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五十八話

 犬は、部屋に戻ってもなお大人しい犬のままであった。

入り口に部下を見張りとして配置させたまま、晩餐会の前と同じ定位置にて亀のテーブル上にある籠から葡萄の実をとっては、ぱくりと一口、食べている。

 その静けさはいっそ不気味なほどである。

長い茶の髪から覗く表情は無情であったし、私もまた椅子に深く腰掛けたまま、なんとも言いようのない思いを抱く。

 ……しかし、このまま明日の日を迎えては困る。

私は未だ、諦めの悪い男なのだ。

 (たとえ死刑を選択せざるを得ないとしても)

 私は、無駄死にするつもりもないし、とはいえ、こんな敵地から逃げ出すにしてはたった一人で逃亡するには無謀さがある。いくら私がそこそこ剣やらが使えるからといって、この王子様のような使い手が複数構えれたらたまったもんじゃない。死亡、で済めばいいのだが、万が一、捕まったりでもしたら。

 その時は、格好悪い手段で散々に見せしめ、をさせられるだろう。

  (明日も明日で、催しものみたいな扱いを受けるんだろうが)

 それでも、逃げた罰、というものは手ひどいものがある。

死、には尊厳が必要である。特に私のような、身分や地位がある人間の場合、今後を生きる人々のためにも、みっともない死体を見せてはならない。身の回りの処分は、まあ、私の部下があれこれとやってくれるだろうし、そう恥ずかしいものはないだろう。たぶん。私の生きる現世にパソコンがなくてよかった。

もしあったのなら、私の履歴はお恥ずかしい限りの羅列で並んでいたであろう。ふう、やれやれ致命傷で済んでよかった、なんて話にはならん。

いや、それではお亡くなりになっているか。

 ……私も歳かな。こんなことを考えるとは。いや、裁判もなく、他国の人間を死刑に処すなんてこと自体、うちのアーディをかなり馬鹿にしている行為ではあるか。

 

 「……おい、お前」

 

 顔を向けると、奴は私に話しかけてきていた。

いったん、人生の終了における投了感を投げだし、この金環国の王子様に意識を集中させる。


 「なんだ?」

 「……お前、本当に、このまま死刑になるつモリ、か」

 「ふむ……」


 むむ、そうきたか。

私は、奴のテラテラになった指先が気になったので、とりあえず布巾を手渡した。すっと差し出されたそれに奴は固まったようであるが、少々身じろぎすると、その布巾を手に取って拭きだした。


 「……そうだな……」


 私は、案外と素直な性質をみせた番犬に、少々の気持ちが揺らいでいた。


 「死ぬつもり、はない」

 「……本当カヨ」

 「ああ」


 肯くが、あまり信用されていないものか疑われた。

失礼な。私はいつでも生きるつもりではある。ただし、いつでも死ぬ準備はできてもいるが。佇む亀のつるっつるな頭を撫でてやりながら、私は話を続ける。


 「それに、明日で最後の一日、だからな」

 「……サイゴ?」


 最期、ではない。

その発音が微妙に異なることに気付き、傾げる奴に、私は教えてやるかどうか迷った。が、まあいいかと鷹揚に答える。


 「明日は、殿下がおっしゃっていたラストだ」

 「……殿下……。

  …………あの、王子……、

  リヒター・アーディ・アーリィ、か」


 (本当、可愛い奴だな)

 情が移ったかもしれない、なんて思う。

黙っていればアーディ王国にとっての国益になるかもしれん、実際、私の部下であるダリアという妙に可愛い名前のわりにきっつい訓練で知られる副官殿にかかっては、私のこの行為は、眉間にさらなる山脈を打ち立てる行為にしかほかならず、むしろ、キレッキレになる可能性を大にして秘めていた。

 (が、それじゃあ、駄目なんだ)

 ――――この金環国バージルの将来を慮る。

それは他国の人間がすべき行動ではない。だが、このままこの隣国が荒廃したりでもして不安要素が確定しようものならば、我がアーディ王国にとっても多大なる迷惑をこうむる羽目になる。

