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とりかえばや姉と妹

 

 時の太政大臣は、臣籍降下した元宮であった。

 先帝──今の朱雀院──の弟であったのだが、母であった女御の実家が劣ったために皇族ではいられなかった。そのために臣籍降下したのだが、院と主上の信頼も厚く、太政大臣を勤めるまでになった人物である。

 二人の北の方との間に、息子二人と娘二人をもうけている。残念ながら二人の妻とは死別してしまったため、子供達を手元に引き取っていた。息子達は婿入りし、娘達に夫を迎えるだけであった静かな御殿が、今日は嵐に襲われていた。


 その日御殿を支配するのは、混迷と怒気だった。

 男達と隔てられた女達にも、その恐ろしげな雰囲気は伝わっている。几帳でへだてられた空間の中で、美しい姉妹は身を震わせていた。

 特に妹である妙音姫(たえねひめ)──四兄妹の末である妙音姫は、生まれて初めて感じる居心地の悪さ──肉親からの怒気──に、姉姫にすがり付くことしかできなかった。つややかな妙音姫の長い髪が、すがりついた姉の体にまとわりついている。

 姉である白羽姫(しらはねひめ)は、美しいけれど冷たい印象をうける顔を妙音姫に向けると、すがる妹の手をそっとはずさせた。


「お……おねえさま……どうして……」


 幼く愛らしい顔を曇らせて、妙音姫はかき消えそうなか細い声を出す。それは、いかにも弱々しく、聞くものの心に庇護を訴えかける声だった。

 その不安げな声に、几帳をへだてた向こう側では、男達が姉妹の様子を伺っている。

 その男達に白羽姫は声をかけた。


「中納言殿の話を真実とするならば。吾が妹、妙音姫は実の姉の婚約者と姦通し、子を孕んだということになりますが。

 相違ありませんね?」


 他人事のように言っているが、妙音姫の姉とは白羽姫自身のことであり、その婚約者は中納言のことだった。


「お、おねえさま。違います。違う……姦通だなんて、ちがいます」

「そうだ。そもそも、私の婚約は打診の状態のはず。正式には婚約者でもなんでもない」


 中納言が荒い息で捲し立てる。未だ正式ではない、と言うのは中納言の送った和歌に、白羽姫が直筆で返事をしていないからだが──その横で太政大臣は怒りをこらえていた。


 そもそも白羽姫の結婚は、太政大臣が左大臣に打診したものだった。左大臣家からは正式に受諾の意思を受けている。

 それなのに小僧が何を言うか。我が家を虚仮にしおって──と、怒りに震えているのだ。

 太政大臣の怒りは、愛娘である妙音姫にも向けられる。

 妙音姫は美しい娘だった。音楽の才能があり、特に琵琶と琴も才能には並ぶ者がないほどだ。

 太政大臣にとっては兄妹四人の末、才能に溢れた可愛い娘だったのだ。よもやまさか、姉の婚約者を盗むなどという情けないことをするとは思ってもいなかった。


「もとから、婚約者が妙音姫だったことにしてください。私は妙音姫を愛しているのです。

 ただ一人と決め、正妻にお迎えしましょう。

 きっと幸せにするとお約束します」


 胸を張って宣言する中納言に対し、妙音姫は泣いていた。


「おたすけください、おねえさま。わたくしは……違うの……たすけて」


 振り払われた手を茫然と見る妙音姫の瞳から、水晶のような涙がこぼれ落ちる。はらはらと泣き崩れ、感極まったように床に身を投げた妙音姫の影を見て、中納言から非難の声があがった。


「妙音姫を愛してしまったんだから、仕方ないだろう。全ては神仏の思し召しというものでしょう。関係のない君に、指図されるいわれはありませんよ」


 太政大臣には、この若造をどうしてやろうかと思う片隅で、それも良いかと思う気持ちもある。

 妹が姉の夫を盗むなど前代未聞のことであり、これが広く知られれば家が、娘達がどのように噂されるかわかったものではなかったのだ。


 妹に婚約者を盗まれた醜女。

 姉の婚約者を寝盗った男狂い。


 その謗りを受けることになるのだ。


「しかし、姉妹を入れ替えるなど、聞いたことがない」

「吾はかまいません」

「そんな、おねえさま! わたくしは嫌です、わたくしは……」


 同意する白羽姫の言葉に、妙音姫が琴の音のような澄んだ声で悲鳴をあげる。けれど、その声も中納言の喜びの声にかき消された。


「ありがたい!

