七十六話
先ほどからだが、思考回路がめちゃくちゃな自覚はあった。
……やはり、あの処刑場での一件だろうか? 場所が地面よりやや高いところであっただけに体の芯を冷やした。薄着といって差し支えの無い白装束姿であったため、あちこちからスースーと冷ややかな風が常時入り込んだものである。鋼鉄やら鋼やら、丈夫そうな二つ名を頂戴しているとはいえ、発熱を自然治癒で治そうとしただけの処置で踏ん張っただけなので、修羅場的緊張から解放された今、あっという間にぶり返すのも無理はない。
心なしか、吐息も熱い、気がする。
だが、まだ、大丈夫だとは思う。まだ……な。
(こういう時、点滴があればなあ)
保険対応なんてものはない世界である、栄養ドリンクもなし、あるのはただ気合となんだかよくわからない薬を処方されるという医学レベルの現世。金がなければ庶民は民間医療に頼るしかほかはなく、日々忙しいサラリーマンにはやや手厳しい異世界なのであった。こういう場合は本当に弱る。本当に今、この金環国家バージルは瀬戸際でもあるのだから不健康だと無理がきかない。何の? 亡国の。
(リヒター殿下は了承くださったが)
王位交代の約束を違えることはなさらないが、しかし……まだまだ、私に隠していることはあるかもわからない。私の元女であった頃の直感が告げる。
そして、そういう勘というものは、大概において外れることはなかった。
嫌な予感に、本当の意味での悪寒を感じつつ。私は、額の熱が早くとれるのを願った。
更衣室から呼びかけられ、部屋に入ると、金環国の王子様は風呂に入ってさっぱりとした顔で涼んでいた。しばらく見ないうちに、凛とした佇まいである。男子括目せよ、だ。
ただし、その恰好が寝間着ではあったが。
それでいて、頭が濡れたままである。苛立ちが募る。
「お、オイ! ヤメロ!」
私は無言で、細身君が片付けようとしていた布を奪い、彼の水滴したたる憤懣やるせない頭部を覆いつくし、ふき取る作業に没頭する。
喚く隊長殿を直属の護衛であるはずの細身君は、どこか生温かな目で見守っていた。多分、どうでもいいと思っているんだろう。良くない。私みたいに風邪を引いたらどうするんだ。こいつらにとっては、風呂の入り方は早く入ればいいという軍隊式で小慣れているんだろうが、将来的にハゲられでもしたら困るだろうに。せっかく、そこそこ整った顔で生まれたのだ、少しは毛根を保護する活動をすべきだ。
ぶすっとした顔つきではあったが、素直に私と話をしてくれるらしい金環国の代表たる王子様と私は、彼の私室へとご招待された。
「ほお」
案内された部屋。
そこは明らかに。
「狭いな」
なんというか。
私が眠らされた一応の客室に比べると、段違いに別格なほどに、残念な部屋だった。まず、場所が一部屋しかない。窓もない。……良くはないが、それはまあおいておくとして。
驚いたのは、古ぼけたベッドと年季の入った机と椅子。ただそれしかない、どう拝んでもここは宿直室だったからである。私は真横にいる隊長殿に、念のため尋ねる。
「……本当に、ここが貴殿の?」
「そうダが」
そもそも、この部屋。どう考えても、客室を守るための護衛さんに用意された部屋だ。位置どりが客室の近くにあり、呼ばれたらすぐに駆けつけることができるための用途。どう考えても王の側にいるための部屋じゃない。言い方は悪いが下手したらただの物置部屋……。
思わず部屋の外にいるであろう細身君の顔を見たくなったが、彼は本職の護衛をつつがなくやっている。声をかけたら部屋の中に入って来るだろうが、私は金環の人間ではない。他国の人間である私が彼を動かしてはならない。上司たる王子の鶴のひと声がなければ、な。といっても、まだ秘められた話をしたいのでこいつの生活改善は後で相談しよう。
私はすんなりとベッドに腰掛ける王子様に、椅子に座るよう片手を示され。
(まあ、座るが)
腰落とす。すると、座高の高低差ゆえか椅子の高さが低すぎるのか、私と彼の目線がぴたりと合った。
「隊長殿は、その。
この国の王子なんだろう?」
「そうダが」
さっきからそればかりの返事だ。
私は自分の眉と眉の間が凝り固まっているのをなんとはなしに気付き、こっそりと指と指でほぐす。うむ。駄目だ、熱も上がりそうである。
