七十五話
他国の騎士団が勝手に来たわりに、混乱が少ないのはどうせ殿下が何かやらかしたんだろうと思っていたが、その通りだった。
金環国の王城は慌ただしさの中にも規律が働いていた。見知らぬ騎士が屯っていようとも、いきり立つ金環兵がいなかったのである。アーディ王国の騎士団がやってきてしまったのでその食事やら部屋の用意やらで大わらわの王城勤めの人々を、私は壁際で立ち止まって先を譲ったあとゆっくりとした歩みで、あの番犬殿を探していた。
「困ったな」
実に、見付からないのである。
王太子殿下との謁見は終わったようだったが、翌日、引き続きの話し合いが行われるという情報は副官殿から貰ったばかりである。
与えられた客室は国賓級のものであり、ハルカ・サトヤマは目を回していた。そうして、厚みある黄金の刺繍が入った布が垂れ下がった天蓋つきのベッドに大層興味を持たれ、すごい! お姫様のベッドみたい! と、大興奮。私も振り回されたが、やれやれ。昔の自分もあんなにはしゃいでいたような気がしないでもないが、ここまでかしましいものだっただろうかと自省する。
(少なくとも私みたいな爺臭さはないな)
ヨボヨボ爺一歩手前のオッサンである。初老である。もはやこの事実はどうしようもないことであり、若い肢体であっちこっちを飛び回る彼女を宥める副官殿に彼女を任せ、私は私でやりたいことがあるのでと逃げ出したわけである。いや、決して面倒臭くなったからといってダリアに命じたわけではない。年寄りに近い私は、未来ある若者たるエリート女騎士である彼女に実績を積ませようとしてだな……。
などと、結局は人任せにしてきた私は、ようやく事情を呑み込んでいそうな男の後ろ姿を発見する。あの大柄でいてあっという間に私の指導剣の前に崩れ落ちた筋肉ダルマ君だ。
「もし、筋肉ダル……、君!」
「は……?」
おっと、いけないいけない。
危うく心の中でのあだ名を呼ぶところだった。細身君へは勢いでごまかしたが、この場は別に、死ぬ一歩手前じゃない。どうとでもなる場面でもなかったので、自分でも思う胡散臭さ全開の笑みでグレーゾーンに不時着した私は筋肉ダルマ君の足を止めることに成功した。
「無事であったか」
「貴殿は……はい。
そうですな。なんとか」
彼は頷いた。うむ。何よりである。私も頷き返した。
「あれから、どうなったか気がかりでな……」
そう。私は、バージル王が息子に捕縛されてからが不明なので、自ら情報を手繰りにやってきたのだ。それに、彼ら三人組の無事もこの目で確かめたかったのもあるが。うむ。筋肉ダルマ君は健康そのもののようである。
「息災のようで、何より。
ところで、あの隊長殿はどちらに?」
案内された場所は、意外にも私が着替えさせられた風呂だった。
「入浴中です」
「なんと」
なら、普通はどこぞの空き部屋ちっくな客室にでも待たせてもらえたらよかったんだが、と不躾ながら考慮して欲しかったが、どうやらこの筋肉ダルマ君的な融通方法だったようだ。入浴中とのことから、見張りをしている金環兵ら二人まで連れて行こうとしていた。
この暴挙に、さすがに慌てた。
「貴殿はあの王太子の護衛騎士でありましょう。
腕のほうも自分もよく把握しております。
ここに居ても構いません」
「いやしかし私はアーディの騎士」
「構いません」
は、と声に出ぬ声が出そうになったところで、筋肉ダルマ君は颯爽と立ち去った。忙しいらしい。
私はぽつねん、と。その場に留まるしかなかった。
さすがに、護衛の一人もつけぬ隣国の王子様をこのままここですっぽんぽんのままの無防備王城宣言させるわけにもいかず。
仕方なしに、騎士の本分を務めることになった。
動きがあったのは、しばらくして。
金環国の近衛でもないのに、近衛の真似事をせねばならぬために人の通りの無いこの真っ直ぐな廊下辺りを警戒していると、着替えをするための更衣室からくぐもった声がする。
