七十四話
広場のとある一角の部屋を間借りしたあたり、しっかりした性格の人間が采配を振るっているようだ。そして、その見当は間違いではなかった。
「副官殿……」
彼女はびしっと敬礼していた。
日本人少女ともう一人の女の子を保護するのは、いくら優秀な騎士とはいえ並大抵の苦労ではなかっただろう。私は、労いの言葉をかける。
「……すまんな」
「いいえ。ですが……、
貴方の部下に対し、それだけですか?」
私が彼女の意図を探れずにいると、彼女はその唇の端をにやりと上げた。
「ふふ、冗談ですよ」
くいっと眼鏡を上げて光らせた副官殿、騎士らしく目上の人間である私の前に跪き。
「サトゥーン騎士団長。貴方が、無事で良かった」
私の武骨な手の甲を掬いとり、軽い口づけをした。
女性らしい愛らしい唇の感触が直に伝わる。
「……ダリア」
「ふふ。
貴方がコレを苦手であると理解しています。
ですが、わたしにだって貴方への親愛を送らせていただきたく」
彼女は私がこういった習慣を苦手としていることを知っているため、これ以上のことはしてこない。だからこそなのか、副官殿の言葉を丸々と受け止めることができた。
「本当に、すまない」
と、にこっと笑んでくれる彼女は確かに美しかった。
従者を長く務めたこともあってか、引き際は心得ている。私への軽い悪戯をして気が済んだとみえて、颯爽と立ち上がると扉の奥へと消えた。
柔らかな光が差しこむ一室。
その陽だまりを浴びてしっかりと整えられた私の制服は、皺ひとつなく性格がまるっと出たものが用意されていた。なんだか、昔の彼女となんら変わらないのを再確認してしまい、くすりと私もまた微笑してしまった。
「リディさん!」
早速ながら着替えた私は扉の先で出待ちしていた黒髪少女、ハルカ・サトヤマの歓迎を受けた。
私は後ろ手にドアを閉じるや否や、彼女は私の傍から離れずにいる。
「わあ、すごい!
恰好良いですね……、騎士の服装なんですか?」
「略式だがな」
「へぇ~」
ぐるぐると私の周りを回ってワン!
は、さすがに言わないが、なんだか犬に見えてきた。気のせいだろうか。
先ほどから私の、この騎士の服装を褒めちぎっている。腰には武骨な剣が据えられているし、確かに中世の騎士っぽい。私もそう思う。それでいて、背中のマントとかが明らかにコスプレっぽいしな。だがこれ、日常で身に着けている仕事着なんだ、すまない。
私だけが言葉が通じるためか、彼女は私に頼りっきりだ。
私の副官殿も女性だ、彼女に頼ることも多々あっただろうに、さすがに会話が通じる相手とはまた別格のようである。
これには、ダリアという可愛らしい名前の副官殿も困り顔だ。
「サトゥーン団長は、彼女と意志疎通できるのですね」
「ああ」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「機密事項だ」
「……はっ」
(すまんな、副官殿)
不愉快な面は出さないが、しかし、腹の底では何考えてんだ団長教えてくれたっていいだろうこの禁則事項、ぐらいは思っているかもしれない。
だが、さすがに。私の前世が絡む話はしたくはない。
(主君たる王太子殿下にさえ、語っていないことだからな……)
正直、気が重い。
多分だが、殿下は私がこの日本語を扱うことについては勘付いてる可能性がある。なんせ、あのサファイアの魔法具を私は装着していたのだ。殿下はあらゆる魔術を行使できるお方だ、私の話に耳を傾けたからこそあの処刑場へと姿を現した。つまりは、私とこの日本人少女との日本語での会話が筒抜けであるということ。
(あの雨が降っていたとき。
日本人少女らを逃がす際にも、
私は、殿下から下賜されたサファイアを、
しっかと身に着けていたからな)
なくすわけにもいかなかった。
ただ、想像以上に魔法具としての機能が特化していたようだった。
それだけが、驚きではあったが。
(さすがは、宝石の君。宝玉の王。美しき女神の愛児。
月の……なんだったか。二つ名が多すぎる)
私もまた二つ名をつけられ過ぎているが、王太子殿下は別次元だ。
それでいて、旅の詩人らが私と殿下の話を誇大妄想混みでとんでもなく広めてくれるのだから、収拾がつかなくなりつつある。基本、その話では私は添え物扱いであるが。