 たとえば、故郷である日本。

たくさんの金をばらまいているとか、成金とか言われ放題の国家であるが、狭い島国である。難民が溢れかえってはどうしようもない。

 日本語ができなければ、特に。

当の日本人でさえ職にあぶれることだってあったのだ、私が死んだあとの日本国のことは分からぬが、しかし。稼ぐことができなければ、盗みが横行するだろうし、社会不安が高まってしまう。それにとんでもない犯罪が際立って行われでもしたのなら、難民を受け入れることに大反対のデモが起きてもおかしくはなかった。

 それが、アーディ王国にも起こり得る。

 この金環国が隣国として、ちゃんと国家運営を行ってくれなければ、困るのだ。

 (教育はそこそこ行き届いているといっていいだろう。

  看板の絵や文字を読むことができる。

  嗚呼、全員が文字を読めるかは不明瞭か)

 私は、この国にやってきてからの、あらゆる場面を思い起こしていた。

 (清潔な街並み。

  しっかりとした身分制度。商売も独特ながらしっかりとやっている)

 木造りの建築物という独特な和の街並みには、水瓶が各ご家庭でしっかりと準備しているあたり、協調性もあるとみていいだろう。

 (先祖に誇りを持ち、すごく初代王を尊敬して宗教化してはいるものの……、

  そう悪いことでもなし)

 何故か仏像化しているが、焼き討ちするような行為を推奨はしていまいて。

 (王族専制国家。

  独裁。

  トップがしっかりとしていられたら、そう屋台骨は揺れぬが)

 あの王様ではなあ……。

 それに、取り巻き連中も、あなどれん。

 あんな風にして、バージル王の寵愛を受けようと必死になるのも、それ相応の見返りを期待しているからか。

 (うーむ。

  つまりは、)

 

 王の首のすり替え。


 (だな)

 私がしようとしていることは、ありていに言ってしまえば、それだ。

それしか、他ならぬ。

 にっこりとほほ笑むと、王子様はびくりと体を震わした。


 「ナ、なんだ行キ成り」


 ちゃんと拭いたゾ、なんて幼児のようなことを言うこの王子様は、中身のほうがやや残念ながらも、周囲がしっかりとお膳立ててやればなんとかなる。はず。

 (……それに、それを希望しているのは、私だけじゃないかもしれん)

 なんとはなしに、私は、扉の前にいる二人の見張りを見透かす。

彼らは、この番犬の部下でもあるが幼馴染みでもある。

 ――――最初は、日本人たる彼女を保護し、自立させることが目的だし、それが最終的に達成できれば、としか思っていなかったがなあ。

 ここまで日本人を奴隷とすることを是とするとは思わなんだ。

 場合によっては、自称日本人が日本人であると判明した時点で、彼女をこの国の王にして、我がアーディ王国がバックアップする。

 そういったことも考慮していた。

それはそれで遠回しな間接的支配だし、迷いこんでしまった彼女の意志をまったくもって入れていないので、反発されても仕方ないとは思っていたが、うむ。

 (この王子様が、どれだけこの国、

  バージルについて、

  深く想っているか)

 それに、かかっている。

第一、この番犬様は、王子様は理解していないのだ。

 

 「貴殿は、我がアーディ王国の王太子殿下が、

  どれだけ恐ろしいお方か。

  ご存じない」


 私の提案は、優しいものだ。

しかし、リヒター殿下は、違う。

 あの方は、私を常に庇うが、それ以外に関しては冷徹そのもの。

あの青い双眸をすっと鋭く見据える冷酷さは、百戦錬磨の敵を震え上がらせるほどだ。

 ……そんな方を相手にしなければならない金環国の王子様には同情を禁じ得ないが、このまま、ではこの国が投了するだろう。死刑より酷いかもしれん。

 

 「……イッタイ、何が言いたい」


 聞く耳を持っているのは僥倖だと、私は己の口の端を緩めた。

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