 いや、君にはすまない事をすると思います。けれど私達に(えにし)はなかったのでしょう。仕方ないことです」


 姉妹が入れ替わるのは難しいだろうか?

 世間に知られているのは琵琶の名手である”姉姫”と、琴の名手である”妹姫”という美しい姉妹がいるというそれだけ。姉姫が左大臣家嫡男と結婚するらしい、とそれだけである。

 今の世では、姉妹の顔を知るのは家族だけであるし、他者への手紙すら女房達に代筆させることが多い。事実白羽姫ですら婚約者への手紙を代筆させていた。


「しかし──それでは白羽姫があまりにも不憫ではないか」

「そ、そうですわ。おねえさまは何もわるくありませんのに……」


 太政大臣の言葉に、妙音姫が同意する。

 床に倒れたままの妙音姫が、血の気の引いた顔で白羽姫を見上げている。長いつややかな髪が床に広がり、着物の美しさと相まって妙音姫の愛らしさを際立たせている。姉を見上げる瞳からははらはらと涙が止まることなく溢れ続けており、涙を受け止める妙音姫の袂はしっとりと濡れそぼっていた。


「おねえさま、どうして……わたくしがいけないのですか? わたくしが悪い子だから、おねえさまは怒ってしまわれたのですか?」

「人の縁、それも男女のことです。良い悪いなどないのでしょう。ですが、運命が定まった以上、それに従うしかありません」

「おねえさま。わたくしをお捨てにならないでください……どうか。どうか、たすけてください。おねえさま」


 涙をこぼす妙音姫は、可憐でか弱かった。まるで一枚の絵のような愛らしい妹姫の嘆きに、姉姫は眉を寄せてその不幸について諭したのだ。


「中納言殿があれほど望まれるのです。おまえと中納言殿には、吾よりも確かな絆があるのでしょう。父君もあなたこそを中納言殿の隣におきたかった、とお考えだったそうですもの。おまえと中納言殿こそが正しい結び付きだったと受け止めるべきでしょう」


 過去にこぼした愚痴を言われ、父大臣は気まずげな顔をした。

 彼がその話をしたのは、妙音姫を溺愛していたからだった。婿がねとして最高の男を愛娘に妻合わせたかったのだ。


「神仏のご意志に逆らえば、なにがしらの罰をうけるものです。此度のことは、そういうことだったのだと理解するのが相応しいのでしょう」

「……ああ、なんと恐ろしいこと……」


 白羽姫の言う罰という言葉に、妙音姫が顔をおおった。小刻みに震える体は神仏の威に恐れおののいている。


「誤った道は、こうして正されるものです。おまえが悩む必要はないのです」

「……おねえさま。わたくし、わたくしは……」

「なぜおまえを厭うことがありましょうか」


 震える妙音姫を白羽姫が力付けた。




 同じ頃、男達も結論を出していた。

 物語にもないことだと、太政大臣は文句を言っている。

 だが、恋人を妻にできるという喜びゆえに中納言の顔は輝いていた。


「では、今日この日から、私の妻は妙音姫ということで良いですね」

「しかたありません。では、白羽姫の今後ですが──」

「そのことですが。今後この家をしきるべきは妙音姫でしょう? そこに、吾が大きな顔をして居座っておれば、妙音姫にとってどれだけの心労となりましょう。

 今は己一人の体ではないのです。大事をとらなくてはなりません。ですから、吾は家を出ようと思います」

「え……おねえさま……わたくしをお見捨てになるのですか?」


 妙音姫は困惑した声を出したが、中納言の反応は熱が感じられないものだった。


「まあ、女主人は一人の方が良いでしょうね」


 中納言は白羽姫を引き留めるそぶりすらしない。

 今までは白羽姫が姉姫として、この家の女主(おんなあるじ)として采配を振っていたのだ。今後、妙音姫が中納言の正妻として振る舞うためには、白羽姫の存在は懸念材料であるだろう。

 それを自ら引き下がろうというのだから、中納言にとっては文句のつけようがなかった。


「ううむ……しかし、家を出てどうするつもりだ?」

「取り敢えず、一条の屋敷へと思います。先のことはゆっくり考えるつもりですわ」


 父大臣の言葉に答えた白羽姫の言葉は簡潔だった。

 一条の屋敷は太政大臣が独身の頃に住んでいた家だ。小さいが赴きのある家で、今もきちんと手入れがされている。


「そういうことなら……」


 太政大臣は渋々と受け入れた。


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