(む)
何かあったのでは遅いと思い、扉を弾き飛ばすかという勢いでドアを開けて入り込めば、まさしく生まれたての王子様が体に乾いた布を巻きつけて突っ立っていた。
「どうした!」
私の声にびっくりしたものか、彼は大きく両目を見開いている。
だが、次第にその頬が茹蛸のように赤くなり、
「な、なンでココに!」
と、これまた生娘でもないのに、その胸を隠そうと必死になっていた。
そのため、薄っぺらいが、鍛え上げられた腹筋が露わになった。つまりは、下のものまで丸見えである。自然と、視線がそこに吸い寄せられる。ぶら下がっているのだ、仕方ない。
「……デカいな」
呟くと、彼はますます身を小さくして、
「デテけ!」
怒られてしまった。
(アレって褒めると大概嬉しがる奴が多いんだがなあ)
従僕時代の自分は演習やら修業やらで風呂なんて一緒になる機会が腐るほどあったため数え切れぬ男根を目にしてきたはずなのに、その自信がなくなってしまった。背中を押され、部屋から追い出される。ううむ、失敗である。
再びの近衛兵役に舞い戻り、少しして。
「おや、貴殿は」
今度は細身君である。
私は相好を崩し、まずは彼の無事を祝う。すると彼も同じく。
細身君は、隊長殿のための着替えを持ってきたようであった。
(なるほど、私はただ、隊長殿に服がないと呼ばれただけであったか)
先ほどのくぐもった声の正体を知り得たために、なるほどなるほどと、納得の肯首を二回もした私を、細身君はなんだこのおっさんと怪訝な視線で遮ってくる。が、さすがにこれ以上ここであれこれと会話をすると、地獄の番犬が風邪を引いて寝込んでしまう。
「隊長殿がお待ちかねぞ」
「ああ、そうだった」
扉を開けてやると、彼はそそくさと更衣室へと滑り込んだ。
私はまた、近衛兵としての本分を纏うする。
「いや、私は金環国の兵ではないが……」
まあいいか。
とりあえず、どこか浮足立った金環国の王城の空気を吸いながら、ぼんやりとあれこれと蜘蛛の糸のごとき張り巡らされた謀略と智謀にまみれた、この金環国という蝶々の行方を見定める。あくまでも脳内でのことだから、私の襟首にあるサファイアのラペルピンは関係ない。私はちらり、と。視線で、この宝飾の表面の色彩をちらりと見詰めながら。
(思考を読むものではない、はずだ)
さすがにそれは嫌なので、それは無しの方向で考慮したいと苦慮する。
けれど、あの王太子殿下なら在り得るのがな……狂王子という名は伊達ではない。目的のためなら手段は選ばないからだ。たとえそれが己の体目当てでも。
(はあ……)
だからこそ、私は辛い。
この金環国の王子様のように大人しければ、ここまで私は後悔する羽目に陥らなかった。まあ、この国の王子とやらもなかなかのヤンチャというか、民に迷惑をかけっぱなしなので、今後に期待というところだが。
(前科がな)
だからこその日本人少女の到来である。
彼女がバックアップ、そうして、アーディ王国もバックアップ。そして、うっすらと支援しているらしい王子様の保護者らのバックアップ。その三組によってなんとかなるんではないかと私は狙っている。
(のだがなあ)
殿下と殿下。
二人の王子らは、いったいどんな話し合いをもたれたのか。
さすがにこればかりは、副官殿は知り得ぬ情報である。王太子殿下とは離れ、日本人少女たるハルカ・サトヤマの護衛に当たっていたからな。
すん、と鼻を蠢かすと、良い匂いがした。
立ち上ってくるこの匂い。まさしく、夕飯の準備であった。
昼は食べ損ねていた。だからか、胃が空腹を訴えるのに今更ながら私の体が気付いたものか、きゅうきゅうに音を鳴らしてくれる。
「……元気なことで、何より」
お腹をさすり、そういえば、今日は晩餐会をするのだという話は聞いていなかった、明日か、などと。ぼうっとしがちな頭で考えていた。
額に手を当てる。
「……うむ」
案の定、熱、が。
再熱していた。




