六十九話
点滅はやめたらしい。うっすらとした青い光がサファイアの表面に纏わりつく。その光はあまりに柔らかで、穏やかなものだったが。
「……足りない、か」
アーディ王国にとって国益とは何か?
それは、平和。周辺諸国との軋轢をなるたけ少なくする、といった方針を打ち立てた私を軽々と踏みつけていった王太子殿下のことである、この程度ではと片腹痛いのかもしれん。
「……おい、団長さんよぉ」
細身君もじれている。頼みの綱である殿下が来ず、さらにはイメージした通りの展開にもならないので相当、まずいとさすがの私も考える。
ううむ。どうしよう。本当に。しかめっ面になるが、さりとて、ちっとも覆しようのない現実をどうひっくり返せば良いのだろう。
――――私は約束を守らねばならぬ。日本人だってきちんと自立と保護しなきゃならん。やることが多い。この程度でつまずいてはいられない。
だが、このままでは……。
「リヒター殿下……」
貴方がいなければ、私が死ぬ。
(いや、駄目だ、肝心の私がそんな弱気では)
青光りを強く握りしめる。死ぬ覚悟はあるが、そうやすやすと死んではことが運ばない。そもそも、王太子殿下は私の言葉に反応するぐらいだから、私が消えては立ち行かない。橋渡し役が亡骸になってどうする。ただいたずらに、両国に火種をまき散らすだけの死体にしかならん。
(ならば、どうする)
ぴかりと光る意志を示したのだから、王太子殿下は私のこの窮状をご存知のはずだ。それなのに、姿を現さない。なんらかの合図さえ、この程度の青光りである。なら、引きずり出さねばならぬ。諜報員の手さえ使わないのだ、意図的なんだろう。万が一に備えて、細身君に伝えておこうか。
「聞いてくれ。
もしかしたら、という話だが」
私が死ぬとして、王太子殿下に融通を利かせる方法。
すなわち、王太子殿下の、弱み、か。
今まで考えたことはなかった。だが、あるとしたら。
(国か? いや、確かにリヒター殿下はアーディを愛しておられる。
だが、それは、まさしく私が教えたことだった……。
国を守るということは、自分の居場所も守ることだからな)
思えば、不特定多数の人間ばかりと上手く付き合うだけ付き合うようなお方なのだ、殿下は。老若男女、まさしく、歳は関係なく手当たり次第であった。
ただ、いずれも長続きしなかった。長い付き合いがあって、いつまでたっても離れない存在――――いただろうか?
王太子殿下を縛れる存在なんて、そうそういるはずもない。
父王であられる陛下にさえ勅命でさえなければ、殿下は身軽に動き回るほどのやんちゃだ。自由闊達過ぎるリヒター殿下を叱り、ときに甘やかし、それでいていつも一緒にいてあれこれと会話をする。まるで空気のように常に存在し、彼のためにせっせと汗をかく、金髪碧眼、の男が脳裏に蘇る。
(って、私じゃねーか!)
殿下は生まれたての頃から一人であった。
赤子の王子様を最初に抱き上げたのは私だし、幼少の頃の勉強を見守ってきたのも私だ。言葉も教えたのは私だし、貴族のマナーレッスンも施したのも私だった。植物や天候、剣のことも私が最初に教えたし成長するにしたがって、他の黄金世代に戦い方を学んでもらうようにシフト、剣の腕前は一人前以上。それでいて魔法具を集めるからと手伝いに出かけた私は海賊相手にとんだ贄役をしてくださった殿下を探すのに苦労したが、まさか海賊のボスとねんごろになってるとか度肝を抜かれた。女公爵の修羅場に踏み込めと言われたが、入り込んだら入り込んだで間男とか叫ばれてとんでもない修羅場になったとか、そういえば、だいぶ前のことだが、あの夜のベッドにいた詩人って、殿下と寝転んでいても絵画のようで麗しいものだった、ただ詩人が私の腕に絡めてきたときは殿下がキレッキレで手がつけられない混沌と化したド修羅場に……って、やめて。もう、どんだけ私がいるんだ。私がやばい。私、過労死。良くない。無理。あれでまたホモ疑惑がノンストップ、頂上決戦に持ち越し……。
そういえば、誰かが。
「リディ狂い」
などと。
言い始めたのは誰だったか。
思えば、あれはただの赤子時からの刷り込みのようなものだと私はずっと考えていた。だから、私を手放さないのは小さい頃から居たからこその、気安さとかもあっただろうと思えたのだが。
いや、あるいは。
(……いやいや)
本当は、したくない。
だが、そうも言っていられない。気付けば、手中で転がる殿下と同じ双眸の色が主張していた。私の内側で温かな吐息を零しているかのような輝きに、なんだろう、ぞわぞわとするが……気のせい、だろうか。
「……殿下、
…………」
煌めくサファイアの表面に、ごくりと、生唾を飲みこんでから。
私は、あの女公爵が、海賊のボスが、山賊どもが、詩人が殿下にがっつりといやらしい口づけをしながら言っていたセリフを思い起こしていた。
彼らは、アーディ王国の王太子殿下、かのお方にすがっていた。そうすることで、彼らは自らに振り向いてくれると思っていたようだった。愛し、愛された。確かに、一度は振り返っていたように思う。一度ぐらい、は。
(いやいやいや)
何を考えているんだ。私は。
私は男だ。何故殿下に恋文のような恥ずかしいセリフを言わねばならんのだ。たきつけるにしても、黒歴史を量産するだけのような気がしてならない。
「お、おいおい、騎士団長さんよぉ……」
「大丈夫だ、心配ない」
「だが」
細身君はイラつきながらも、しかし、私に警告してきた。
武器を構えつつも細身君は警戒を怠らずにいたのだ。その視線の先には、玉座である。
(む)
王に動きがあったらしい。
奴はギロチンの制裁だけでは物足りないと考えたのであろう、ざっと大きく腕を振り、特務隊隊長殿に命令している。
王子は顔にこそ出さないが、天井のある傘下にて頭を垂れた。その雰囲気、どこか緊迫感があったが、
(……何かあったのか?)
