八十三話
建国秘話の彫像が際立つ黄金の扉が、両隣の兵らによって開かれる。
隙間が広がっていく時点で、遠目からでもはっきりと分かるほどの映える赤毛が視界に飛び込んできた。
勇者の血を引かれるかのお方は、後ろ姿のままである。かつて先祖が座っていたであろう玉座を見上げたままでおられるのは、こちらとしてもなんとも感慨深いものがある。
私は彼ら金環国の代表たる金環王子と護衛らを先に行かせるために一歩、距離を置いて黄金扉の脇にずれた。それに少し、寂しげな顔をしてみせた犬っころへ、私は片目を瞑ってエールを送る。
そんな私に大きな眼を瞬かせたあと、勇気を貰ったのかあどけない笑みを返し。ぎゅっと唇を一文字に結んで気持ちを整えた彼、金環国第一王子は背後の者らにも目配りをして頷いたのを見てとったあと、次期王位を継ぐ者としての気概を見せた。靴の足音が木霊するその玉座の手前におられる、我がアーディの王太子殿下のもとへと、彼は、その歩みを堂々と進めたものである。
勇者英雄譚に彩られた天井絵のもと、囁くような声が響く王の間。
採光窓から降り注ぐ太陽の光が、整えられた茶の髪をさらりと撫で、金環王子のマントに影を落とす。その後ろを二人の護衛が脇に控え、さながら、自国の王城であるというに、敵に立ち向かう様相を成していた。
(やれやれ)
私は、こっそりとため息をついた。ついで渋面になる。
なんせ、我がアーディ王国側のほうには黄金世代の同僚らがどっしりと構えているし、ついてこさせたらしい他行政官まで連れてきちゃってるもんだから、明らかにこちら側……いやいや、私は金環国側ではないが、犬王子のほうが思いっきり不利である。なんせ、主だった宰相がいないのだ。行政を取り仕切っていたのは王ではなく、宰相であったのだ、だからこそ私腹をこやしてあれこれと王子に対しても不遜な態度でいられたのだろうが、しかし。
(まずいなあ)
多少の時間があれば、次期宰相候補を無理やりにでもこの場に立たせることができたはずである。が、たった三人しかいない。
まさしく、これは。
(……私への、あてつけか)
遅れて王の間に入場した私の足音を聞きつけて振り返ったタイミングは、あからさまなほどに、私を意識したものだった。
リヒター王太子殿下の玲瓏なる青の双眸が、金環国の王子をすり抜けて私を直視していたのである。心なしか、気分を害されているように見受けられるが、そうだろうな、うむ。
なんせ王太子筆頭護衛が、金環国の王子のそばにいたのである。
私の衿に装着しているサファイアの国宝からまるっと丸聞こえであったのだ、裏切りなどの所業はしていないのは明白ではあっただろうが、私の職務が職務だ。
(はは……)
口の端がひくりとする。せめて副官殿を連れて来れば良かったが、
(まあ、副官殿には、ハルカ・サトヤマさんの護衛をメインにお願いしている部分があるからな)
この場にいない副官殿を惜しみながら、さて、この王子対談、という軽い形式だったはずなのにすっかり空気が重くなってしまっている国家首脳会談をどうにか、穏便に終わるよう願った。
用意された小さなテーブルに、椅子が二つ。
一人は金環国王子、そしてもう一人はアーディ王国の我らが王太子殿下が。リヒター殿下はその長い足を組み、優雅にお茶を嗜んでいる。実に、リラックスした表情をとっていた。始めは険悪な雰囲気になるかと危惧していたが、井戸での私の取り合いなどという訳のわからない話はとりあえず彼ら王子方の間では、ひとまず無かったことになっているらしかった。ほっとする。
和やかな会話の主導権は、年齢の上でも長年外交に携わってきたという意味においても、やはりリヒター王太子殿下に一日の長があった。
当たり障りのない話であったというに、リヒター殿下はことのほか心掛けてスムーズに展開していく。
時折、金環国側の細身君も、その面白い語り口に軟化した態度を示し、金環国の王子様もすっかり感化されてしまっている。筋肉ダルマ君でさえも、然り。アーディ王国側の騎士らも似たようなものだから、人のことは言えないが、正直、このまま終わると思っていた。
「……でハ、その爺さんへの正式な謝罪を持って、
王位継承を認める、ト?」
「そうだ。
その被害を受けたご老体が貴殿の謝罪を受け入れることで、
選帝侯として、貴殿を金環国の王位継承者として認め、
勇者の血を引く者として誓う。金環国を預けるに値すると」
「……分かっタ」
え、と思ったときには、時遅し。
私は、王太子殿下の意地悪そうな横顔だけを見守るだけであった。実際、私はただの護衛騎士であって、口を挟める立場にはない。
リヒター王太子殿下の末恐ろしい意図を察し、だらだらと冷や汗をかいている私と違い、王子方二人の会話は恙なく話が進んでいく。
だいたいは決まりきったもので別段どうってことのない会話であったが、時折分からない部分があれば、さすがに三人だけでは言葉が詰まる。
