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七十八話

 じっとりとした汗が脇にわく。

長いまつ毛に縁取られた青い瞳に見られることが末恐ろしい。まるでそびえたつ山の頂にでも立ち向かっているかのような印象を受ける。

 

 「……ふ、その意気やよし」


 が、笑むと、心の臓が跳ねる音があちこちから聞こえそうな勢いだった。

誰もが彼に目を奪われていた。

 ――――怖い。

 空気が一変したと同時に。

 (ナンダ、コイツは)

 ぞわりと、鳥肌が立った。

 (化け物か)

 こんな人間がいるのか。いや、居てたまるか……。


 「捨て置くなよ」


 アーディが保護した民への、補償なりの対処を求められた。

のちに正式な文章でのやり取りが勃発しそうだが、それはそれとして、正式な王位継承等対話は明日に持ち越しと決まった。

 何より、あの国王がうるさ過ぎた。


 「何故だ、何故、捕まえぬ!」

 

 いや、元、国王、か。親父は未だに、隣国の王太子に我欲を孕んだ目を向けている。この貴重な血を引く王太子を抑えることができれば、四方国家への道は開けると思っているようだ。

が、それは叶わぬ夢だ。

 まず武術の心得のある人間なのだ、この王太子は。広場に騎士団が展開しているさ中、武器を向けるなんて真似できるはずもない。あっという間にこちら側が瞬滅させられるだろう。

 それに何より、何もない場所に唐突に出現した、陽炎のような技。

 (多分……遺品、か)

 現在も指にたくさん嵌めてある、王太子が動くたびに輝きを反射する指輪。

あのサファイアのように、壊滅的な能力を発揮でもされたらたまったもんじゃない。騎士団長の下賜された遺品たったひとつでギロチンを破壊するほどの力を持つのだ、複数あるということはどんな目に遭うか。想像したくもない。

 おまけついでに広場にいる、アーディ王国の兵らの精強さたるや。

特に、先ほどから身動きひとつでも、不埒な行動をとればすぐに殺せる腕前の者どもが睨みを利かせている……、気付けば、我々金環国陣営はアーディに。囲まれていたのだ。

 王太子を人質に言うことを聞かせるつもりらしい金環王だが、逆に我々が人質に。不利になってしまったことを金環国の元国王は気付いていない。

引っ立てられてもなお、まったくもって気付いてない。それどころか、


 「この、恩知らずが!」


 罵倒をもらうばかりだ。そのギョロ目に映るオレの姿は、さぞ、傲慢にうつっていることだろう。

 (裏切ることで、ようやく、見てもらうことができる、なんてな)

 リヒター・アーディ・アーリィが、金環国家全体を玉座の側に立って見渡す。

 だが、その横顔は。

 なんとも、冷酷な瞳だった。




 「それ、ただ不機嫌だっただけだな」


 金髪碧眼のこいつ。

 あの王太子付きの騎士団長に、だいたいのあらましを伝え、最後の王太子の様子が気になったことを伝える。すると、一言で返ってきた。

 

 「気にすることはないぞ」

 「ソウ、か?」

 「ああ。大方、バージル王が耳触りだったんだろう。

  状況から察するに、それほど面倒臭がっておられない」


 (あの王太子、実は面倒臭がりなのか)

 美貌王子も、この騎士団長にかかるとからっきしだ。

手ずから殴られがあまり気にしていないあたり、ずいぶんと仲が良いようだ。

 (それもそうか)

 赤子の頃から面倒を見ていたという。情があるんだろう。

思わず、自分のことを省みて自嘲してしまう。

 (オレっちの場合、誰もが遠くから見ているだけで。

  生かしてくれてるだけのようなもんだかったからナ)

 修業は殺されても仕方ないほどの非道さではあったが。

言葉を覚えるのも、お蔭様でずいぶんと時間がかかった。幼馴染みがいなければ、きっと今よりももっと、言葉遣いが酷くなっていただろう。

 

 「……ズルいな」

 「ん?」 

 「オレっちには、そういった大人、居なかっタ。

  いたとしても……」


 ふと、こいつになら。話してもいいんじゃないかと思った。

ベッドから立ち上がり、テーブルに隠していた一枚の額絵を取り出す。サイズは手持ちできる手鏡サイズである。椅子に座る騎士団長に差し向けた。

 興味津々のサトゥーン団長、恭しく受け取った。やはり感じるものがあったらしい。この絵姿に、何か曰くがあると。まじまじと手に取ったそれを、眺め続けている。

 そうして、その直感は正しいとオレは満足して告げる。


 「そノ絵は、昨日。おととい、だっタか。

  オレっちの枕元に置いてあった絵ダ」


 あるいは、三日前だったかもしれない。


 「枕元に……?

