五十六話
金環国の王子様は、その存在を公表していなかった。
リヒター殿下は、把握なさっていたかもしれないが。しかし、私は知らなかった。それほどまでに秘匿された存在、理由は何故か。
(王様に嫌われていたから、がもっともな事由、だな)
あんな調子で罵倒されてる以上、臣下も表だって庇うわけにもいかんだろう。すなわち、たらい回しである。
それによって、そこそこの教育を、今現在も受けている真っ最中だと察する。武官文官の表情筋がぴたりとも動かなかったあたりが、その証左に思えてならない。
(勿論、これらはタダの持論だから、確証は無し)
だが、王子であるという事実は何事にも扱いやすい。
民の心を掴むにはうってつけの存在である、と、自国の赤毛王子様の人気っぷりを想像して私はにんまりと笑う。
「な、なンダ気味悪ィナ」
「ああ、すまない。
つい、うちの殿下を思い出して、な」
私は現在、最期の晩餐を食べている最中である。
まるで動物園の檻の中にでもいる獣たる気分である。豪華絢爛な権力者どものさ中、高台におわす王がワインを片手に女を侍らせ、大いばりをしているのを見せつけられながらも、結構な料理を配膳されている。
ただし――――シャンデリアの垂れ下がる大広間に連行されるときの、あの用意された視線の束ときたら!
「敵国の、ドベな騎士。ざまあみろ」
程度の悪口ならば序の口で、あからさまに足を引っかけようとする紳士がいたり、後ろからちねってきたり、あるいは不躾にも叩く者だっていた。嫌われるにしてもほどがある。私を痛めつけて、なんらかの溜飲を下げているんだろう。
(やれやれ)
正々堂々の戦いなら、いくらでも受けて立つが、こうした貴族特有の陰湿さはアーディ王国に居た頃だって覚えがあった。王太子殿下のお気に入り、という称号は、ありとあらゆる場所で嫉妬されまくったものである。特に、殿下の見目が良すぎるのが裏目にでた。あっちの面での放蕩が悪く作用したときなんて、私は殺されるのではないかと思ったことがある。殿下と私が、あまりに側にいすぎたからか、はじめは冗談だったのだろうが、段々とその噂が本当なのではと疑う輩が現れたのである。嫉妬に狂った人間というものは、本当に……。
(……あっちはあっちで、命がけではあった)
しみじみと思う。
なんというか、権力者に好かれるって、良いことはあるにはあるが、悪いこともあるってことを。
ぱくり、と蒸した魚を食す。噛むとにじみ出る出汁が効いている。美味い。ご満悦な私は、さらなる食欲が増した。さすが、王宮料理。どの料理でも箸を使って食べるのがご愛嬌だが、和を使っているのが私的にポイントがぐーんと上がる。あくまで私の中での高ポイントなだけで、大した還元はできんが。
何故か地獄の番犬も同じテーブルにてご相伴にあずかっている。まあ、この国の金と労働力で生み出された夕飯だし私ひとりで黙々と食していても、あちこちからの不躾な視線が気になるし、いくら見張りが私の背後にいるとはいえ、やっぱり寂しいから別段構わんが。王の番犬としての役目もあるんだろう。
肉まん、を頬張る王子は、末期の酒だと手渡された日本酒を気軽に飲んでいる私をなんとも言い難い顔で見つめている。
「なんだ?」
番犬は、どことなくふくれっ面である。
彼とはここまで会話がとんとんと弾み、進むとは思わなかった私はのんびりと話しかける。このような晒し場所とはいえ、無言でいては気まずい空間が出来上がるだけである。それなら、楽しもうではないか……といった感想が抱くが、彼は、その茶髪を軽く横に揺らし、外国から輸入したというガラスのコップを手にとって、ぐびりと仰いだ。
ぷは、と唇から液体が零れている。
「おいおい」
私は呆れた。
しかし、番犬は気にも留めず、
「すグに乾く」
水だし、なんて言いながら、また肉まんをかみ砕く。
私は、誰かこいつに食べ方のひとつでも教えていないのか、なんて憤懣やるせなかった。一応、王子であるというに、綺麗な所作で食べるリヒター殿下と、どうしても比較してしまうのだ。生まれも育ち方も異なるというのに。
まさか、この国の立場ある者らはこういったマナーを行使するのかと横目で確認するも、周囲の人々は各々のテーブルにて、やはり綺麗な食べ方をしている。
私たちは現在、やや中央に近いキラキラなシャンデリアの真下にて、どこからでも目に入るお誕生日席という立場にいる。四角いテーブルの、その四隅には猫がいた。真っ白な猫。手招きをするポーズは可愛い。
ただし、キラキラしい彼らは私をチラ見してほくそ笑む姿、まるで意地悪い妖精のように無邪気に邪悪だ。腹の底では汚泥のようなものが沈んでいるらしく、私たちを見世物として存分に食事を楽しんでいるようだった。
本来なら、王族は王の近くにいるべきものである。
だが、これでは、この王子も晒し者だ。
(あるいは、それも目的か?)
アルコールも入ってるからか、それとも、私の中身が女性であったから、というのもあるのか、どうも、こういった細かいところを刺激されるとたまらない。
私は、こういった晩餐会にも用意されてある布巾を手に取り、奴に手渡そうとする。
「ほら、これで拭きなさい」
番犬は、胡乱げな態度でいたが、すぐに、
「ヤダ」
なんて、我儘なことを言う。
「だから、乾くとイッテル」
ほっとけ、なんて言外にいわれて黙っている護衛騎士ではない。
私は無言でにじり寄り、奴の口元を拭ってやった。
「な、なな、ヤメ、」
「こらこら、静かにしなさい。
あー……、前髪にまで食べ物がついてるじゃないか。
髪に食わすんじゃない」
「ヤメろ! オレっちをどうするキだ!」
「……綺麗にするだけだ」
横柄に座って食べ腐っている王子様の口の端についた、食べものの残りを布巾に上乗せしてとっておいてやった後、無駄に長い前髪を一掬い、付着した汚れを削ぎ落した。それを、番犬はじっと息を潜めて、私の手の動きを見ていた。
「そういえば……、隊長さんよ、
腕は、大丈夫か」
「……今更カヨ」
番犬は、吹き出すような素振りをしつつ、利き手を披露した。
「ホレ、ミロ」
ぐるりと回し、折れた形跡がまったくもって見当たらない動きをしてみせたのに、さすがの私も瞠目する。
「凄イダロ」
「いや、凄いってレベルの回復力じゃないぞ」
思わず、奴の右腕に手を伸ばし、すっと指を這わした。
鉄のように硬い筋肉に覆われた二の腕。上腕筋も、なかなかのものだった。筋肉の筋がしなやかで、なるほど、これであの投擲。とりあえず手首のスナイプさまで確かめ、この王子様が相当な研鑽を積んできたことを教えてくれた。手の内側にある皮膚の固さが、まず、尋常ではないのだ。生傷もあるが、塞がったばかりの傷跡のほうが深刻になるほど無数にあって、かぞえるのも嫌になるほどである。
「オイ」
しばらくそうして、粘土でもこねるように、奴の利き手をこねこねこねていると、くすぐったそうに、番犬は手を引いた。
「ヤメロ、痒イ」
「……これは、すまない、その。
つい、珍しくてな」
「オレっちは珍獣ジャなイ」
ふて腐れているが、王子で番犬で隊長という珍かな生き物なんて、この世の中になかなか存在しないだろう。
そんな私たちのやりとりを、近場の誰かがひそひそと小話を交えてあざ笑っていた。




