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九十七話

 礼拝を行うとの仰せなので、私は護衛の任に就いた。

リヒター殿下は他国でもこの祈りを欠かすことはなさらなかった。毎日祈祷しなくても良い教義という、やや適当さのきらいがある我がアーディ王国の国教ではあるがつつがなく終えることができた。

用意された台座に膝を折り白いレースの布が被せられ、俯く殿下。鮮烈なる赤髪の色素を薄めているがかえって神秘的に見えてしまい、初見の者は大概、喉を鳴らして喰い入るように見つめてしまう。にじみ出る美形具合はそう簡単に覆い隠せるものではないらしい。そして、それを利用してしまうこともある殿下は己の魅力を最大限に発揮して国益を引っかけてしまうのであるが、それに付き合わされるのが部下である私だ。ようやく残業が終わったと思い、明日は演習があるからと護衛職は他の者に引き継ぎをし、駐屯所へと向かうすがらに捨て猫を拾って育てた思い出が蘇る。なんでかそういう城から外出する時に限って拾い物が多く、直近では迷い犬だった。困惑顔のワンコの毛並を撫でくり回して疲れを癒したのは記憶に新しい。

 (……どこかしら、異世界の文化文明が影響されているように思うが)

 無論、私にもそのレースは渡されているが、職務上の理由から被ることはしなかった。視界不良になるし、護衛の任に支障が出るためだ。

殿下の後方にて、私は周囲への警戒を怠らずに立ち尽くす。




 気持ちがすっきりしたという殿下と受け応えをしつつ客室に戻ると、次は次期王位継承をするあの番犬のための式典準備だ。一等立派な客室の応接室、その机にて、殿下は紙面に、その青い瞳を走らせている。片手には羽ペン。くるくると回し、時に書き込みをし……、金環の申し出に不備がないかどうか、本格的なものは行わないとのことなので継承の儀をどういう風に略してしまおうか……、選帝侯としての腕が試されている。

 本来ならば来賓側のリヒター殿下は次期継承を認めるだけで終わるはずであったのだが、どうも、あの番犬側が愚図っている……と、リヒター殿下は唸っていたので、恐らくだが想定よりも金環の準備があまりにも遅すぎるゆえに、リヒター殿下がしゃしゃり出た模様である。


 「リディ」

 「は」

 「あの犬は、実に駄犬だ」

 「……は」


 本日提出されたそれ、書かれた内容を吟味される殿下の口の端が引きつっているあたり、望ましいものではなかったようである。


 「駄犬は駄犬らしく、大人しく与えられた餌に喰いついていれば良いものを」


 ぶつぶつと愚痴を吐きながら、それでも殿下は足りない部分があると書面にしたため、殿下手ずからくるくると丸めたそれを私は受け取り、召喚した金環の兵にその文を渡す。


 「君」


 立ち去ろうと後ろに下がりかけた金環兵士、それも、なんとか殿下の美貌に耐えてきた強者である彼に、リヒター殿下は声をかけた。清々しいほどに美しい声だが、実際は策謀のためならどんな声色も使う恐ろしい使い手である。

 

 「は……わ、わたくしでありましょうか」

 

 美貌に目を眩ませず、なんとか生き残った金環兵三割のひとりである金環兵は、それでも殿下の前に立ち戻り、直立不動の姿勢に戻った。

 豪華な机の前、そこには美麗美貌で世界的に知られるリヒター殿下、そうして、背後には騎士団長たる私という布陣、さすがに直視するのは緊張するようで、私のほうをなるたけ見やるようにしてはいる金環兵だが、失礼にならないよう我慢した顔つきでいる。


 「あの番犬……、

  特務隊隊長に伝えておけ。

  もう少し教養というものを身につけろ、と」

 「は、はは、はいっ」

 「それと、リディ」

 「は」


 ついでに、私にまで飛び火してきた。


 「……あの犬にずいぶんと心を動かし、手を出しているようだが、」


 殿下は前にいる金環兵を見据えたまま、決して後ろにいる私を振り返りはしなかった。


 「これ以上は金環国の王族としての面目が立たなくなる。

  ……あとは、奴次第、ということだ」

 

