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八十四話

 リヒター王太子殿下によって、接近禁止令が出された。


 「もうこれ以上、あの犬に近寄るなよ」

 「……は」


 反発したくなるが、私は膝を折るしかなかった。

忠誠を誓ったお方がそうおっしゃるのだ、これ以上動くことはできない。

 ――――が、別の人間を動かせば良いことである。





 リヒター王太子殿下の本日の金環国滞在なるご公務に付き添いながらも合間を縫って、副官殿とその護衛対象である日本人女子ハルカ・サトヤマと再会できたのは昼も過ぎたあたり、お天道様が頭上で大活躍中の日頃であった。

 リヒター王太子殿下が金環国特有の剣を扱った練習試合の場に立ち会っている最中に、それは人垣の向こう側からやってきた。


 「わ、眩しい王子様に、たくさんの騎士……あ、

  リディさん!」


 若さゆえに身が軽いのであろう、まるでゴム毬のように走ってきてジャンプする彼女に苦笑してしまう。片手をぶんぶん振りながら私の前にたどり着いた彼女の顔は、非常に若者らしい元気さある。背後に副官殿の姿が見え、目礼してきた。


 「すごい人だかりで誰がいるのかと思ったら、

  見学に来られてたんですね! さすがです!」


 確かに人の集まりは凄い。殿下の。

見学しているはずなのに、逆にこちら側が見学されてしまうのは常だ。美貌王子を見物に来るにぎやかしの数は日増しに増えるばかりである。金環国側も、隣国の外国人に慣れてきたものらしい。

 王太子殿下が金環国側と会話をしている隙に、私は護衛の場を離れた。

バージルのみならず、アーディ王国側の騎士も複数殿下の回りで護衛として鋭い目をあちこちに向けて警戒して歩哨しているし、大丈夫だろうと見切りをつけてだ。

 木立の涼やかな場所に副官殿と日本人少女を誘導した。

野次馬があちこちでその顔を覗かせ驚嘆して騒ぐのを、赤毛の王太子殿下は涼やかな顔で受け止めている。


 「それで、わたしに何か用ですか?」 

 「ああ……」


 副官殿は毎日私の前に現れるので、彼女にお願してこうやって、ハルカ・サトヤマさんを呼び出した次第である。

 私は日本語で話し始めた。

 下賜されたサファイアの国宝を身につけねばならぬ以上、秘密話をするには文字にして渡すか、こうして日本語で伝えるしかない。

 

 「金環国の王子、彼は瀬戸際に立たされている」

 「金環国の王子……、

  って、え、この国に王子様っているんだ……」

 

 黒い瞳を大きく見開く日本人少女たる彼女に、私は肯首する。


 「ああ、いる。

  そして、彼はこの金環国の王位継承者、なんだが。

  どうも、下手くそのようでな……」

 「下手くそ」

 「うむ。王太子殿下、あの赤毛のリヒター殿下……、

  私の主君なんだが彼に言質をとられ、

  リヒター殿下からの王位の禅譲が上手くいかなさそうな塩梅でな」

 「ぜんじょう」

 「ああ」


 ややこしいことだが、この金環国の王位継承には勇者が絡む。

勇者の血筋ではない者が代々王位を預かっている、というのが、概ねの流れだ。


 「リヒター王太子殿下は、勇者の血を引かれる王族でな。

  貴重なる血筋を引かれるお方でもあり、選帝侯でもあられる」

 「せんていこう?」

 「王を選ぶ権利を持つ者のことだ。

  まあ、殿下は貴重なる血筋を引かれるお方でもあるわけだから、

  少々入り組んだ事情があってな。ややこしいかもしれんが……、

  ……」


 そのため、珍しい勇者の血を持つ殿下に、隣国の王太子とはいえ金環国の王位は預けられた。そして、その王位を、金環王子は隣国の王太子から認められて禅譲されなければならない。

 きょとん、としている女子学生、ハルカ・サトヤマに改めて理解をさせるよう、つらつらと話を続ける。


 「血筋?」

 「……アーディの王族である以上、その身には青き血が流れるものなのだ、

  どうしても、な」


 よくも悪くも。ましてや、若い少女たる彼女に聞かせる類の話ではないのだ、王太子殿下の事情は。

 私の含みある言い方に、なんとも神妙な顔つきになる日本人らしい空気読みのスペシャリストたる彼女は、遠くにおられる王太子殿下の御姿を見詰める。

 今日の殿下は、その燃え盛る赤毛に美しい宝玉を散りばめて輝きを倍増、目が眩むほどであった。洒落っ気のある上着に紐のようなものを複数ついた白の軍服を着用、袖口にも瞳の色と同じ刺繍がされており、全体的に上品に纏まっている。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。

