五十九話
「知っているか? 特務隊の隊長殿。
世の中には、喧嘩を売ってはならない人物がいるってことを」
「それが……、テメーのとこの、
あのリヒター王太子だと言いタいノか?」
「そうだ」
怪訝な心持ちのようだが、もう少ししゃきっとしてほしい。しゃきっと。
是正しようと試みる。15歳に国を背負わせるのは酷なことだが、王族として生まれ、その立場を暗黙の了解のもとで使ってきた以上、彼にはこの国を守らねばならぬ義務がある。王子という生まれはどれだけ嫌だと喚こうとも、どうしようもないことである。不可抗力ではあるが。
「リヒター王太子殿下は、敵には容赦しないお方だ。
この国の王、貴殿の父であるヒナミキ王は、
我が国アーディ王国をたいそう侮っていたが……」
あんなにも香水の匂いをぷんぷんとさせてまで、王太子殿下を馬鹿にする舐め腐った根性は凄い、と感心はする。あくまで、感心するだけだが。
(そうだな、この王子様には……
うちの殿下について、講釈たれるとしよう)
敵国の王族に、リヒター殿下の情報を教えるなんて!
などと、副官殿にラリアット喰らいそうなことであるが、この番犬は、未だよく自分の立場が分かっていないのである。仕方ない。この王子様が、どこまでうちの国の事を知っているかも、把握に努めたいしな。
まずは、リヒター殿下の基本について。
深く下ろした腰を浅く座りなおした私は、亀テーブルにそっと両肘をのせて指を組んだ。
「……私は、リヒター殿下にお仕えして、かれこれ、
20年は経過している。
あのお方は、生まれた時から神々しいお方である。
あの方は、生まれながらにしてすべての事柄を記憶している。
私のことも、ご両親たる王陛下夫婦のことも、その経緯も、
自分がどういう風に扱われているか、
日時、月日、時間。
空気や、匂い……、目になされた景色。
天候に至るまで、すべからく、あのお方は記憶なさっている。
訊ねればたちどころに答えるし、
人の顔や名前さえ一瞬で記憶できる。
教科書に書かれたものでさえ、
あっという間に把握できるお方だ、
はっきりいって、天才、といって差し支えない」
「……天才、ナノカ」
「剣の腕前も天賦のものを持っている、のだが、
そこまでは誰でも知っている話だ、
……もしや、情報として渡っていない、のか……?」
「…………あア、ソーダ」
布巾とじゃれあう犬の指先からは、偽りの香りはしない。葡萄の甘酸っぱい匂いはしそうだが。
「オレっちの国、バージルは……、
ズット、閉じらレテたからナ。
他国ノ情報ナンテ、
商人や、外交担当ぐらいガ触レられル程度ダ」
40歳たる私が生まれるよりも遥か昔から、金環国バージルは引きこもっていた。番犬は、自国の歴史に思うところがあったものか、ふう、となんとも黄昏めいたタメ息をつかれた。
「ソウ、だからこソ、
親父は……、
黄金時代の騎士ノ話ダッテ、眉唾モノだと考えていル。
オレっちもそうだった。
だが……」
ちら、と私に顔を向け、次に、この番犬は遊ばせている布巾を伸ばしてテーブルの上に晒した。ところどころ、染みが付着してしまっている。
「リディール・レイ・サトゥーン、だったか?
