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五十一話

 人質は一人で十分である。


 「出奔するついでに、隣にいる蕎麦屋の爺さんを、

  連れて行ってくれないか」


 言うや、速やかに老年の諜報員は連れ出してきた。

牢の前にいる私の姿を、借りてきた猫状態の蕎麦屋はじろじろと見回している。


 「お前さんは、いったい……」

 「悪いな、爺さん。

  大人しく、隣国アーディへ向かって欲しい。

  ……話の流れは、聞いていただろう?」


 肯首する爺さんに、私は微笑む。


 「大丈夫だ、我がアーディ王国では、

  国から迫害される爺さんを客人として迎え入れる。

  この、リディール・レイ・サトゥーンが、

  騎士の地位において、王太子の信たる護衛騎士としても誓う。

  だから、安心して欲しい」

 「リディール、さんか……」


 爺さんは、私の顔をまじまじと見詰め、納得しようとしていた。


 「……呉服屋、の話は本当かの?」

 「ああ」

 「…………わしの妹も、いる、か?」

 

 目線で諜報員スパイに問うと、彼はしっかと頷いた。


 「ちゃんと保護されている。

  早く行って、無事な顔を見せに行くといい」

 「おお……そうか、そうか」


 爺さんの目は一瞬輝いたが、たちまちに、なんとも言い難い表情にとって代わる。

 無理もない、いきなり隣の牢から隣国の騎士団長とスパイが現れて、勝手に蕎麦屋の爺さんの牢破りしてるんだから。


 「大丈夫、心配することなんて一つもない。

  この人の後をついていくだけでいい」

 

 もぞもぞと両の手を所在無げに遊ばせている。こいつらの言うとおりに逃げたらいいんだろうかと不安視しているんだろう。

 だが、この爺さんに選択肢はない。手ひどい拷問を受けて死なれては困るし、あの少女二人組も、さぞ心配していることだろう。

 人生において、ちょっとでもいい、関わった顔見知りでも、その死を目撃してしまうことほど不幸なことはない。

 

 「さあ、生きなさい」


 弱弱しい肩を押し出し、爺さんと熟年諜報員を見送る。

二人分の、ちぐはぐな足音が遠のいていく。自身の微熱に気をとられつつも……、

 ――――そうして、私は自分のいるべき牢内へと戻った。





 「ナンだ、コレは」


 時計も何も、日暮れさえ分からない場所だから、地獄の犬がやってきても腹時計で判断することしかできなかった。食べ終えた食器を部屋の隅に追いやる。

 隣の牢屋前で茫然としている特務隊隊長。

その有様をしり目に、よっこいせとベッドに腰掛けた。

なんというか、こういった独り言はますます老いを感じさせて切ない。ついつい渋面になってしまう。これもまた、眉間の皺になってしまうから、よくないことなんだがな。副官殿の眉間の皺について真面目に討論している副官補佐二人を思い出し、ほくそ笑んでしまう。


 「っテ、ナに寛いでンダ!」


 番犬はこちらを睨みつつ、バンバンと、石の床をその足で踏みつけた。

お隣さんもそうだが、私の牢も当然のように開けっ放しで風通しがいい。

それを信じられないといった気持ちを露に、唇をへの字に曲げたまま、奴は私のほうへと足音高く近寄ってきた。とりあえず、私は殴られるのはもう、勘弁である。この地獄犬、力加減が全然できない馬鹿力なのである。

 そのため、いつでも構えられるよう、浅くベッドに座りなおした。

格子戸の前にいるのは、部下ら二人。そこそこ強かった、細身と筋肉ダルマのみである。饒舌だった昨日とは異なり、大人しく牢の手前で控えている。

 (優秀だな)

素直に感心した。

 

 「テメぇ、何考えてヤガル」


 番犬は、意識を別に向けていた私の襟首をつかみ取った。

ぐいぐいと押し上げられるも、私のほうが座高が高く、座っていてもなお身長が高いため、正直大したダメージにはならない。少々、息苦しいぐらいで。


 「コンナ、こんな馬鹿にした話ガあるカっ!」


 上下に動かされ、私の頭部も回る、回る。

頭の片隅ががんがんと痛む。微熱が少々、私の中でも回転しているようだ。


 「何故逃げなかっタ!」

 

 ぐわんぐわんに、籠って渡っていく番犬の悲痛な声。

対し、私は、しれっとした顔でいる。

別段、述べる言葉もなかったし、言う必要もなかった。

 そんな態度も、犬にとって怒りのボルテージを上げる要因になってしまったようである。筋肉の動きを見切っていた私は、殴られる気配を察知、身構えようと腕を少し持ち上げるも、ぶるぶるとこらえたようで、


 「クッ」


 番犬は、殴る意志を消沈させる。吐き出す勢いでため込んだ息を、はあ、はあと何度も吐き出し、


 「……クソッタレどもガ」


 私は、地獄の犬のつむじを眺めた。茶色い髪で、まったくもって櫛を一度でも通したことのなさそうな、その後頭部を。


 「マッタク、あのクソ王子も、ナンテ奴ダ。

  テメーもそうダガ……、

  嗚呼、クソ。ウチノ国は、舐メられマクりダロ……」


 締め上げる力も薄れたのか、特務隊の腕も、自然とだれ下がり、私の襟首も同様に落ちていった。なんだか、その姿は街角の濡れすぼった野良犬に似ていた。

 牢破りをしているというに、堂々とその牢の中にいる隣国の人間。

 馬鹿にしていると思われても、おかしくはない。

 それでいて、地獄の番犬は、自身の国に対し不甲斐なさを感じているようだ。

 (事態を重くみているんだろう)

 ――――この特務隊隊長は優秀なのかもしれない。

 昨日の部下らは、あまりにも何もかもが足りなかった。訓練もそうだが、新兵にしてはもう少しやりようがあっただろうに。なんて、私が思うほどに、躾がなってなかった。

 そのマシなほうの部下二人が、隊長を慰める。


 「隊長、そうガッカリなさらないでくださいよ」

 「……喋ンナ」

 「まだクソじゃないでしょ、少なくとも自分たち二人は」

 「ハア……オメーらは素直ジャネーシ」


 つん、と明後日の方向を見やるそっけない地獄の犬に、彼らは慣れているのだろう、そのまま話を続ける。

 

 「それより隊長。

  彼を連行しなければ」

 「……チッ」

 「隊長、嫌なのはわかりますが、

  こんな牢の意味のない場所に閉じ込めてもマジ意味ないですし。

  連れて行きましょうよ。御下命ですし」

 

 その御下命に番犬は、酷く憂鬱そうな顔ではあったが、


 「あのクソ親父……」


 ぶつぶつと文句を舌の上に転がしながら、座ったままの私の横へと回り込み、その両腕に荒縄を巻き付けた。


 「オイ、騎士団長様ヨ、

  大人しく連行サレロよな。

  マア、逃げても殺セルお題目ガ出来ルから、

  ソッチのほうが嬉しイガ」

 

 ケケケ、と一変、妖怪のような嘲笑を浴びせながら、隊長自ら、私は歩かされた。牢の入り口をくぐると、二日程度とはいえ全身に浴びる太陽の光が眩い。  ぎゅっと目を瞑る。

 おまけに、

 (想像以上に、この熱は辛抱強いな……)

 未だ、私の風邪っ引きは尾を引いていた。

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