ここからは彼らの会話は分からないから、パッと見でしか判断できない。だが、粛々と隊長殿は部下に命を出した。独特な指の動きは、隊内によって通じる無言のサイン。細身君がそれを、ある種の肉体言語を翻訳して教えてくれた。
「あー……、バージル王陛下、
さっさと処断しろ、と。
……どーやら、弓でこちらを狙ってくるよーで」
なるほど。
こちらにはアーティファクトがある。自動的に遠距離攻撃を無しにしてくれる、貴重な遺品だ。
(しばらくは持つだろうが……)
懸念がある。
いくらこの魔法具があったとして、直接的な攻撃には何ら反応はしない。すなわち、無防備ではあるのだ。殴りかかられたり、剣で攻撃される分には。
私は自らの恰好を見下ろした。
薄着である。少しどころか、だいぶ着崩している。あちこちから冷風が入り込む和風ならではの事情により、おかげさまで寒い。鳥肌たってる。また熱がぶり返しそうな塩梅である。緊張状態が続きすぎてるため、すっかり微熱が吹き飛んでしまっているが、しかし。体中の気だるさは、僅かに残っている。正直、長くは持たない。多数の武器で来られたら避けきれない。
(リヒター殿下が来るまでになんとか保てることができればいいが)
私は、見晴らしの良い、斬首刑の場にて身を任せて待ち続けた。
かの、お方の到着を。
細身君はわざとらしく私に攻撃をしてくる予定だ。でないと裏切ったと思われてしまうからな。
それと同時に。矢じりが。私に向かってくるはずである。弓鳴りの音が複数、私に狙い定めてやってくる。幾つもの金環兵が特務隊の隊長殿からの命を受け、さっと立ち位置にその身を置き。
遥か下方、地面から構えていた。
(来る、か)
雨あられのごとく。
ぴん、と張られた弦から、きりきりとした音がしそうである。未だ命が下っていないから、彼ら金環兵らはそのままの姿で待ち続けているようだ。
予想では。
天から降り注がれるそれらの流星のごとき軌跡は、私の体を貫き、王を楽しませるための玩具になる。遺品があるから実際にはそうはならないが、そのような想像をしているはずの、にんまりとした下種な笑みが脳裏に浮かぶ。
バージル王は、用意された玉座から離れない。その手がいつ動くことか。
「細身君」
気付けば、私は彼に頼んでいた。彼は変なあだ名をつけられていることに怪訝な顔をしていた。
「あるいは、私が死ぬようなことでもあったら」
万が一、だが。
そうしておけば。彼らは助かるかもしれん。
(はあ……ため息つきたくなるが)
囃し立ててくる奴らの妄言に付き合っていられるほど暇ではなかった。しかし、こういった事情が、色恋が絡んでいたという話があれば、リヒター殿下も少しは情状酌量してくれるかもしれない。
と、いうことにしておけば、な。
幾つになっても特定の恋人を作らなかったのは私のほうだ。そう、騎士団長という立場でありそこそこの身分を持つくせに、恋人のひとりも作らないのは世間的に変、なんだそうだから。
だから、少しぐらいは事情というものがあれば、殿下だって少しは気を利かせてくれるかもしれない。
私の最期を看取った伝令役になら、王太子殿下は優しく接するはず。
長年仕えた私の願いぐらい、叶えてくれるだろうから。
「私がもし果てたら、殿下に伝えておいてくれ。
私には愛すべき人がいる、と。
その方のために死んだ、と」
実家も国も都合よく私の辞世を受け取るだろう、ホモ疑惑も撤廃するだろうし、国なんて好きなように理由づけするだろう、なんて。つらつらと考えていると、そんなそばから、青い光が燦然と輝きを増し。
す、と。
私の肩に触れてきた指の、その爪までもが綺麗に研がれているのが見えた。
美しい、桃色の。まるで男ではないような輝きだが、現実には男だ。ちゃんとついてるものがついている。
さら、と。
赤い髪が、私の胸元に垂れ下がる。背後からぐっと体重が伸し掛かり、彼が私にかけた上着が、殿下が愛用しているものだと知れた。匂い立つ香りが、良く知るその人物の匂いだったから。
思わず、その場で膝を折った。
すると両腕が背後から私の前に差し出された。背中越しに私は上着ごと抱きしめられていたのだった。そのあまりの力強さに、思わず私の口から、ひい、と。声が零れてしまった。
「……だ、誰……だ……!」
細身君は叫ぶ。
だが殿下は私の首筋に、後ろから猫のように鼻筋を擦り付けていた。
「……リディ」
まるでか細い声。
本当に、あの唯我独尊な殿下かと思われた。が、この燃え盛る、絹のような肌触りの赤毛はまるで殿下のものだったし、声音もまさしく。
リヒター・アーディ・アーリィ。
かのお方の、お声だ。赤子時から、声変わりの時期まで。ずっと居た私が間違えるはずもなかった。
青光が。
いつの間にか、消え去っていた。私の手からぽろりと落としたそれは、かつん、と。辺りに響く音を放ち、落ちた。と、同時に。
降り注いでいたはずの矢じりも、土砂降りのように。
殿下と私たちを避け、周囲に落下したものである。




