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四十五話

 つたない日本語、だったのかもしれない。

不安だった。なるべく覚えていられるよう、ひらがなやカタカナ漢字ローマ字を駆使して日記を書いていたし、発声もしていた。誰もいない薄暗い部屋を探し当て、下手くそながらも日本語の歌詞を諳んじながら、故郷を刻み続ける努力をしてきた。そのたびに、こみ上げる熱いものを封じるのが辛かった。

 (本当の両親は、あんな顔じゃない。

  あんなにも、外国人みたいな彫の深い顔じゃない)

 ……小さな私は、どれだけ、その言葉を胸に吐き続けたか。

 罪悪感に苛まれたことか……。

自分で自分が嫌いになる。酷い奴だとなじり続けた。

 屑だと思った。

あんなにも、私のためにあれこれと心配し、ふさぎ込めば好物を出してくれる祖父。いつまでたっても拙い言葉遣いをするのを辛抱強く、あれこれと自ら教え続けてくれた両親。身の回りを世話してくれた使用人たち。花が好きだと言ったら、すぐに色とりどりの花畑を用意し私を慰めた彼らは、伯爵家の息子は頭がおかしいと暗に言われようとも、決して卑下したりせず、私をたててくれた。

 貴族の一員として。間違いなく、自立できるように。

いっときは、忘れようと思ったことがある。

 故郷(日本)にばかりかまけていては、現実を忘れて夢の世界の住人になってしまうだろう。すなわち、私は、夢遊病のような、幻の世界に浸り続けていたかった。でないと、私は、私というこの自我と向き合えなかった。

 

 「外人……?」


 私は、彼女を見下ろすほどに、身長が高い男だ。


 「日本語だ……ったような、あれ?

  聞き間違い?」

 「そうだ、日本語で話をしている。

  聞き間違いではないぞ?」


 険しい顔を日本語という共通項で緩めさせたためか、黒髪少女の警戒心が薄れた。


 「あ、ほ、本当に……?」

 「本当だとも」


 あまりにも懐かしい、日本語による滑らかな会話だった。

口の端が、勝手に上がるのが止められない。


 「久方ぶりに、話したが……、

  通じたようで、良かった」


 それが、どれだけ嬉しくて、切ないことか。

 (きっと、彼女は知らないだろうな)

 黒い眼差しをきょとんとさせ、歳相応にみせていた。


 「でも、どうして日本語が……」

 「それは……」


 当然の疑問だ。

しかし、答える間もなく、奴が立ち上がっていた気配を察知し、背後からの投擲を払い落とす。弾かれた鋭角の暗器が、足元の靴先に散らばる。

 地獄の犬は、鋭く睨みつけても、へらへらとした笑いをその唇にのせていた。


 「へぇ、バレたか」

 「……確か、地獄の犬、だったか」


 背後にいる少女らを守らねばなるまい。

小さな娘は、黒髪少女の後ろで縮こまっている。気を失われたら事である。

 ……さっさと、どこかへ逃げてもらわねば。

 せっかく会えたのに、なんて悔しさはある。

だが、二人を守りながらの、地獄の犬対峙はキツい。

せめて味方がもう一人か二人ぐらいはいたら、なんとか生け捕りできたかもしれないが、このままだと殺しかねない。ヤったら駄目だ。

 私は、何も、人殺しのためにこの金環国家バージルにやってきた訳じゃない。

 (生存者である日本人の保護と生活保障を……)

 なんとかしなければ。

いや、してやらねばなるまい。

 幸いにして、私には政治的なカードがいくつかある。

それらを組み合わせてやれば、なんとかいけるかもしれない。

 (無論、失敗したら死罪。他国で死刑なんて、酷い醜聞だろう)

 殿下のことだから、たとえ私が死んでその亡骸を国境沿いで晒されようとも平気そうな顔でいられそうだが、内実はとんでもなく怒り狂うだろう。

 薄っぺらい絆ではないのだ、リヒター殿下とは……。

 

 「あーたり前ヨ、金環国家バージルの宿敵、

  かの美貌の王子の僕、いや、若いツバメの主、か?」


 地獄の番犬にまで言われるほどだ、私と殿下はワンセットでの情報として他国にまで流通しているようだ。なんとも眉唾な噂だが……。

 

 「スゲーよナぁ、あの王子様はよォ。

  あんたのためだけに、騎士団を動かしてまで、

  国境沿いからオレッちのバージル王を恫喝している。

  それもこれも、アンタを手に戻したがっているかラ」


 殿下は、その主従のとんでもない噂に拍車をかけるようなことをなさる。

ため息をつきたくなるが、今はその、殿下を利用すべきだと、私の脳内シミュレーションが答えをはじき出した。


 「分かってんダロ?

