五話
部屋に戻るや、外の明かりを取り込もうと大きく窓を解放する。二階の出窓には暗がりに剥き出しの龍が鎮座し、今も私を捉えて離さない。太い人差し指で、鼻の筋を撫でてやる。
夜。
見晴らしの良い景色の、あちこちに灯されたるは提灯。中に、ロウソクでもあるのだろう、空気に震えてゆらゆらと蠢いている。優しい、オレンジの光。
それはあまりに幻想的で、魅惑な絵本の世界のようでもあった。
純然たる木造の家がその大きな影に人影を吸い込みながら、そこかしこで和の顔を晒している。前世で見覚えのある、否、どこか前世の面影がある建築様式。誰かの知恵、経験、技術が混ざり合う材木の産業品。
かつては日本人だった私が判断できるレベルだ、この国は、日本の影響が確実にある。
(もし、日本人がこの景色を見て、どう思うか……)
翻って、その隙間を縫うようにして往来を歩く人の、頭のカラフルさには閉口してしまうが。
(それは私も同じ、か)
金髪碧眼とありきたりな外見ではあるが、腰に据えた愛剣は明らかにこの世界に馴染んでるし、恰好だって旅装とはいえ、どう考慮してもファンタジー的な見た目である。たちまちに火を起こせる野宿セットもフルセットでついてくるこの世界の騎士にありがちな装備品を持ち、貴族の身分を別とすれば、行きかう多数の旅人といささかの遜色はない。
その旅人と見渡す限りの和との妙なミスマッチさに、私のささくれ立つ心が次第に、凪いでいく。
(懐かしき故郷)
しかしてこれが、事実。異世界。混同する現実。
浮かび上がる一般人たちを誘導するかのように、等間隔に照らされた街並みは、さすがは有名な宿場町温泉街だと通りすがる人々のざわめきが大きく、流れゆくさまは時間の経過とともに、しばし楽しめた。
が、
「寝よう」
頭皮に生える金髪が渇いたのを手ぐしで確かめ、早々に眠ることにした。
それでもしばらく眠れなくて、うだうだとガタイの良い体を左右に揺り動かしては、顔を両手で覆い、窓を閉めてもなお、締め切った外からの喧騒を微睡みの曲として聞き流すのに時間はかかったが。
(40にもなって)
そう思わずにはいられない。
けれど。
うっすらと細く目を開けては、剣を振り回してぶった切ってきた命の重みを思い返す。私が覚えていなければならない、暴力の数々。力は、使わなければならなかった。でないと、私の国が、民が、家族が、殿下が、ひどい目に遭う。この世界は生きとし生けるもの、すべてに手厳しい世界だったから。
力がなければ、蹂躙される……。
誰も待ってはくれないのだ。会話なんてしてくれない。権利とか、そんなもの。守ってくれる免罪符にもなりはしない。ルールも、そう。厳守してくれる担保が必要だ。妥協点。交渉。面倒なことばかり。金? 金、か。
そうだな。金がなければ何も買えない。だが、武力もなければそれなりの背景がないとあなどられる。皆が、皆、親切ではないのだ。金があっても売ってはくれない事態に陥る。口利きも相手次第になってしまう。
主導権を握られてはならない。
(殿下は、交渉上手だったな。
あの女公爵になじられても、笑顔で話ができるんだから……)
夜も深まるにつれ、ひっそりと静まり返ってきた宿の調子に吐息を零す。
薄暗い室内から逃れるようにして両目を閉じ、かけ布を肩まで引き上げる。傍らに置いてある剣の所在を感じ、血の、幻の匂いを嗅いだ。私がやってきたことの罪深さから背けられないのだと、だんだんと息苦しくもなってきたけれど。熱でも出ているのだろうか。知恵熱か。普段からこういった考えをちゃんと整理しないからこうなる。まったく、なんて体たらくだ。騎士として、騎士団長としても情けないと思わないか。部下の命を与かっている身でありながら。なんとしょうもないことか。それだけ私は虚勢を張ってきた、踏ん張ってきたということか。元来小心者なのだ、私は。それなのに、ここまでやってこれた原因は。
気づけば、朝。
「……更年期かもしれんな……」
布団から身を起こし、暗澹たる思いに至る。