るのをためらった。
「どうした、外に出るのが恥ずかしいのか? いいから早く出ろ、命令だぞ」
命令……あいつの言葉が電気みたいに頭の中を走り、私は思考が麻痺した様になって何も考えられなくなる。
「……はい、御主人様」
私はまずドアの覗き穴から外を見て、誰も居ないのを確かめるとゆっくりとドアを開けて外に出た。
外は日差しが強く、人通りは少なかった。少し安心して裏野ハイツに面した通りに出ると、すぐにイヤホンにあいつの声が入る。
「よし、まずコンビニだ」
私は言われるままに近所にあるコンビニへ向かう。時々車やバイクとすれ違ってドキリとしたけど、相手は何も気付かずに過ぎ去って行く。
程なくコンビニに着き、前に教えられた命令通りにコートの胸元のボタンだけを外して店内に入る。朝の通勤時間をとっくに過ぎているので、店内は閑散としていて商品の陳列をしている店員が一人居るだけだった。
他に客が入ってくる前に命令を終えなければいけない。 私は棚からコンドームを一つ取ると、急いでレジに向かった。
若い男の店員がレジに入り、商品をスキャンして金額を告げる。私は胸元を開いて内ポケットから財布を取り出す。
……店員は私がコートの下に何も着てないのに気が付いたみたいだ。
ギョッとした様な表情になって、それから顔が少し赤くなる。気が弱そうな彼は何かを言おうと口を開きかけたが、そのまま気が付かない振りをして胸元から目をそらした。
そのまま清算を済ませてコンドームをポケットに入れて足早くコンビニを出る。自動ドアが閉まるのと同時にイヤホンに御主人様の笑い声が飛び込んできた。
「ブヒャヒャヒャヒャヒャ! みたか? あの店員の顔、マジ受けたわ。 まぁ、最初のミッションは完了だな」
「ありがとうございます、御主人様」
「よし、次はコインランドリーだ。 グズグズするなよ」
「……はい、御主人様」
私はあいつに命じられるままに次の目的地に向かった。