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七十話

 俯いていた殿下が顔を上げると、傾国といっていいほどの秀麗さが露わになった。白磁の頬にうっすらとかかる赤糸の髪が酷く扇情的で、果実のごとくふっくらとした唇が笑みを形作る。王太子殿下は私の顎のラインを優しくひと撫ですると、その青い瞳を瞬いてから立ち上がった。

ざわり、としたのは、何も金環兵だけではない。


 「うわ……」


 呆気にとられているのは、細身君も同様で、動揺だった。


 「な、なんだこの人……」


 そう思うのも無理はない。

と、私は与えられた上着の温もりに少々、身体が冷ややかであったのを思い出して今にもクシャミをしたくなる心地であったが、我慢する。到底、そんな状況ではないからだ。私は襟を掻き合わせて膝まずいた恰好のままに、隣で立ってその美貌を存分に発揮しているこのお方を紹介することにした。


 「……細身君」


 呼びかけると、彼は現実に戻ってきた。

さすがは王子の側仕え。気をヤってからのリターンが速やかである。


 「って、さっきからそれ何だよ、もしかして呼び名か」

 「ああ。

  とまあ、それはともかく、

  こちらの御方は、リヒター・アーディ・アーリィ王太子殿下だ」

 

 細身君からの問い合わせは無視した私は片手の手の平を天へと差し示すと、申し合わせたかのように、にっこりとほほ笑まれる殿下に。

 細身君は、ぽかーん、と。

彼は、口を開けたまま。殿下の顔を穴が開くかと言わんばかりに見詰めていた。

 第一弾の衝撃から、第二弾の超絶な美形たる笑みの攻撃に彼は再び意識を喪失させてしまった。あれほどの技術と腕を持つ兵が。

 絶世の美男ともいうべき、彼にすべての五感を奪われてしまったようである。

 (まあ、誰でもそうなるわな)

 大体においての人々の反応のうち、ほとんどがそういったものである。内訳を解説すると一割は卒倒などの気絶、残り二割は頬を赤らめてぼうっとする、あとは大体、彼のようなもの、か。基本がその3パターン。稀にショックを受け過ぎて逃走するものもいる。それとごく少数だが、美形に耐性があって、中には殿下をものにしたいと邪な輩と出会うこともあった。勿論成敗した。

 ただ、大多数のぼうっとする中にはアーディ王国にとって有益な存在もいる訳で。無論、悪手な存在もいるにはいたが殿下が遭遇する存在というものは、立場がある者も少なからずいた。

重要な情報を持つ者も。

 利用できる。打算的に考慮できるリヒター殿下は、彼らを自分のものとしたり、ある種のテクで籠絡、あるいは一夜を過ごしたりと、ある意味、自分を最大限に利用していたのであった。面倒臭くなると私に丸投げしてくるのはやめてほしいが……。正直、裸族の殿下とベッドで対面することが多い修羅場は厄介なものが多い。私を必ず恋敵と疑う者がほぼすべて百二十パーセントなため、私はいつもひいひいと悲しげな顔を浮かべて、呼ばれるまで寝室の前に待機しなければならなかった。そんな騎士団長へ憐憫の表情をとってくれるのは、私の副官殿の副官補佐二人だけである。副官殿は、そんなしょうもないことを何故騎士団長たるあなたがやらねばならぬのです! とキレッキレになってしまった過去があるので職務外だが私だって彼女と同じ想いではある。切ない。

 ――――美貌王子、狂王子。

 世界中にファンがいて、有名な。私からしてみると20歳のやんちゃ坊主でしかないが、大事な。私の大切なお方である。

主君だ。

 

 「リディ」

 「は」


 私は、居住まいを正して彼に対し、身体の位置を整えた。

いついかなる時も、主君へ膝を折らねばならぬ。従僕時代からの教えだ。


 「で、こいつか?」

 「……は?」

 

 王太子殿下は、人差し指にて、示された。

その先にいるのは細身君である。

私は王太子殿下の意図がいまいちよくわからず、首を傾げた。

 

 「それは、どういったことでありましょう」


 リヒター殿下はますます笑みを深め、私に、響く声をかけた。


 「リディの愛する人って」


 (ん?)

