五十三話
ふわ、と生暖かい空気が私たちを迎え入れる。
姿勢を正し、顔を上げて歩く。つんのめりもせず、ただ、ひたすらに。
捕囚され、腕が不自由だとしても綺麗な所作を心掛ける。なんせ、今の私は捕まっているとはいえアーディ王国の代表のようなものなのだ、しっかりと見せつけてやらなくては。
天から斜めに差し込む光。勇者英雄譚が描かれた天井絵にまで明るく照らしつけ、この場の品格を高めている。
――――玉座は、遠い。
足を動かせば動かすほど、王の顔もにわかに判明する。
髪の色は茶であることとか。その瞳も茶で、地味系だとか。
近づけば近づくほどに、鮮明になる。
対し、やや一歩歩数を開けてぞろ歩く、地獄の番犬。
彼もまた、似た色の髪を持つ。遠目からは周囲の人間と比較するとややほっそりとしているが、顔の形や背格好が似ているようだ。現状座っているけれども並び立てば、顕著にはなるだろう。
ただ、彼と王に関し、如実に異なるとこがある。
私は、鼻をすんすんと蠢かせつつも、
(……もう少し、薄めてつけて欲しいが)
かつて女だった時、下手くそな香水のつけ方をしていたことを思い出してしまうから。今は、そんなお洒落に気を使うほどの余裕はないので、存在そのものが記憶の彼方だが、より強まるこの匂い。気持ち悪いほどである。
(まるで、女と睦みあってきたかのような)
好色、だから、あり得ない話ではない。
真っ赤なカーペットが玉座の前まで敷かれている。私は、番犬や憲兵らの足取りに従うまで。
こつ、こつと足音が複数、天井まで届くほどの静けさだった。
近衛隊があちこちで峻厳な雪山みたいな目を向けてくるさ中、王の側には文官や武官が控えていた。中に、見覚えのある顔がいた。
(ああ、あの時の……)
かつて条約を結ぶ際、散々な目に遭った王の代理代表がいる。なんとはなしに目が合うも、たどり着くや、地獄の犬の馬鹿力によって跪くよう指導される。
嫌がる必要もない。
膝下に敷かれてある鮮血のようなカーペットから、視線を上部へと逸らす。
「そなたが、アーディ王国の騎士、か」
王の第一声、はしゃがれていた。
(……私より上の世代の歳だな……)
それでいて、間近でみる人相が、特に目が酷い。
(今にも飛び出しそうな……)
そういった類の、ギョロ目だった。
黄金の豪奢な椅子にあけっぴろげに座り、頬に手を乗せて、まさしく上から目線で私を見下ろしている。
その脇から一歩踏み出したるは、ひと際目立つ老年。彼が宰相なんだろう、一番多くの凝った勲章を、その胸に飾り付けている。
「アーディ王国の王太子リヒター・アーディ・アーリィが側近、
リディール・レイ・サトゥーン。
……間違いないか?」
「……ああ、そうだ」
肯定すると、頭上からお声がかかる。
「余は、この金環国バージルを預かる王。
ヒナミキ=バージル」
その威圧感は間違いなく、一国の王であった。
「……貴様は、大罪人である」
ぎょろり、とした視線を、私は逆らうことなく見返す。
「はて、それはどういったことでしょう」
「誤魔化すな」
ヒナミキ王は、わざとらしく手を振って私を馬鹿にした。
「我が国に安穏とおればよかったものを」
「何を仰せられますやら。
私は、ただ休みを満喫するために、この国へ。
金環国への親しみを持とうと、やって来た次第でありますのに。
このような仕打ち、まこと、残念でなりません」
「ほう、親しみ、とな」
嘲笑が、バージルの王の口端に浮かぶ。
「慙愧に耐えぬようだが、な」
「私はそこまで殊勝ではございません。
言われなき罪を背負わされ、
散々な目に遭う。
なんと、ご無体なことでありましょうや。
……貴国は、我がアーディ王国の騎士を、
不当に貶めている」
動揺のようなざわめきが、文官、武官の塊から聞こえる。
宰相はまったくもって微動だにせずだが、王はしかめっ面を露わにした。
「……不当?
何を言っているかわかりかねる。
貴様は我が国の発布する命令に反している。
いくら隣国の者とはいえ、容赦はせぬ。
宰相」
「はっ」
王の命により、宰相はお付の者から渡された横長の書状を読み上げる。
「貴殿は、我が金環国バージルにおいて、
法に則り死刑に処す」
予想していたほうの駄目なほうが引かれたが、ほう、と内心喝采する。
言い分も何も聞かず、死刑とは。
「……金環国はずいぶんと落ちぶれたものだ」
「黙れ」
私の呟きは、後ろで控える番犬によって遮られた。
宰相による王の断罪は、続く。
「判決理由としては、貴君は、我が金環国が法、
奴隷制を否定したこと端を発する。
ハルカ・サトヤマを隣国アーディへ誘拐、
また、無辜の民である蕎麦屋を放火、
さらに、多数の兵らを暴力せしめ、
我が国の王子であられる特務隊隊長への、
乱暴狼藉、王族への暴力は速やかに排除すべきである」
……ほかにも、いくつか覚えのない罪が追加された。
(さすがは独裁)
アーディ王国もなかなかの唯我独尊を貫いているが、この国ほど、不公平さはない。
朗々と読み上げられ、積み重なる私の罪状、なるほど。
確かにこれは大罪人である。
そこに、婦女暴行は絶対に追加されなかったのには、なんとはなしに、殿下が理由なんだろうな、なんて冷静に判断をくだす。
(地獄の番犬も嫌味ったらしく言っていたが、
本当、こんな国にまで殿下と私の噂が飛び火してるとか……)
駄目、絶対。ホモ疑惑。
標語っぽい気持ち新たに、私は罪状の山を浴びせられ続けた。
「さて、他に申すことはないか?」
つらつらと連なっているであろう、白紙をくるくると丸めながら、宰相は私に告げる。一応、言い分ぐらいは聞いてくれるようだ。
(……やっと、出番か)
ため息をつきたくなるのをこらえ、宰相の顔やら、ぴりぴりとした空気の中、言い放つ。
「私は、やっていません」
一部やってるけど。
番犬の腕は折った。しかし、それは王子であると知らぬ行為だったし、まあ知っててもやってたけど、明らかにこの仕組まれた厄介な冤罪をなすりつけられるつもりはない。
きっぱり言うや、バージルの王は、そのギョロつく双眸をにわかに細め、嫌らしそうな笑みを作った。