すらっとした背筋はお手本ともいえるほどに姿勢が良く、

白磁の頬に赤毛がさらりとかかる横顔、瞼を伏せると長いまつ毛が強調されて美形は何をしても美形なんだとため息をついてしまうほどの美麗さだし、風に吹かれて歩く姿は本当に生きているのか疑問に思うほどに儚い。

 ――――嘆息する。どちらが、という訳でもなく私とサトヤマさん、同時に。


 「サトゥーン団長、時間が」

 「む、あぁ、すまない」


 副官殿に催促され、私は黒髪少女にお願いをする。


 「あの金環国の王子は、以前はとんでもなく、

  人に迷惑をかけてきた。それこそ、殴ったりな。

  殺しや暴力をまき散らした無法者だ。

  反省の色も何もないように見えるかもしれない。

  だが、今の彼は、きちんと自分の後始末をしようと考えている。

  リヒター王太子殿下は、そんな彼にひとつ、

  大きな課題を突き付けた」


 蕎麦屋の亭主が金環王子の謝罪を受け入れること。 


 「それは、あまりにも相手次第の条件だ」


 果たして、あの爺さんが受け入れるだろうか。

リヒター殿下が保護したというのだから、はっきりいって、爺さんはリヒター王太子殿下のコントロール下にあるといっていいだろう。そういった意味においても、これは遠回しな王位を認めないという話なのかもしれなかった。


 「そして、その金環王子は、サトヤマさん。

  あの雨の中、君らを追い回した男だ」

 「え?」


 どうやら、まだ把握していないようだった。きょとんとしている。

その王子様と彼女はすでに出会っていたことを。


 「つまりは、蕎麦屋の亭主を引っ立て牢に入れた男だ、

  私と戦って、腕を折られた……」


 正体を告げるとぷるぷると瘧のように体を震わせ、拒絶反応を示した。


 「なんですか、それ。

  そんなの、リヒター様が正しいです!

  わたしたちを馬鹿にして、リディさんに暴力を振るって。

  火事まで起こした犯罪者ですよ!

  そんな奴に王様なんて仕事、できるはずがないです。

  蕎麦屋のお爺さんだって、うん、と頷くはずないです!」

 「そうだな……。

  だが」

 「わたしだって怖かったんですよ!

  ……訳がわかんない」


 私は、あの金環王子の身の上話を説明する。

それにはさすがの黒髪少女も憐憫の顔をみせたものの、納得はしていないようだった。

 

 「そりゃあ、同情はします。

  でも、やったことは犯罪者です。

  到底、頷けるはずがありません。

  ……なんで、リディさんはそんな奴に肩入れするんですか?」


 追われた彼女からしてみれば、あんな暴力的な人間が王になるなんて信じられないということだろう。私もだ。しかし、現実は時間を待ってはくれない。


 「このまま王位が空転状態になると、

  非常にまずいことに内乱が引き起こされる可能性がある」

 

 実際のところ、それこそが本来の、リヒター王太子殿下の狙いだ。

そうやって、この国の有力者どもの弱体化を図り、好きに選んだ奴を王に据える。

 リヒター殿下は選帝侯かつ勇者の血を引かれるお方だ、誰を選んだところで、どこからも文句は言われんだろう。むしろ、その王を英雄として祭り上げて据えると、支持率は非常に高いままになる。金環国を、アーディ王国の盾に使おうとさえ考慮していても不思議じゃない。

 私がしたことは、その二番煎じのようなもので、リヒター殿下の思い描いていた理想を薄めたような効果になってしまった。だからこそ、彼女、勇者と同じ似姿の彼女の力が必要だ。後ろ盾がいるのだ、リヒター殿下の金環国王の禅譲を認めることと、彼女の勇者としての姿勢が。


 「けど……あんな暴力的な人を助けるなんてこと、わたしには」


 王太子殿下の側近としても、真実を語るわけにはいかない。


 「……社会の教科書や歴史の教科書に書いてあるように、

  どんなに成熟した文明も、圧倒的な力の前では貧弱だ。

  どれほど人権や権利を叫ぼうとも、

  武力の前には倒れるばかり。

  ……それが現実なのだ。

  力がなければ、ねじ伏せられる……。

  それが、アーディ王国。

  かつてのアーディ王国の姿だった。

  今は、違うが……」


 内乱とは、酷いものだ。国が疲弊するのは勿論のこと、同じ国の者同士が殺し合うのだから。互いに、互いを憎みあう。裏切っていないかと疑心暗鬼になること安請け合い。


 「サトヤマさんには辛いことだろうが、

  どうか、耐えてもらえんだろうか」


 私は、頭を下げた。

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