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四十四話

 しばし、そうして佇む。

雨音はやみそうにもない。雨は、平等だ。


 「……やれやれ」


 首筋にまで、雨粒は伝う。

襟まで塗りたくるように、水浸しになっている。髪は、もとより。

あまり長い髪という訳ではないが、それでもここまでぐっしょり濡れると、さすがに体が資本とはいえ風邪を引きそうだ。

 ……屋根の下にでも身を隠す、か?

すぐに身動きは難しいかもしれないが、このまま、ここに立ちんぼでいても野ざらしのようなもの。

 銀糸のような雨に視界を奪われつつも、沈思黙考。

 (おそらく、あの地獄の犬は諦めないだろう。

  なら、ジェイズの警告を重く受け止め、

  不意打ちをしてでも腕を折るしかない)

 ぐるりと周囲を見渡し、どこぞの軒下にいそいそとお邪魔する。


 ぱた、ぱたたた、ぱたたたた。


 斜めな屋根から連なり、纏まって水玉となって落下する雨の音が、なかなか良いリズムだった。思えば、私はこの異世界に生まれてから、音楽鑑賞というものが失われたに等しい。


 ぱたた、ぱた、ぱたた。


 ラジオも無く、テレビも無い。

パソコンだって無い。ナイナイ尽くしである。お蔭で、元より自然への見方がだいぶ変わった。


 ぱた、たたた、ぱた。


 オーケストラのような宮廷音楽も聞き慣れればなかなかのものだが、下町のどんちゃん騒ぎだって耳慣れぬ楽器で摩訶不思議なメロディライン、正直、楽しいというよりかは、物珍しいといった態でいるしかなかった。元来、そこまで音楽に詳しいというほどではない。はっきりいって、音楽の成績は普通だ。芳しいというほどではなかった。


 ぱたり、ぱたた、ぱたたた。


 だから、私は自然が好きになったのかもしれない。

こうして、雨宿りをしていると前世を思い起こす。自然だけは、かつての故郷と変わり映えはしなかった。もしかすると、同じような環境でないと、人類は発祥しないのかもしれないが。


 ぱた、ばた、ばた、ばたたた。


 耳を澄ませば、人の足音が混じっているのが分かる。

二人分。ただ、追われているようだった。

やはりアレだ。あの男。足音が薄いが、体重の移動を上手くコントロールしてるんだろう、暗殺者の物音だった。

 

 「やっと来たか」


 結局、このような場所で雨露を凌いだところで、どうにもならないようだった。すっかり上着が酷く濡れすぼっている。両腕を組み、さすってみるものの、たいした熱は発生しなかった。震えていないだけ、まだマシか。

 影に待ち構えていると、少女たちは欄干橋の手前で立ち止まる。

どうやら、やって来たのは予想通りの地獄の犬だった。それだけじゃない、よくよく耳で雑音を拾い集めてみると、欄干橋の向こう側から複数の足音が立て続けにこちらへと向かっているのがわかった。

 (……増援か)

 憲兵の、なんだろうが、厄介なものは厄介だった。

守らねばならない少女が二人いる。

これがもし、自分ひとりだけなら好きなようにいてこましてやれるのだが、大変なことは、その保護すべき者らが味方なんていないと認識している前提で警護しなければならないとき。騎士の本職ともいうべき警護活動だが、それが複数になるとなかなか骨が折れる。敵のは折るつもりだが。

 (ましてや、彼女らは私とは顔見知りですらない。

  下手したらただの通りすがりのおっさん……)

 盛大にビビられて、そこかしこに散らばられでもしたら、守りきれる自信はない。あんなにも増援人数があると、私ひとりでは捌ききれないし、やはり隠れていて正解だった。闇討ちできればパーフェクトだが、夕暮れ特有の微妙な、それも曇天の灯りでしかない明るさの元では、私の姿は丸見えである。工作しようがない。堂々としていたらこっちがやられるので、忍び足で近寄る。

 ――――現場では緊迫した雰囲気が漂っていた。

 黒髪の少女が、小さな女の子を後ろに庇いながら踏ん張っていたが……。


 「…………」


 捕まることを選択したようだった。

がむしゃらに暴れることはせずにいる。ただ、女の子相手に、その捕縛の仕方はいかがなものか。膝を地面に無理やりつかせ、押し付けてるから泥だらけになっている。犬が、不審な行動をとり始めたことに気付いたとき、私は瞬発力を生かした。

 彼女は、叫んでいた。

私は、走っていた。

さて、間に合うか。いや、間に合う。

 敵国の人間とはいえ、殺しはしない。

だが。

 その振り上げた利き手の腕は、使えないようにしてやる。

剣を鞘に入れた状態のまま、私は地獄犬と、小女の間に入る。

 声にならない声を喉に張りつかせたのは、頬が妙にこけた地獄の番犬。無駄に長い茶髪の隙間から、奴の動揺を示した瞳が揺れているのがゆっくりと望めた。

 にやり、と笑む私は、その大きく振り上げた奴の刀をすらりと抜いた私の剣で思いっきり払い飛ばし、次に綺麗に折るためにさらにもう一回追撃して調整、そうして、ようやく思い切って、力任せにその二の腕を狙い定めた。

 奴の口から、ぐっと、何か腹の底からこみ上げる声がした。

 おまけとして気絶の詰め合わせを与えるため、小回りの利く柄で脳を揺らした。首筋からの狙いだったため、果たしてうまく作用するかと思ったが、地獄の番犬は目を回し、そのままばったんと、漫画もびっくりなほどに倒れた。

 (よし)

 次は、黒髪少女を押さえつけている奴らだ。

この者たちは、ごくごく一般的な憲兵なんだろう、あまり強そうには感じなかった。実際、あっという間に片付けられた。

 (金環国家の練度は低いな……)

 地獄の番犬が突出しているだけで、他はあまりそうでもないようだ。

中には複数、実力がありそうな者はいるんだろうが、それにしたって。

 こんなに倒れなくったっていいだろうに。

 私を中心に、彼らはまばらに倒れ込んでいた。やった私が言うのはなんだが、

 (たった一人の騎士に、あっという間に気絶させられるとは)

 これがもし、アーディ王国だったらと思うとぞっとする。

 (鬼教官殿のみならず、副官殿も馳せ参上し、朝昼晩みっちりと修練を積まされるだろうな……)

 なんせ、型のはまった動きで倒せるのである。

まるで吸い込まれるかのように、私の動きにつられてしまう者たちが大半で、なんとも軽い動きと少々の汗で済んだ。本当に、経験値が足りない国の兵は、こんなにも弱いものなのか。銃社会ではないことが、ここまで如実に実力に差が出るとは。なんとも感慨深い思いを抱きながら、他に気絶していない者はいないか視線を巡らし、ようやっと、私は。

 目元に入る雨粒が邪魔くさくって、思い切って頭を振って、髪に吸い付いたまま離れない水分を飛ばした。

 私は、ようやく彼女の視界に自分を入れることができると、実の所、心臓が騒々しかった。

  

 「……日本人、か」

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