(殿下は、その魔法具たる国宝級を軽々と扱える。
もっと、根深いところまで)
殿下は見目にばかり注意を払われるが、気にしなければならないのは彼のズバ抜けた頭脳とその力。魔術師とも呼ばれる、その手腕だ。
そう、遺品のすべての力を完璧に使いこなせるのだ、殿下は。
それなのに手渡されたときには、そのようなおまけ能力付きであるという事実自体、知らされていなかった。
(私は……、聞き逃した覚えはない。
わざと教えられなかったと然るべきだろう、
この宝石に盗聴器のような能力があるなんて)
なんせ、そう考えないと奇妙なことがある。
第一、唐突にこの金環国に現れてあれこれとした発言の類なんてまさにソレ。
(リヒター殿下。
……わざとだな)
わざと、私を泳がした。
そして、絶対に逃さぬとばかりに、私の言動をチェックしていた。
まさか、この騎士団長たる私が。
(主君たるリヒター殿下に忠誠を誓うこの私が、
疑われていたとは)
私もまた、リヒター殿下の行動を試すようなことはしたからな。
それでお相子、かもしれんが。
なんとも、絶望を覚える。さすがの私だって戸惑う。
しかし、これでよいのだとは思う。
(王とは、孤独な生き物だ)
殿下は良き王様になられる。
聡い。私のような身近な人間にも気を配り、決して油断をなさらない。普通なら、ここまで側にいる人間を調べるようなことはしないだろうが、リヒター殿下は違った。私のこの、心の柔らかい部分を知りたいと思っていたようだった。
(私は、この秘密を。
前世を、墓場まで持っていこうとは考えてはいたが)
しかし、土台、無理かもしれん。
このように、明るく私に日本語であれこれと話しかけてくれる彼女の、そのくるくると変化する安心しきった顔立ち、学生らしい振る舞いは、私の前世における故郷の人々とまるで同じであったし、私も日本語で鷹揚に答えてしまっている。
私の部下である副官殿はもとより、日本人少女の護衛をしている騎士二人組も、私のこの日本語能力に疑問を抱いているようだった。
(……さすがに、リヒター殿下に。
隠し事は、できん、か)
すべてをつまびらかにはできない。
晒してしまった部分は、もう二度と戻らないからだ。
――――さて、どうするべき、か。
「サトゥーン団長」
途中、用意された馬車に乗り込みながら眉根を寄せる。
それを、副官殿に気付かれてしまった。
「どうしました?」
「……なんでもない。
さあ、乗りなさい、サトヤマさん」
「は、はひ!」
何故だか分からんが、彼女は噛み噛みになりつつ、私の差し出した手に、その柔らそうな手の平を恐る恐る差し出した。ぐっと掴むと、彼女は馬車内に入り込めた。そうして、この街に生まれて初めてやってきた私と同じく、和風文化を興味深そうに眺める。
彼女は、だいたいの部分においては異世界に溶け込むだろう。少なくとも私より若いのだ、順応性が高い。
だが、忘れてはならないものがある。それは、故郷への想い。もう二度と、近づくことのできぬ過去。彼女には恐らくだが告げられていないであろう、帰ることができぬ真実。
馬車の窓枠にしがみついたまま離れることのない、日本人少女の後ろ姿を眺めながら、私は、彼女の居場所をちゃんと作ってやらねばと改めて感じ入っていた。
私はハルカ・サトヤマと快い談話をしつつ、王城へと向かっている。
そう、あの金環国の王城へ。
彼女は私に、金環国王都の街並みについて、不思議に思ったことはことごとく質問をしてくる。そんな日本人らしい彼女に私はできうる限りの回答をするが、分からない部分があれば、この世界の日常会話でもって、副官殿や騎士にその質問を丸投げ。そうして得られた答えを日本語に訳し、彼女に伝えた。
王城へと向かっている最中の彼ら、騎士団長たる彼の衿には現在、サファイアのラペルピンが飾られている。
――――いったいいつ身に着けたものか。分からない。だが、彼はそれを、たとえどのような意味合いなのか知らされていなかったとしても、その身に備えることによって王太子殿下への忠誠の返礼とした。
美しき魔法具。遺品。アーティファクト。国宝級のものであるそれは、生涯、彼の襟首から離れることはなかったと、詩人は語る。




