四十話
※暴力的な描写があります。
どこか懐かしい色合いの、高貴な色。
発色された輝きに、記憶のどこか引っかかるものがあった。
晴天。澄み渡るような、殿下の……、そう、あの瞳の光彩である。
私は、襟元に飾られたサファイアに触れ、やはり、これこそが光の原因だと把握する。
(……殿下)
投擲の類から、すべからく身を守る。暗器でも、矢じりでも。
本来、貴人用の、国宝級のものだが、リヒター王太子殿下によって下げ渡されたそれ。騎士団長の危機に力を発揮したものである。リディは指も使い、そっと、その小さな宝石に口寄せ、
「お許しください」
呟きは、徐々に収束する青光と共に掻き消えた。
それに異議を唱えたのは、敵であった。
なんせ、あまりにも強い光であった。人の視界を殺すのに、役立つほどである。 それなのに、隣国の騎士団長は、相も変わらずそこに立ち居た。
「てメェ……、
何故、逃げなかっタ」
多勢に無勢なのは、分かりきっていたはずである。
だのに、敵対し、戦っていたはずの敵国騎士は、逃げも隠れもせずにいた。唯一のチャンスともいうべきそれを、フイにした。
これには、さすがの地獄の犬も狼狽える。
「てメェの足とその腕なら、なんとかなるンだろうニ。
自殺願望カ? それとも、馬鹿なのカ」
足元には憲兵の隊長が投げつけたと思われる暗器が、粉々になって落ちていた。周囲にばら撒かれてる、ワイヤー付属の投擲武器も同じ状況である。
ただし、騎士団長があちこちで暴れまわって戦力を喪失させた憲兵らが、少しずつ息を吹き返してきた。まるでゾンビのように立ち上がる彼らを見渡す騎士団長は、何ら感情の載せぬ顔で佇んだままであった。まるで万事休すな態度ではない。
「いやあ、何か怖いですね、隊長」
「ウーン……、訳ワカランな」
包囲網ははっきりと築かれていた。
それに、ここは金環国家の首都である。敵国のド真ん中で大立ち回りをしたのだ、敵陣の中でいくら無双したところで、あらゆる場所から敵は湧いてくるものだ。どうして勇退しなかったのか。
「ハハ、マルで捕まえてクレと言わんばかりじゃネーカ。
はは、ハハ、ははははハ」
ぶらぶらと中折れ状態の利き手をぶら下げながら大笑する地獄の犬に対し、緑の双眸を幾度か瞬かせた鋼鉄の騎士は、その手にある剣を鞘に戻した。
「……ハ?」
すら、と綺麗に収まった剣を、彼は真正面にいる憲兵らの敵対行為を忘れたかのように、まんま横にして持ち上げた。さも、見せつけるように。
「……投降する」
開いた口がふさがらない、とはこのことだ。
金環国家の憲兵らは、皆、呆気にとられた。彼の、辺りを響かせた低い声が何度も脳内でリフレインされるも、それでも、憲兵らは微動だにしなかった。
これは、悪い夢だ。
紫部は、思った。
かの有名な、鋼の騎士、赤毛の王太子の僕が、あんな輩どもに膝をつくとは。
信じられない光景だった。
無造作に撫でつけられた金色の髪が、燃える松明に煌めくも、その緑の瞳が決して諦めの境地ではないことはじっと観察さえしていれば分かることだが、否、それにしても。
何故、あのお方が、あんな判断をしたのか。
紫部には、ちっとも理解しづらいことだった。
自ら捨てたともいって過言ではない身を守る術である剣は、憲兵によって剥奪され、背中に回された腕は雁字搦めになって荒縄で縛り付けられている。
おまけに、一発、あの地獄の犬によって頬を殴られていた。
紫部は、そのあんまりな現実に、思わず喉から悲鳴が上がりそうになった。諜報員として、あらゆることを学ばされている紫部だが、感情を制御することもそのカリキュラムに入っている、けれども。それを忘れてしまうほどに、あの誇り高き騎士が髪を引っ張られ、筋肉の塊のような大男に踏みつけられているのを目にするのは、本当に、骨の折れる仕事だった。
「団長様……」
どうして。何故。
それは、何も憲兵の犬が疑問に思わなくとも、味方であるアーディ王国の諜報員の身であっても、同じ考えであった。
泣きたくなる。
鼻血を流し、それでも静謐な姿勢を崩さずにいるアーディ王国の誇り高き騎士を、紫部は見守り続けた。
彼の横顔は、この物陰から見ても屹然としていた。痛ましい顔になってしまったが、それでもなお、かつての若かりし頃の秀麗さが未だ残るお顔立ちは、ほう、と。幾人もの人間を相手にしてきた女郎たる紫部からしてみても、ため息が出るものだった。
引っ立てられた、夜半。
あの時も、そうだったと思い返す。
殿下は私が傷つくと、大層悲しげな顔をなされた。
「……だが、やらねば」
いずれにせよ、殿下は動くだろうから。
「おい、何をぶつぶつと!」
「つぅ、」
思いっきり荒縄を引っ張られ、両腕が軋む。
たたらを踏み、足の行き場がなくなる。
「おい、ヤめろ。
せっかく捕まえた騎士ダ、」
「はっ!」
地獄の犬は、強奪したサファイアの宝飾を手持無沙汰にして手の内で遊んでいるようだが、それでも大人しく私を、あの城へ。
金環国家の中央、白亜の王城へと連行していく。
「マッタく……、
訳が分からんが、マ、大人しくシテくれヨ」
隊長は、そのブランブランな腕を布と板ですでに補強されている。
本格の治療は、宿舎に戻ってからするとのことだが、それでも、この憲兵の長たる犬のその我慢強さたるや、驚きに値する。
いくら不意打ちとはいえ心を鬼にして、力いっぱいに折ったのだ、悲鳴を上げてもよさそうなものを、この地獄犬は、笑ってさえみせたのである。
王に侍る、犬。地獄犬。番犬。
あの投擲も、見事に狙い撃ちのできる手腕で、力があるからか回転し肉を切り刻むかのような撃ち方だった。まるで、拳銃のような……、そういった、ある種暗殺にもってこいの技。
実際、いくつもの人間を闇討ちしたんだろう。
そういう噂は、我がアーディ王国の諜報員たちが、あちこちから集め、殿下へ伝える。そうして、必要に応じて私にも与えられる情報だが、それにしては。あまりにも、飄々としていて、まるで自由が好みそうな性格だろうに、どうして王に忠誠を誓っているのか。いや、従順、といったほうが正しいのだろうか? 素直に、暗殺行為をしているのだろう。単に、仕事だと割り切っている可能性はある、か。
私は、頬が痛むのを撫でることさえできない我が身を嘆きつつ、それでも、足を動かす。
欄干橋を通ってきたから、大道は過ぎた。
途中、追跡している紫部の不安げな顔がよぎったし、一般の住民たちも、ひそひそと悲惨な状態の私を見てはあれこれと推測しているようだった。
(蕎麦屋の爺さんも、心配だし、な)
恐らく殺してはいないだろうが、私のようにな目に遭っている可能性がある。
(私は、こういった殴られることに関しては慣れているから、
まあ、我慢できるものだが……)
果たして、あらゆる策が、成るだろうか。
リヒター殿下の、冴えたる青き双眸を思い出しながら、なんとはなしに憂鬱になった。




