四十八話
看守の朝は早い。
あちこちから、食器を鳴らす音がした。無言で啜るように食べ漁る物音を聞く限り、朝食の分配がされているんだろう。
眠たさの残る目元を擦り、未だ遠くで作業をしているであろうこの金環国家の看守らの働きを待ち構える合間に、お隣さんの様子を確かめようと、そっと、声をかけた。
「爺さん」
……無音。
もう一度。
「蕎麦屋の爺さん」
これに、反応が示された。
しかし、衣擦れの音だけがするのみで、爺さんからの生返事はなかった。
(……まあ、いきなり隣の牢から、特定されるんじゃあ、
身構えてしまうか)
かといって、このまま静かにされても困る。
「な、爺さん。蕎麦屋の。
……いい加減、返事を返してくれないか」
……無音。
私は、頬をかきながら、ベッドに深く座り込む。
爺さんがいるであろう、石の壁を見つめるも、特に何もなく。
警戒されているのは間違いないようだ。
(これは想像以上に、長丁場になるか、な)
とりあえずは、今はこれでいい。
私は、口を噤んだ。看守が、こちらにまで足を伸ばしてきたのである。
「おい、新人。
飯だ。
……特別製だ、ちゃんと食えよ」
看守は二人三脚でやってきたようだ。
一人は鍵を開けて監視、もう一人が扉を潜り、運びこんだ盆。
それを受けとって眺めた限り、載った食事の総量は成人男性には少ないように見受けられる。生かす程度の罪人にはコレで十分なんだろう。
私に与えられた食事内容は、白いご飯に沢庵、それと野菜のしっぽ入りの炒め物。味噌汁までついているが、浮いているものは何もない。ただ、味噌汁の椀を手にとると未だ温かく、食事係の努力が垣間見えるようだった。
少しでも慰めになれば、といったところか。
爺さんへ渡されるお盆には、私のような野菜入りしっぽ炒めが無かったため、どうやら、この野菜炒めの在る無しによって、特別製か通常かに分かたれるもののようだ。
爺さんは文句の一つも言わず、しっかと、看守から食事を受け取って食べている。不満なく咀嚼する音が隣室から聞こえる。
それはこの牢屋内のどこもそう。窓のない牢屋のBGMのいの一番は、この食事の際発する咀嚼音が筆頭のようだった。
私は、お盆の中にある味噌汁にまず、口づけた。
吸い込むと、仄かに味噌の香りと出汁の旨みが口腔内に充満する。
予想通りの味わいにほんの少しだけ目を閉じて、欲した水分を堪能しながらも喉奥を潤しつつ、遠のいていく看守の足音に聞き耳をたてる。
どこも、似たようなものらしい。
ずず、と。汁物を嚥下する音がした。
さて、やることがない。
かといって、暴れる意味もなし。
排せつという人類の基本的かつ生理的な恥ずかしい行為は手慣れたものだが、やはりこういった牢屋でのやり方は少々勝手が違うもので、まあ、なんとか的を外さずにやり終えることができた。できれば、致す音を消すものがあればとは思うものの、そのようなプライバシーを保護するような国ではない。ましてや、牢屋である。虜囚されてる。あり得ない。
(……臭いしな)
仕方ないとはいえ、漂うアンモニア臭は、あちこちからやってくるような気がしてならない。流石に不衛生すぎるので、水洗、といきたいが、当然のごとく汲み取り式であった。
(病気になって死亡、が多そうだな)
おまけに太陽もなく。
今の時間が、不明瞭であった。
たまに看守が見回りをするため、その歩数を数えたりして牢屋全体の地図を脳内で描くも、だんだんと疲れを感じるようになった。
多分、だと推察するが。
ひた、と。
年齢相応に歳をとった手の平を、額に貼り付ける。
すると、僅かばかりの熱を感じた。
(……風邪、の引き始め、か)
微熱を発症したようだった。珍しい。いや、珍妙なことばかりだ。風邪なんて、片手で数えるほどしか生まれてこの方したことがないというのに。なんてことだ。
こんな自分にびっくりするも、思えば、凹られたり、殴られたり、雨に降られたり、縄にかけられたり、集団戦闘をやったりと、散々な出来事ばかりが頻発していた。副官殿からのプレッシャーもなかなかのものだったし、殿下への心配も嵩じてか、最初の頃の、一人旅ドキドキな気持ちがすっかり面倒なほうに転げ落ちてしまった。温泉に浸かって老後、とか期待していたのに、ちっともその気配を感じさせないぐらい、私は牢屋に押し込められている。酷い話である。
再び、静寂が訪れる。
稀に、人の声が細々と聞こえるだけで、あとは大抵、生理的な物音だけである。
(金環国バージルの王が、どう動くか)
私を人質として使うのは間違いないとは思う。あるいは、メッセンジャー的に利用するかもわからない。それには死体的な意味も念のため含まれているが……。
このような敵国で死に絶えるためにやって来た訳ではない、私はなるたけ往生したいのである。
(……だが、問題は、それに至るまでの道程、かな)
――――複数の、まばらな足音が石の造りに響き渡る。
なるべく体力を減らさないよう具合の不調もあってか、ベッドから動きもせずに休んでいたのだが、それを妨げる勢力がやってきたようだ。
由々しき事態である。足音の類からして、看守ではない。
整然とした、規則正しい足の運びではない、明らかに私を害する者の気配。
嫌な予感は、してはいた。
だが……、こんな時に、来なくったっていいのに。
そう思わずにいられないほど、並列する棒の合間から、無遠慮にも覗き込んでくる彼らの目は興味と残虐な好奇心でいっぱいだった。
「……地獄の犬は?」
訊ねると、含み笑いを返される。がしゃがしゃと、牢の入り口を無遠慮にも鳴らされるばかりで、かの姿が見当たらない。だが、嗜虐の瞳の奥にある、あまりにも低俗な輝きは、私を痛めつけたいと望んでいるようだ。牢の扉が無情にも開かれ、彼らのうち、数人の憲兵らが牢の中へとなだれ込んだ。
幾人かは、牢屋の前で見張りをやるつもりのようだった。
(……はあ)
ベッドの隅から足を伸ばして立ち上がり、彼らに後れをとらないようにする。
諦めと、我慢。それと、急所を狙われないように踏ん張る努力、うっぷん晴らしで殴りつけてくるこの暴力への対処。
時間稼ぎのために部屋の隅に移動し、壁に背を預けたが、すっかりバレバレのようで、
「おいおい、戦うつもりか、こんな狭いところで」
「どうやら、そのつもりのようだぞアイツ」
呆れられても、私は諦めなかった。
舌打ちをされ、それでもなお、私は拳を固く握りしめ足の位置を動きやすいよう体重移動を維持し、どこからでも狙われてもカウンターできるよう、脇を引き締める。
その威風堂々とした立ち振る舞いに、彼らの中にいる一人が、ぼそっと口に出す。
「……さすがは鋼鉄の騎士」
とはいえ、多勢には無理なものだった。
おまけに私は風邪っ引き。この無理な体の動きで、余計に熱が上がったようだった。口から吐き出される息が、殊の外いつもより回数が大目だ。いけない。整えなければ。大きく口を開き、酸素を取り込む。だが、気休めにしかならぬだろう。降りかかってくる、一発目。
見極めるのも辛く、記憶が飛びそうになる。久しぶりの病状は、私を本調子にさせなかった。判断が鈍っているのがわかる。速さも足りないし、踏みこみも甘い。けれど、このまま黙ってヤラれる訳にはいかなった。