  特務隊隊長である、貴殿の寝具にか」

 「……ちゃんと、護衛はいたゾ。

  しかしな、それはオレっちが寝ている合間に置かれてた。

  つまりは……」

 「どういう意図があるか、か。

  ……ずいぶんと、綺麗な女性だな」

 「ああ」


 なんとも感慨深い思い、なんてそういった類のものはない。今まで目にしたことさえなかった若かりし頃の絵姿でしかなかった。しかし、褒められると悪い気はしないので、称賛は素直に受け取っておく。


 「ソレは、オレっちの母親らしい」 

 「……なんと」

 「裏に、書いてアる」

 

 裏返すと、そこには達筆な文字が連なって書かれていた。


 「……薄く、かすれて見える、が。

  だが、読める。

  …………カエシナ……」

 「調べタ。

  その名ヲ」


 その結果が、宰相との対話だ。


 「優れた文筆家を代々輩出してキた名家の家名らしイ」

 

 好き好んだ婚約者との仲を引き裂かれ、その美しさに目をつけられた悲劇のご令嬢。悲恋は、巷で一時、話題になったそうである。

 かたや、愛を引き裂いた男の血を引いた息子。 

愛情なんて注がれるはずもない。ましてや、当時からの色好みゆえに王の子はたくさんいた。宰相に言われずとも、代わりはいくらでもいたのだ。

 (おまけに冤罪で殺されていたとは)

 実のところ、自分自身もまた、娼婦の息子だと思っていた。なんせ、寵姫らは王の子である自らの子を大事にしていた。暗殺防止のためだ。権力闘争によって殺されるからだ。自分にはいない。ならば、そういうことだろう、と。捨てられたのだと、理路整然に考えた。たらい回しにされるのは、王の子どもだから。誰かが面倒を見なければ、赤ん坊は死ぬし、子供はご飯を与えなければやはり死ぬ。とにかく、王の血筋ではあるのだ、利用価値はあるだろうと生かしておくばかりであった。


 「…………ナア、騎士団長さんよ、どうして、オレっちは……」


 ベッドの端に深く座り込むと、一気に肩の力が抜けた。

ずいぶんと、今日は疲れた。

姿絵を目にしている金髪碧眼の男。整った横顔、若かりし頃の母と同じ碧の瞳を眺めながら、ふいに沸き起こる疑問の嵐に気持ちが千切れる。

 (どーして、生まレちまったンダ?

  ナニか、意味でもあんのか?

  オレは、どーして、

  こんな、立場になるんダ?

  どーして、オレ、 

  普通じゃないんだ。

  オレは、オレっちは……)

 言葉にならない。

 両手で、顔を覆う。覆い尽くす。

 何故、今更になって。

 こんな、母の姿絵が現れたのだろう。

馬鹿みたいな話じゃないか、自分は父ばかりを求めていたというのに。

 犬のように這い蹲れといわれれば、やってみせた。

 煩い家臣を暗殺しろと言われたので、やってみせた。

 犬の餌を食べるよう指示されたので、その通りにした。

 裸で獣のように歩き回れと言われら、動いて見せた。

 馬鹿にされても、嘲笑をどれだけ与えられようとも。

 もう一人の存在が気にならなかった、という訳ではない。

ただ、母は物心つく頃から居なかったのだ、いないものと諦めていたというのに。愛を与える前に死んだとばかり、思っていたのに。

 余計に酷いことだった。自分の誕生した理由なんて。


 「どーして、オレは、

  こんなに苦しイ……?」


 何故か、分からない。

分からないことだらけだ。

スプリングが跳ねる。隣に、団長が座ったものらしい。

はっとして顔を上げようとしたら、肩を抱かれた。振りほどこうとしたが、何故か体が言うことをきかない。指に力が入らず、彼の胸板を柔く押すばかりだ。

 そうこうしているうちに移動が完了し、彼はその体勢のまま、ベッドへと横たわる。同じく、彼自身も。

 ――――内心、動揺した。

 しかし、頬に当たる感触、その温かい人肌は心が安らぐ。

閉じ込められている。だが、抱きしめられるのは嫌なものじゃなかった。吐息さえ籠るが、次第に慣れた。背後に回る、腕の太さは安定感があった。側頭部から横顔を優しく撫でる仕草は受ける側としては俯くばかりで気恥ずかしいものだったが、この姿勢は誰かに見られるわけでもなし。背を軽くぽんと叩かれたり、ゆっくりと大きな手の平で上下に擦られた時には面映ゆい思いをしたが、何度もされると、全身の力が抜けた。

 (まるで、赤ん坊を宥めるような……)

 ただの石鹸の香りでしかないのに、良い匂いに包まれて安堵している自分がいた。

 (そうだ。あの夕暮れに見た、癇癪起こした子供を抱いていた母親も。

  昼下がりに、赤ん坊を揺すっていた誰かも。

  こんな風に……)

 気付けば、涙は止まっていた。

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