五十五話
縄を外され、礼を言うと、何やらそっぽを向かれた。
ぐぐぐ、などと意味不明なことを申しており……、
(良くわからないが、気分を損なった訳ではなさそうである)
椅子に座し、辛抱強く観察を続けていると、地獄の番犬から王子様をも兼ね備えた特務隊隊長は、次に、ぎぎぎ、といった擬音が聞こえてきそうなほどの緩慢たる動作にて、私に顔を向き直す。どことなく挙動不審だが、話し合いのために見詰め続ける。奴も見返す。互いに見つめ合う。それでも私は言葉を紡がす、相手の出方を促すために、以下省略。
「テメー、本当に、馬鹿ダ……」
顔をテーブルに伏せたまま、何やら力尽きたかのような発言である。
しかし、私にとって、そのような駄々っ子は慣れていた。
殿下も時たま、地獄の番犬に似たような我儘をおっしゃられては、私に怒られていた。
(ん?)
駄々っ子。何故、私はそう思ったのだろう。
「……なあ、王子様」
「ヤメロ。
オレッちは、特務隊隊長ダ」
がばっと顔を上げた地獄の犬の様子に、彼自身、あまり王子という身分を好ましいとは思っていないようだ。
(ふむ……)
「その隊長殿が、何故に、このような仕事を?
貴殿ならば、それ相応の立場に相応しい持ち場があるだろうに」
たとえば、公務とか。
リヒター殿下はそれはもう、華麗にあれこれやってくれるので国家としてはありがたい人材ものだが、反面、筆頭護衛として付き合わされるのは私である。ますます休暇がなくなり、仕事魔人としての地位を確立せざるを得ないが、そのように、王子様というものは、公務のスケジュールがびっしりであった。
「……もしや不文律とやらが、関係しているのか」
疑問を呈すも案の定、だんまりでツン、である。
(昨今の子供でもしないだろう、ソレ)
と思ったが、再度、この地獄の犬の姿、形を見直す。
茶色の髪。背格好は似ている。が、体格は息子の方に軍配が上がる。次に顔形は綺麗どころしかいないと言われる後宮の姫に似たものか、悪くはない。母親似なんだろう、これがもし父王そっくりだとしたら癇癪持ちの妖怪がもう一人出来上がり、金環国の将来が暗くなるところであった。
現在、その明るい指標となる可能性を秘める彼自身、お口にチャック状態でちっとも彼自身の情報入手ができず、背中が痒いのに掻けない状況下に陥っている。
「……うーん」
あれこれと詮索するのは野暮ってものだが、
(聞かぬとわからんな)
稚拙な仕草、言動、王子の立場を逆に王によって利用されている有様、それでいて、父への愛情を求めるような認めて欲しいような活動、すべからく、子供のようだったから。
「……貴殿、もしや若いのか?」
犬は、ぴくりと肩を動かした。
「テメーよりは若イ」
「それはそうだろうが」
(ああ、ちゃんと紹介すればいいのか)
会得がいった。そうか、なるほど。私は一人、頷きながら両腕を組む。
「私は、リディール・レイ・サトゥーン。
身分は伯爵で王太子殿下の筆頭護衛、
今年、歳をとれば41になる」
番犬は、じろりと胡乱げに私を見ている。
「ナンダ、いきナリ」
「君は?」
「ハ?」
「して、君の名は?」
口を半開きにして、私を眺めている彼を私は待ち続けた。
「君の名は?」
「……二回も言わんでイイ」
それでもなかなか腹を割らない王子様に詰め寄ると、シツコイな、と、これまた深いため息をつく。静かなるこの室内にて彼は、部屋の下方にあたる隅や壁のほうに視線をやりながら、いや、やや、投げやりになりつつも、地獄の番犬は言葉を紡いだ。
「……オレっちは、名前なんて生まれながらにナイ存在ダ。
血筋ダケは、王族……王子だシ、あの馬鹿王ノ息子ダガ」
「名前、ないのか」
「誰カラ生まれタカ、分からナイってコトダ」
語る話は、なかなかの苦労話だった。
明日死刑に処される人間だから、たとえ不文律だろうとかまわん、といったところだろう。日頃思っている不満交じりの台詞がそれを如実に物語っている。
「オレっちは、生まれながらにして王子様ラシーのだガ、
誰モそれは疑わナイ。ダカラ事実ダロウナ。
ケド、ダカラドーシタ?
誰モオレッちに期待してナイ。
ケド、あの親父ガ困ってタカラ、ダカラ、力を貸シたマデだ」
……あっちこっちに話の基点がズレやすい番犬の話の紐を繋げていくと、どうも、この犬、たらい回しに回され続け、そのうち王族配下である憲兵らにまで回されてあれこれと戦う技術を学ばされたものらしい。投擲技術に才能があるのを見抜かれ、徹底的にしごかれた話はとても大変だったと力説しているが、
(これは……)
ずいぶんと、王子として期待されてるのではないか?
と感じた。いや、彼の話を抜粋して考察しただけだから、それだけのことかもしれないが。
(……計画、練り直した方がいいやもしれん)
私は、組んだ両手を解放し、じっと、彼の様子を見据える。彼の背景にある存在、守護者たちを。ちなみに、この番犬王子様に気軽に会話をしていた筋肉ダルマと細身の男は彼の幼馴染みのようなものだと判明した。
(明らかに、それは側近候補かつ見張りだ。
ついで、王子様の護衛か)
私に暴行を企て、ワンツーマンでの戦いをしていた憲兵らが大人しく、この犬に凹られていたのは、王子からの制裁という意味もあったんだろう。
(……それだけだと、ただのマゾ部隊のようだが)
一応、部隊としての機能は働いている、か。
国としてどういう動きをするのかが見えてこなかったから、はっきりいって私の計画は相手をそこに嵌めるようなもので、かつ利用するようなものだったから、反発がありそうだなあ、とは思っていた。
しかし、この王子様の話の流れから、私の打ち立てたこっそりとした計画はそこそこの威力を発揮するようなものの、この金環国の番犬の協力を得ることができれば、なお、安定するようだと、密やかに青天井を描いた。
(ふむ……)
「で、何歳?」
と、ここで昨今の番犬による彼なりの鬱憤話に相槌を打ちつつ、ずっと気になっていた歳を聞く。
「…………い、わなきゃ駄目、カ?」
微笑むと、威圧的なものを感じ取ってか、渋々といった風に答えた。
……上目使いになるのは、何故だろうと思ったが、
「15、ダ」
ぴしり、と氷のように私は固まった。
まさか、そこまで年齢が若い、若すぎるとは思わなかったのだ。
そうか、それで納得した。
その身の振り方や、言動の幼さ。そうして、生まれながらにしてあちこちへ、行脚されてしまったゆえの、実父への愛情を乞うための働き。
(普通、そこまでされたら嫌ったり恨んだりするようなものだが)
愛を注がれなかったからこそ。
あんな罵倒をされようとも、それでも、側に居るのだ。番犬として。