「……そうだが、ではない。
貴殿はもう少し、王子としての振る舞いを覚えるべきだ」
「ダガ、オレっち、いや、オレは……」
「あぁ、分かっている。
ずっと、そういう役目を負わされていなかったのは」
「そうじゃナイ。
オレには、コレで十分ナンダ。
オレ、狭いほうが好きダし」
「……犬か猫のようなことを言う」
言うと、王子様はにやりと笑い、
「嗚呼、オレは確かニ犬だ。
番犬だったヨ、王ノ。
沢山、笑っタ。笑われタ。そうして、笑っタんだ、オレモ」
「……辛かったか」
ささやかな声だったが、私の問いかけに、彼は。
いっそ純粋なほどの双眸を瞬かせて。唇を真一文字にぎゅっと引き。
小さく肯いた。
「アア。
……とんでも、なく。
でモ、ヤラナイと。オレは、食べていけなかっタし。
見てモ、くれなかったカラ」
項垂れる彼の頂きが見えた。
私は、隊長殿の悲しげな様子に心が絞られるかのように悲しくなった。
「……だが、貴殿の手で捕まえなければならなかった。
あの王は、必ずうちの国へ。
アーディへ攻め込む算段をつけようとしていた。
隊長殿、貴殿が覚悟を決めなければ、
あの王は殺され、今のように生きてはいなかっただろう。
……見ただろう?
あの、騎士団と、黄金世代の騎士らを」
「アア。
とんでもない、覇気と、強者揃いだっタ。
アンタより、強い奴ラ、本当に……。
ゴロゴロいタナ。あんなノが、他にも?」
「そうだ。他にもいるぞ」
「ソうか……」
隊長殿が目撃した騎士団は精鋭だし眼光鋭い奴らばかりで誰がどう見たって強いといわんばかりの騎士らばかりだ。他にもいると言われたら、気持ちが沈むのは当たり前だった。金環の王が攻め込もうとしたアーディ王国には、あのレベルの別枠が他にもいるからな。実際の話。
「……いずれ、破たんは目に見えていた。
状況も悪かった」
駒が揃いすぎていた。
王太子殿下へは、事を起こす前に未然に防ぐことができたし、日本人少女は保護してある。それでいて隣国の騎士団長を処断していたら、さらに最悪の事態が引き起こされていただろう。口実はいくらでもつけられた。
「貴殿の父であるバージル王は、
あまりにも好戦的過ぎた。野心家過ぎたのだ。
リヒター殿下には、それが疎ましく映ったのだろう」
「……ン」
私は、それでも意気消沈している彼の頭を撫でてやる。
すると、彼はびくりと身を驚かせたものの、振り払われることはなく。
ただ、湿り気のある髪が、私の指に馴染むばかりであった。
「温カイ、ナ……」
「そうか?」
「アア」
私は両目を閉じた。
ずく、ずくと、米神が痛む。
私が何か、しかめっ面をしているのを気付いたのだろう、どこか気遣わせるようだった。
「もしカして具合悪ィのか」
「……いや、どうということでもない。
それより、どうだった、うちの王太子殿下は」
それよりも情報が欲しかった。
正しい情報が。
(リヒター殿下のいない間に)
国宝があるから、ぶっちゃけ筒抜けではある。
だが、私は態度を示し続けねばならなかった。
少しでも、この金環国に住まうであろう日本人少女と。彼ら金環国の三人組が生きていけるようにしないと。でないと、下手したら変な外堀が埋められ、私程度ではどうにもならないところにまで追いつめられる可能性だってある。そう、捨てきれないのだ。情報部長官がいる時点で。別れてから、まだお目にかかっていない幼馴染みだが、どこかにいるのは間違いない。あいつ、私と同じく王太子殿下の直属の影だからな。殿下から命令を受けぬ限り、離れるはずもない。
(あの凄腕、火の無いところに焚き付けるの上手だからな……
まだ何か仕掛ける可能性がある。油断できん)
私が金環国へと入り込む前の、酒場での会話にて。日本人情報を入手したという話を私にした辺りで、隣国を内乱状態に持ち込み、四方国家の介入をなるべく入れさせないようにして、亡国へ。
流通拠点の話を受けた辺りで、もう潮時だと思ったのかもしれない。
その手付をしていたのかもしれない。だが、そこに私が割り込んだことで、スケジュールが変更された。
問題は、こうして、亡国の道をばっさり切ったあとの。この国の処遇だ。