騎士団長さんヨ、
アンタと戦ってワカッタ。
……黄金時代の騎士、は、皆、アンタみたいに強いんだってナ」
「……私は、まだまだひよっこだ」
「騎士団長がひよっこだと困るノは部下だゾ」
これは一本とられた。
しかし、実際、私はあまり……、と言ってはなんだが。
個人的な負い目、ではあるが。
「私は、剣に関してはそこそこだと自負している。
だが、私と同じ同期である黄金時代の連中は、
皆、強い。少なくとも、私より場数は踏んでるはずだ」
私は、王太子殿下の護衛筆頭である。
王族は基本的に守られる立場にあるから、危険な場所に赴くことはない。はずなんだが、殿下が暴走気味になることも多々あったため、どうしても暗殺系統に強くなってしまった経緯がある。飛び道具に強い、といったらいいか。勝手に腕が動くのだ。殿下はよく首元狙われるからな……。
……などと、いくつかのエピソードを交えて解説するも、
「……テメー、それでよく強くナイ、なんて言えるナ」
ドン引きされた。
リヒター殿下が狙撃されそうになっていた辺りで身を挺して庇い、翌日、動けるからと仕事していた辺りが、実例としては駄目だったか……?
それとも、逃げ回る敵を追い回し、二人ぐらい俵担ぎで山を下った話がぐっとこなかったか……。
「何故だ」
「当たりメーだ、
どこの誰が、
天から降り注ぐ弓矢に立ち向かって走る馬鹿ガイル」
「私だ」
「馬鹿ダ!」
とんでもなく馬鹿にされたが、私の話ばかりでちっともリヒター王太子殿下の凄さが伝わっていない。なんてこった。失敗である。
(もとより、私はこういった話し合いで相手を丸め込ませるなんてこと、
不得手だ……)
リヒター殿下の秀麗な笑みが脳裏に焼き付いて離れない。
殿下はさっと、その美しい赤毛を片手で梳いて宙に浮かすだけで、相手がぼうっとするからな。便利な美しさだ、とは常日頃思っている。殿下も。
「はあ……、まあ、とにかく。
私はリヒター殿下の話をしているつもりだったが、
ついつい私の個人的な話題ばかりになってしまったな」
思わず嘆息し、自身を反省する。
と、この金環国の王子様は、
「イヤ、そーデもない」
などと、不思議だが、昨日よりかは、私を受け止めるかのような態度である。
「テメーは……、
アーディ王国の騎士たるテメーは……」
「ん?」
「……何と、言えばイーか……」
疑問符をつけるが、それでも彼は、もごもごと口の中を蠢かした。
「ヤッパ、騎士なんだ、ナ……、
アイツの……」
「ん、ああ、そうだ」
当たり前のことだから、普段はこのようなことは発言しないが。
「私は、アーディ王国の王太子であられる、
リヒター・アーディ・アーリィ殿下の騎士」
肉の盾にもなるし、身代わりにだってなる。
リヒター殿下のために膝をつき、頭をたれ、剣を捧げた。
今でも憶えている。あのときのことを。
幼き君は、私のことをどう思っているのか。今でも不自然な人間だと、殿下は思っているのかもしれない。だが、そんな私をいつまでも手放さないのは、信頼の証だと受け取っている。
あの時の、殿下との陽炎のような記憶に思いを馳せていると、自然と笑みが出てしまう。
帰りたい、と。
固く、悲しみに塗りたくられた心を、解してくださった方。
それが、かのお方。
リヒター殿下である。
柔らかな微笑みを与えし君が、何よりも、大切になった。
私の人生を捧げてもなお、喜びとなる君。
きっと、私よりも長生きして欲しい。
そうして、できれば相性の良いパートナー、伴侶を得て、人の道を掴んでいただきたい。唯一無二の人物と縁続きになれるのは、そう滅多にあることではない。が、機会があれば、まあ殿下のことだ、なんとかするだろう。
そのためならば私は、リヒター殿下のために泥をかぶるし、茨の道にだって突き進む。苦労しているのなら、その道を切り開いて見せる。悲しんでいるのなら、元凶を切り捨ててやる。
だから、きっと、幸せになって欲しい。
少なくとも、中途半端に生を終えた私よりは。
沢山の幸福に、彩られて欲しい。
「私は、我儘かもしれんな」
思えば、リヒター殿下に出会うことそれ自体が、私にとっての幸せ、だったのかもしれない。




