九話
ぱちり、と両目を開けると、馴染みのない天井がぼんやりと見える。
どこの家だろうかとぼんやりと思案を続けてようやく、覚醒する。
(そうか、宿だ)
金環国家バージルの首都に、私はたどり着いていた。
とんでもない強行軍だったが誰にも背後をまとわりつかれずに無事、到着できた。起こしかけていた半身を重力従い、また寝ていた位置に頭を戻す。
「ふー……」
さすがに三日三晩の不眠強行は疲れ果てる。
昨晩は早々にぐっすりと眠ってしまったが、本来ノンビリと休みがてら日本人を見に来たはずだった私が強硬に愛馬に頑張らせてしまったのも、察したからだ。 抜き差しならぬ状況になってきた、と。
(金環国家そのものが、日本人を探している……)
私の休みはひと月しかないし、面倒になる前に、早々に決着をつけたいところだ。
(まずはあの看板の通り、日本人を探しているという情報を確かめねば)
それである。
(厄介だな……)
王族がどう関与しているのか、していないのか。
幼馴染みからの情報にあった、自称日本人はどこに行ったのか。
日本人、を探して何をしようとしているのか。
(山積する問題が多すぎる。手が足りない……)
本当は、発見された日本人の顔を見て、話をして。
無事に生活できているのかを確かめるだけのつもりだった。
(それがこんなことになるとは……)
果たして、たったひと月の休みでなんとかなるんだろうか?
しかも、かつては仲の悪かった国である。手づるがあまりにも少なすぎる。
ふんどしを締め締し……、いや、兜の緒を結び直さねば。
まずは身を整えることにした。
護身の守りを手に取り、かちり、と金属音のようなものを鳴らし、襟首あたりに装着する。鏡を前にして具合を見る。
(悪くない)
日の光を浴びると先端がキラキラと輝く、サファイアの宝石。
確か前世では、ラペルピン、と呼び、華やかな場におけるサラリーマンスーツのお洒落アイテムであるはず……現実の私ならば、騎士の制服、その襟元に普段使いとして身に着けているものだが……、今は旅の途中なので私用の服に装着している。
デザインによっては、小さなブローチと言って差し支えがないかもしれない。もっといえばお洒落な安全ピンか。やや物理に実用的な。小粒だが、色味がはっきりとして美しい。武骨な騎士団長の、唯一のお洒落アイテムである。
パッと見はただの宝飾だが、侮るなかれ。効果が槍や弓からの強襲を複数回妨げてくれるという授与品である。便利なアイテムなので常日頃から身に着けている……信じられないかもしれないが、目の当たりにしたことがあるのだ。
幸い、金環国バージルに入国してから、飛び道具による暗殺行為などを受けていないため発動はしていないが、珍しい品であるのは間違いない。貴人の暗殺防止用としても優れたものなので通常、私のような一騎士に渡されるべきものではない。私はどちらかというと肉の盾である。それなのに……、こんなにも貴重な品を私に授与してしまうほどに、王太子殿下は……、私という部下でさえ、捨て駒として扱うことができない、という証左だ。
悔やむ。
何故、私は、殿下に平等という価値観があることを教えてしまったのかを。
この世界で生き残るためには、たとえ、赤子の頃から見知っている近しい人間でも、殿下は私を切り捨てねばならないお立場であるというのに。容赦のない世界なのだ、私の故郷のようにルールを作れば良し、なんとかなるだろう、というわけにはいかない。
殿下は、見捨てられないのだ。どうしても。
彼の背後には、数えきれないほどの無辜の命がかかっているのだ、もし、王太子の身に万が一があったら。たったひとりの後継者なのだ、世界地図が野放図になりかねない。真っ先に蹂躙されるのは我が国であろうことは想像にがたくない。なんせ、四方は他国に囲まれている。弱みを見せれば、すぐに喰われることとなるだろう。
嗚呼、なんて面倒で厄介な地形に我が国がちょこんとド真ん中に存在しているのか。そして私はそこに生まれた伯爵家嫡男。いつ死んでもおかしくない騎士。部下も守らねばならないし、国民だって守護せねばならない。なんとかここまで生き延びてきたが、時勢によってはいつ死んでもおかしくない。
そういった結構野蛮さのある世界のさまは、正直ついていけないときがある。そういうとき、よく殿下は明るく茶化してくださる。
本当に良い大人になったものだ。二十歳、は私の故郷では成人である。
逆に、この世界では生き延びる確率を少しでも上げるために自発的に一人前への年齢はどうしても低くなってしまうが、それでも私は殿下が、ご立派になられていく姿を目の当たりにするたび時々目元が緩んでくるのがどうも……、駄目だ、なんてことだ、私は自分の事をなんとかせねばならないというに。まったく。これだから歳はとりたくない。
……否、悩んでいても始まらないな。
朝食の良い匂いが、自室にも、流入してきた。
この国に入ってから、故郷の匂いが途切れることがなかった。