私はますます変顔になった自覚をしてしまった。

 

 「愛?」


 口にすると、ますますおかしい感じだ。

そもそも、私に愛する人なんて、恋人さえいないというに。どうやって誰を愛するというのだ。性別による感覚の違いへの対処は、生まれながらにしてどうにか折り合いをつけてきた。年頃による女にはないアレこれだって、布団を濡らしたり、下穿きをごまかして洗ったりして。正直、勝手に垂れ流すことは嫌だったけれど、自分であらゆることは対処してきたつもりだ。男にとっての象徴ともいうべきそういったことは、私にとって、ますます生きた心地のしないものではあったが、仕方ないと諦めるために必要な過程ではあったんだろう。

 だから、愛、なんて。彼女とか。あるいは彼氏とか。

殿下はあれこれと手を出し過ぎてますます頭が……と、もっとも忠実なる臣下のくせして余計なことにまで気をまわし始めた私に、殿下は眉を潜められた。

 その、綺麗に整えられた眉頭を見てみるに、どうやら私の考えた方向とは別のことのようだった。


 「……違うようだな」


 どこか達観したように、他方向を見やる王太子殿下。

私は、なんとも言いようのない気持ちになる。なんだ、この置いてけぼり感。

 

 「リヒター殿下……?」

 「そうだな、こんなひょろ長ではあるまい」


 ひょろ、

と、だいぶ失礼すぎる発言に、細身君は美麗な王子様の発言に口の端をひくりと引きつかせている。

大丈夫だ、その気持ち、間違いではない。

 おかげで彼は冷静になったようだった。


 「悪いな。殿下に悪気はないんだ」

 「……あ、あぁ……」


 細身君は大人のお兄さんらしく、軽くダメージを受け流しつつも私の言葉に返事する。

 良かった、彼は正気に戻ったのは間違いないようである。

私は正常さを取り戻した彼に安堵しつつ、ひとまず、主君へとお声がけすることにした。 


 「リヒター殿下」

 「なんだ」

 「……苛立つのは分かります。腹立ちが収まらぬかもしれません」


 しら、とした理知たる青の双眸だけが笑っていない王太子殿下。

彼の眼差しをしっかと受け止めつつ、私は殿下に願いを告げた。


 「殿下。

  黒髪少女たるハルカ・サトヤマの保護、ありがとうございます」

 「ふん」


 まずは、礼を。

すると、殿下は得意げに胸を反らした。

上着がないから彼のほっそりとした腰回りの上、胸囲についている筋肉がシャツにはりついているのが際立つ。


 「リディの名を出したからな。

  それに、あのレイリアズ、だったか。

  今の名は。アイツが、そうしろと進言してきたからな」

 「レイリアズ……嗚呼、ジェイズ、ですか」

 「……あいつは名前をコロコロと変えすぎだ。

  まあ、そうでないと仕事はできぬ、か」

 

 殿下は、諜報部長官の腕を認めている。

幼馴染スパイみたる彼もまた天才気質なところがあるから、そういった意味で似た者同士かもしれん。


 「日本人、といったか。

  彼女自身がそう述べていた。

  ふ、リディ」

 「は」

 「また厄介な存在を引き当てたな」

 「は……」


 殿下の唇から飛び出たそれらは褒めているようで、まるで褒めていない。

何か気がかりなことがあるようで、普段の余裕綽々な態度が消えている。

青き眼差しが、いつにも増して鋭く、私を据えている。


 「で、リディ。まずは、いいか?」

 「は……何でありましょう」


 真顔の殿下は、それ相応に恐ろしい顔つきでさえあった。

とてもじゃないが、20の若者には見えぬ。


 「殴らせろ」


 にっこりと、それはもう。

すごくいい笑顔で。彼は、私の衿を、殿下の上着の襟首のまま両手で掴み。

彼は、大きく腕を振り上げた。グーで。

 そうして、私は一発、やられたのであった。


 「え?」


 びっくりしているのは、周囲の反応である。

細身君然り、玉座付近の彼らもそうである。それでいて金環国の兵らもそう。

短い邂逅であったが、彼らはまず間違いなく。

 唐突な出現である美麗な王子様が現れ、むさい薄着の未処刑野郎を殴り飛ばしたことを永遠に忘れられないであろう、と。

 私は、綺麗な青空を仰ぎ見ながら思った。


 

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