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七十九話

 知らないうちに、眠っていたようだった。

瞼を開けると、金髪が目に入った。どうやらオレは腕枕されているようだった。

 それでいて、自分はこいつにしがみついていたのである。どこぞの動物みたいに。まずい恰好であるのを今頃になって気付き、がんじがらめにしていた足を離す。慌てて半身を起こすと、こいつの反応が気になった。

 優れた体躯であることは、分かっていた。

その自分よりも二回り大きい首の太いところへ、己の顔面がもぐりこんでいたらしくいささか涎が付着していてテラテラと濡れていた。

 ますます気恥ずかしさが募って仕方ない。

 羞恥に身を竦ませながらも、その俯く横顔を覗き込む。

 と、異変を感じた。

 リディール・レイ・サトゥーン騎士団長の、呼吸が。

眉根を寄せる彼は、どこか息苦しそうにしていた。頬は赤く、紅色なのが常よりも鮮やかに見受けられる。それでいて、僅かに開いた唇から零れ落ちる空気の吐息も、吸い込みが浅いし、吐き出される量も少ないような。

 ごくりと唾を嚥下しつつ。

己よりも年かさのある男から生み出される息の熱量を計るため、手の平をかざした。ついうっかり上唇に親指が当たってしまったが。だが、そのまま。

開いた唇の隙間に、塞がない程度には、指を這わせた。

 (……アツイ)

 乾いた唇の先であったが湿り気のある呼気が、自分の指腹にかかる。

困惑した。

 慌てて額に手をやると、やはり、じゅうじゅうに吸い付いてくる熱量の多さに思わず唸る。


 「おい、起きてルか?」


 念のため声をかけるも、反応がない。

頬を軽く叩く。

 と、ようやく目覚めたらしく、薄目を開いた。

碧の双眸が、自分を捕えた。どきりとする。その目の表面が水膜が張っていて泣いているように見えたため、心臓がドキリとしたのだ。高熱による生理的な反応であろう。それなのに何故、自分がここまで動揺せねばならぬのか。理不尽ささえ感じ、つい、睨みつける恰好となる。

 

 「起きタだろ?」

 「……ああ」


 掠れた低い声は聞きづらいが、どうにか生きているようである。

ほっとした。

しかし、たちまちに眠りの体勢に入るこいつが気がかりで、


 「おい」


 声をかける。

と、再びその碧が開く。


 「……すまない、少し……、

  気を失っていたようだな」

 「気を?」

 「…………意識を失っていた、という意味、だ」


 覚醒はしているようだ。

このまま死ぬのかと思って不安になっていた自分自身にぎょっとした。

ついで、冷や汗が出る。

 薄い瞼の皮が何故か憎くて、そのまつ毛が嫌いで。

でも、その内側で大事に保護されている碧眼の綺麗な目をじっと、いつまでも見ていたくて。年相応の顔だが、どこか影のある疲れたおっさんだというのに、また触れたくて仕方なくて、


 「む?」


 男の、この声もいけない。

耳触りが良いのだ。甲高くもなく、穏やかな。

頬に触れると、やはり熱の高さが浮き彫りになる。髭のあとがチクチクと自分の手の平の中を刺激してくるが、それ以上を求めたくなる己の心境の変化に、胸の内側がひどく乱高下して気持ち悪くさえなった。

 もっと、褒めてほしいとか、もっと色んな話をしたいとか。

今までのこと、辛かったこと、すべてを伝えきってもなお、一緒にいたいとか……。

 かつてない感情の行き場に、大層困った。

 幼馴染みたちとは、また違ったベクトルの気持ちであった、

 (ナンダ、コレは……)

 この生き物は。

蠢くそれは、得てして、想像の範囲内でしかないが。

あの、王太子の側に侍るこいつの姿が容易に想像できて、勝手に苛立ちが。

 

 「……大丈夫か?」

 「ハ」

 「くち、血が」


 瞬いている間に、大きな片手の内側に、自分の頬が包まれているのを認識する。


 「え、ア」

 「ずいぶんと、噛んでる。

  噛み癖、ある……のか?」


 蹲って屈んでいるからか、大の男の節くれ立つ親指が、己の口端を撫でている、接触していることに、思わず。固まる。そうして、ぱっと。距離をとった。

 こんな姿を見られたくなくてぷいと何もない壁のほうに顔を向け、触られた場所を確かめる。

そう、実際に血は出ていた。手の甲に付着するそれに気づき、ぐいぐいと拭いて。同時に、上下の唇を舐めた。慣れた味がする。だが。苦い味もした。

 そうして、再び石像のように固まってしまっている特務隊の隊長。

 それに、不安げに見守っている隣国の騎士団長。


 「大丈夫か?」


 大丈夫でないのはお前のほうだろう、と言いたい隊長殿だったが、舐めとってしまった味は忘れられそうにもない。

だが、いつまでも顔を伏せてもいられないので、ようやく、意を決し、寝具から降りることに成功した。

 実のところ、いつまでも隣にいたかったが。それでは、この男の病を治してやれないだろう。

 

 「人、呼んでくル」


 言うや、彼はどこかぎくしゃくとした動きのまま、扉の前で護衛をしてくれているであろう、幼馴染みを呼びに行く。この細身である飄々とした幼馴染み、まだ手習い途中だが医術の心得があるのである。

 (隣国の、それも仲介役をしてくれるであろう、

  あいつをそのままにしておく訳にもいかないし)

 などと、いつまでも愚図愚図としていたがる気持ちを持て余しつつ、扉を開けて顔を出した。


 「オイ」

 「あれ、どーしたんです?」

 「チョット、こっチ来い。

  あいつが、熱出しタ」

 「え? それは大変だ」


 護衛として立ちっぱなしでいたらしい、休む場もない扉の横で待機していた幼馴染みを招き入れ、振り返る、や。

 驚愕し、慌てて寝具へと駆け寄る。


 「……あいつハ?」


 モヌケのカラ、であった。

シーツの皺だけは人型が残っている。手さぐりで形をなぞると、確かに、そこに人はいた痕跡がある。温もりが、未だあった。

 両手をカラにしてベッドに手をついたまま呆然としている特務隊隊長に、不思議そうに周りを確かめている細身の幼馴染み。

 

 「隊長ぉ、騎士団長殿は……?」


 金環国の王子には、心当たりがあった。鼻筋にかかる、この匂い。忘れられない、あいつの。クソ王子の香りだ。

 唇から、再び血が滴る。歯噛みをすると、余計に。

 美貌王子。狂王子。

そして、奇跡の使い手……遺品の本当の力を自在に操る、天才魔術師。魔法具使い。奴の、誰もが魅了する顔を思い出す。奴が、あの男の、ギロチン台での、騎士団長たる側近に手を伸ばして安堵させる仕草も。

 それらがありありと脳裏に描くことができて、余計に腹立ちが募った。

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