 アーディの次期君主たる殿下がそう仰る以上、私はもう口出しすることは叶わない。


 「は」


 それに、殿下はあの犬を馬鹿にしつつも、相当な力添えをしてくだされた。

 (……タイムオーバー、か)

 私はそのことをしみじみと噛み締めつつ、会釈をして立ち去る金環兵の弱弱しい足腰を心配しながら視線だけで見送った。

 (……殿下の美貌が直撃したものなあ。

  ……しばらく使い物にならんだろうな)

 また新たな伝令役の調達品定めをせねばならんか、とひっそりとため息をついた。




 前金環王に味方した者どものがあまりにも多すぎて、金環の国家態勢は急ピッチで整えられている。反乱軍の可能性を視野に入れ、我がアーディ王国の精強なる騎士団が二つも展開中だが、いずれは撤退せねばならぬ。

 我らがリヒター殿下は国家中枢に戻らねばお話にならないため、殿下とその護衛である私はそろそろ、この金環国家から引き払わねばならない。

 その時期が、来たようである。

 (明日、時期王位継承者としての認められる儀式……)

 さすがにその時ばかりは、私はあの犬と再会できるはずである。なんせ、私は殿下の専門護衛でもあるし、直属の部下である。命令があれば従うが、さすがに略式とはいえ人の出入りが多い日にその命令では不備があるため、殿下自らその命令は取り下げられた。ただし、殿下立会いのもとでなければ、という注釈付きである。

 (解せぬ)

 と思うが、殿下はすごくご機嫌な口で、


 「絶対に守らねば、リディはとうとう年貢の納め時だな……」


 などとにっこりほほ笑むので、私は必死こいて守らねばならなくなった。

命令違反での信賞必罰は必然だが、謎の圧迫感が私を苛む。現在、殿下はどこからか引っかけてきた人間を寝所へと招き入れている最中だが、ぱたんと閉じられた扉の前で立ち尽くす私には人生終了の鐘の音が聞こえてならない。

 匂わす程度の言動でしかなかったが、明らかにあれは王配、を告げていた。

 (……本当に、余計なことをするな、と。

  そうおっしゃるのだな……)

 マナー教師含め、英邁なる講師陣、それもいずれは金環の官僚になる可能性を秘める優秀なる人材を斡旋している私を、殿下は見透かしている。中途半端に関わってしまったから、その手助けぐらいはとこっそりとしてやったことだが、この調子では、私が筋肉ダルマ君や細身君と小さな手紙の相談やりとりをしていることさえ把握されているようだ。なんせ、そのやり取りの中に、教師の話が書き込まれているのだから。

 殿下の幅広い視野と、その情報を手繰り寄せる手管に、私は感嘆の息を漏らしたが、逆に、末恐ろしい方だと心底思った。

 (まあ、その殿下に情報戦がいかに大事かを教えたのは、

  何を隠そう私だがな……)

 必死にアーディ王国の下支えをしてくれていた情報部の存在を、幼少の頃から幼馴染スパイみを通じて理解していた私だ、アーディの特殊な生い立ちを速やかに察知、騎士になってからはなんとか黄金時代の同僚らと切磋琢磨して現在の形に繋げていけたのだが、殿下はまさに、それをしっかと受け止め、活用なさっている。

 (……はあ)

 それにしては漏れ出る艶声が……。

扉一枚とはいえ、誰もが失神するレベルの色香を振り撒く彼の声はどんな扉番も一度は失態を犯すといわれる。

 私は頭を横に振り、思春期時代があまりに動乱過ぎてそっちの芽が、いわゆる英雄色好みになってしまったのかもしれんと、夜の帳の降りる金環王城内にて、ぼんやりと、あの金環王子の顔や、サトヤマさんらの今後に思いを馳せた。

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