  ……アノ王子様の弱みであるアンタを捕まえりゃ、

  まぁ、なんとかナルかもしれんが、ナ」


 (そうだ、私は殿下の弱みとして、せいぜい高く値打ものとして振る舞おう。

  そうすれば、この国の王は……、私を利用せざるを得なくなる)

 ただ、そのためには……、いくつか腕を失ったり、足を失うか。

 騎士として致命的な怪我を負う羽目になるかもしれないが。

 (構わない。

  私は、覚悟を決め、騎士となった。

  叙勲をちょうだいしたあの時から、もう。決めたことなんだ)

 死ぬことはないだろう。

 

 あんなにも降っていた驟雨が、小粒になって、失われた。

曇天模様の切れ間から、戦いに迷惑なほどの輝きを伴った斜陽があちこちから私たちを余すことなく照らしつけた。

 紅色の欄干橋さえも容赦なく、濡れた手すりにもそれは差し、光らせた。まるで黄昏のような一場面だった。匂い立つ、雨上がりの蒸れた空気。

 そこに空気読まずにやってきたのが、憲兵らである。

二人、どうも強そうな者が含まれているあたり、おそらく地獄犬の側近のようなものだろう、実際、隊長の折れた腕をまじまじと観察しながら、


 「あ、……スゴイ曲がり具合ですね」

 「息の根があって何よりです」


 なんて、いい加減な会話をしている。

おまけに、


 「ははあ、あんな人がまさかの男色とは……」


なんて言いたい放題である。

 (なんと失礼な)

 とはいえ、今、それを利用しようとしているのは私だ。

事実無根とはいえ、あの殿下に振り回され幾星霜。どれだけ、私があれこれ言われ続けたことか、耐性はあったはずなのに、こうして改めて言われるとクるものがあった。


 「プ、

  あいつ、やっぱ気にしてるんだナ」


 うるせぇ。

そう口答えしたくなるが、我慢する。

 そんなことは、些末なことだ。


 「さすがは鋼鉄の騎士だナ」


 どんなに挑発を受けようとも、私は背後で息を潜めている彼女らを逃がさねばならないからだ。幸い、橋の向こう側には誰もいない。居るのは、私の部下である副官殿だ。彼女が、あの橋の奥にある大店、呉服屋らへんで張っているはず。

 内政干渉だ、騎士道だと、私の油断を誘うようなやり方をしてくる地獄犬の言質には惑わされぬよう、心を平らにすることを心がけ、そうして。


 「私の名は、リディール・レイ・サトゥーン」

 「リディー……?」


 本当の名前を、教える。


 「皆、リディと呼ぶ。

  ……私の名前は、この世界では短いほうだが、覚えづらいだろう。

  リディでいい」

 「リディ、さん……」


 なんとも面映ゆいものだ。


 「……やはり、いいな。日本語は」


 家族を失い、新たに手に入れた家族と名前。

言葉は、二つ。自我は一つ。男になったが、不便はなし。理不尽は多々あったが。

 ――――本当に、私は生きていられて、良かった。こうして、彼女たちを助けることができるのだから。絶望しきって自殺でもしたら、彼女はこのバージルに飼い殺しにされていたかもしれない。

 これもまた、私がこの世に生を受けた理由、なんだろうか?

 思考の最中だったが、ふいに訪れた攻撃に、自らの手で握った剣で無意識にも払う。痺れるような攻撃、これは地獄の犬が放ったものだろう。なんと抜け目のない。


 「さあ、行け。

  私がここで、あいつらを食い止める」


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