しばらくそうして話が止まりそうになったのを、天の助けというべきか。金環国バージル側の行政官らしき人物が黄金扉越しに慌てて駆け寄ってきた。ほっとしたが、来るのが遅かった。しかも見覚えのあるおっさんだったし。王太子殿下の嫌味を長々と受け続けてあのタフネスなおっさんだ、不平等条約を締結しにやってきた、金環国側の代表。このような歴史的場面も任されていたようだったが、なんでか来るのが遅かった。その顔面蒼白っぷりに腹でも壊したのかと文句を言いたくなったが、ここはぐっと我慢する。
(勘弁してくれ)
私は、この会談でとんでもない爆弾を投下してくれた王太子殿下に、一言物申したくなった。
早々に席をたつ王太子殿下の後ろをついていく私は、赤毛王子のお怒りポイントを想像する。なんせ、あの吹っかけ。
玉座の間から回廊に出て、リヒター殿下の護衛を黄金世代から引き継いだ私は、早速ながら王太子殿下に真意を尋ねる。
「リヒター殿下、何故、あのようなことを」
「あのようなこととは?」
「金環国の番犬を試すような、王位の継承です」
「ああ……」
アーディ王国側の人々は、皆、それぞれの持ち場へと立ち去っている。今回の対談においてリヒター殿下に周囲にいた人々は士官持ちばかりで、部下に指示を出さなければならない。飛び退るようにして、リヒター殿下のことは私に任せていなくなった。
「王位は認めてやると公言しただろう。
……気になるのか?」
「当たり前です」
「当たり前、か」
「は」
すると、ぴたりと歩みを止めた王太子殿下。
私もまた、その隣で両足を留めた。運が良いというべきか、回廊はこういう時に限って人がいない。
「リディ」
「は」
「君は、俺の騎士だ」
「は」
「何故に、あんな馬鹿犬に誑かされている?」
「は……?」
王太子殿下の麗しの顔が近づいた、と思ったら。
側頭部を両手で掴まれ、身長差ゆえに引っ張られる。気付けば、殿下のすっとした鼻筋が、私の鼻先につんと当たり、擦り付けられた。
(え)
危うい接近だった。
本当に、口づけでもするような距離であったから。殿下の、割れた唇から溢れた吐息が私の開いた口に入りそうになる。驚いた私は一歩は離れようとしたが、瞬間、私の後頭部は雁字搦めに殿下の手によって抱きしめられていた。無理やり曲げられた首が痛い。
「知っているか?
これをやると喜ぶ奴が多いってことを」
「え……」
おまけに、金髪を側面から後ろへと梳くようにして指を絡めて掻き上げ、私のうなじを触りながらの、耳朶に囁きはじめたものである。その低い声を浸透させるようなゆっくりとした仕草。生暖かい息が首の裏にまでかかって、背筋がぞくりとする。
「リディ。
……あまり俺を失望させるな。
余計な真似ばかりして……、
これ以上、選帝侯たる俺に楯突くあの馬鹿にかまけるようならば、
アーディの王城から一歩たりとも出さぬ」
「な……!」
「俺の隣はリディだが、もう片方、空いているだろう?
……そちらに住んでもらうからな」
隣、とは護衛部屋のことである。
殿下に万が一があてはならんからな。そこに近衛が詰める。何かあればすぐに駆けつけることができるよう、夜はそこで待機する。大概は私の寝る部屋になってしまっているけれども。まあ、なんらかのトラブルや問題が発生し、緊急性があれば騎士団の宿舎や王城の別の客間のほうに寝泊まりするが。
(殿下の、空いてるほうの部屋、って)
ごくり、と生唾を飲みこむ。
どう考えたって、そこは、王子妃の部屋であった。
侍女が毎日のように清潔さを心掛けて掃除をしている、あの豪奢な部屋である。主のいない、閑古鳥な部屋……そこに、武骨な私を?
別名、王太子妃部屋。ぽつん、と所在無げに金髪碧眼のおっさんが立ち竦んでいるのが瞼の裏に見えるようだ。
「で、殿下……、御冗談ですよね?」
「本気だが?」
(こ、これは……相当怒っていらっしゃる?)
一体全体、どうして。
問いかけたいが、聞くだけで答えてくれるのは、出来た大人か素直な子供だけだ。このようなお怒り心頭な殿下に尋ねるだけ野暮というものだ、何故分からないと詰られて終わりであろう。うむ。やめよう。この話、広げると本当に怖いぞ。ぱっと体を勢いよく離そうとするや、案外と殿下もタイミング良く手を離され、ようやく解放された。
まじまじと、殿下の秀麗な顔を確かめる。冷静そうな。いつもの眉毛だ。綺麗に整った。殿下は大した手入れをしなくてもその美貌を保っているのだから、まったくもって良かった、ジョークだった。
殿下だって少しは、悪ふざけをしてみたかっ――――
「となると、ゆくゆくはリディも、
アーディ王国、初の王配か」
(やばい)
殿下の宝石のような青い瞳が、キラキラとしていらっしゃる。それは、あの金環王子とは対極の輝きだった。すごく良い笑顔である。いっそ清々しいほどに爽やかでさえあった。対し、私の総身はぞわぞわとしてぶるりと震えた。
「リヒター王太子殿下……、
どうか、どうかお許しください」
「何故だ?
これで、俺は婚約者婚約者と五月蠅く言われなくて済むし、
リディだってそうだろう」
「そ、それとこれとは話が別です、殿下!」
明らかに意図的な仕返しと鬱憤の籠った一撃である、私の精神はぺしゃんこに潰されてしまった……。




