三十九話
にぃ、と口を歪めたかと思いきや、まずは地獄の犬が投擲してくる。
鋭い、ものだった。錐もみ状態に進む、その恐るべき推進力。刀による攻撃よりもこちらが本職であろう、狙われた急所をすべからく払い落としたが、これがもし、利き手のほうも使える状況であったのなら、いくらサトゥーン騎士団長の剣をもってしても、予断を許さない状況下になっていた。
――――腕一本、潰しておいて正解だった。
「ケっ、ちょこまか、とぉっ!」
躍起になっているが、手持ちの投擲用の武器が少なくなるのを警戒してか怒声ばかりが飛び出してくる。背後にいる部下へも、その感情をむき出しにした。
「テメぇらも、殺レ!」
「隊長ぉ、いくらなんでも、殺しちゃあヤバいでしょうよ」
複数の人間が隣国の騎士団長へと、命令通りにそれぞれの得物をぶら下げて駆け寄っていく。が、瞬く間に彼らは倒れ込む。
次に続く憲兵らも、また同様である。
「ぐっ……」
などと呻き、また一人、また一人と、リディを中心に、憲兵らがあちこちに沈む。雨臭い雑草を横倒しにする憲兵もいれば、水たまりを全力で被って隊長顔負けで制服を台無しにする輩もいた。
「うあっ」
一人は川に落ちそうになり、もう一人はそれを助けようとして、やっぱり川に落下した。勢いよく駆けてきた若そうな憲兵には、ひょいと足を引っかけてやれば、見事に転び、おむすびコロリンと言ってもいいほど見事に川の水浴びにご招待された。彼ら3人、水面に漂うばかりである。
南無三、とリディが呟くと、さらなる憲兵がやってきた。
足音からして、ずいぶんと重量級である。
「うりゃあああっ」
大きく片足を振り上げて、地面から跳ねた憲兵は、拳での攻撃がメインであったらしい。太ましい腕が凄まじい威力の風圧を、リディの耳の横をかすめた。
「ふっ、はあっ!」
アーディ王国の騎士たるリディもなかなかのもので、丸太のような太ももから生み出された飛び膝蹴りを、いとも簡単に斜めにかわしつつ、その視線を絶対に地獄の番犬から離さなかった。本当に警戒しているのは奴そのものである。
「チエっ、隙がネェな。
……マジおっかねぇ、あんなのが、
アーディにはゴロゴロいやがんのカ……」
試しにと凄まじい一撃をリディの側頭部目掛けて狙い放ったが、騎士団長はすい、と、身を伏せ、立て直すその調子に合わせて筋肉ダルマの憲兵の、向う脛を思いっきり剣の裏で打ち据えた。回転も加えたので痛みは倍増である。
「ぐう、っ」
ついでにとばかりに、膝裏を蹴り上げ、後頭部を剣の柄で強撃。
激しいショックを受けたであろう憲兵は、白眼を剥いて大の字になって転がった。
「ウワ」
「……隊長、うちの特攻が返り討ちに遭いましたよ」
まるで剣舞でも舞うかのように。
リディは、途切れることなくさらに迫りくる彼らを打ち据えていった。
殺さない、のは単に隣国だからという理由もあるが、せっかく条約結んだ国であるのだから、荒事は勘弁という理性が働いたからである。すでに乱暴狼藉になっているような気がしないでもないが、それはそれ、相手から仕掛けてきたからという理由でもって終始するしかない。
リディール・レイ・サトゥーン騎士は、騎士団長に相応しい実力を持ち、王子の護衛を抜擢されるほどの将来を嘱望されたエリートである。王子の後ろ盾となるべき血縁、豪商の祖父を持つ金持ちであり、地縁、伯爵貴族嫡男であり由緒正しく、知縁、諜報員の長を幼馴染みとし、同期にも恵まれている。
しょぼかったアーディ王国の武力を底上げし、大々的に革命を起こしたといっても過言ではない王太子の中枢であり、腕に覚えがあるだけではない、果断なる努力も見事大成した、ある種、敵国からしてみれば厄介な存在(中ボス)でもある。
「ハア、まったく息切れの一つでもしたら可愛げがあるモノヲ」
「黄金時代の騎士ですからねぇ。
ま、ヤッチまいますか?」
「……殺るのはヤバいト言ってたのは誰だヨ」
胡散臭げに地獄の犬は、自身の部下を睥睨するや、いかにも困惑したかのように部下は頭をかきながら、
「いやいや、まあ不味いですけど、
……捕まえないと、国境を侵略されますからね」
部下もまた、手前に置いた両手から投擲を。その両手の指の隙間、その隅々から、隊長と似たような小型な暗器を出現させた。
ただし、その投擲武器は、根元に線のような細い糸ものが結ばれている。
一通りの憲兵らによる洗礼がなくなると、人のうめき声だけが木霊する、異様な憲兵の群れが倒れ込む景色と成り果てた。やや静かになった欄干橋手前。
紅色の橋を黄昏のように照らしていた光はうっすらと薄まり、金環国家の首都の空は暗闇の時間へと没入し始めている。星は、出ているか。いや、ははは、と歯を見せながら、泰然と立ち続けるアーディ王国の誇る騎士団長の前に、一歩進み出る者がいた。
「さあ、リディール・レイ・サトゥーン伯爵様。
ここで一つ、踊ってみませんか?
剣舞なんて遊びじゃあなく、死の舞踏を」
「……私を殺したら、面倒になるだろうに」
「あ、そうでしたね」
地獄の番犬と親しい憲兵は、その手にある武器を挨拶代わりに、と、真っ直ぐに投げつけた。
当然、リディは避けるが、
「む……」
投げつけられた投擲が、特殊なものであることを察する。
「気付きました?
ま、当然ですよね」
投擲武器は、地面に突き刺さる。
ぴん、と張られたその線の先は、その武器を投げた者の五指に巻かれていた。
「こうすると、どうです?」
さらなる投擲、新たに狙われたがためにそれもまたリディは軽やかに避けるも、くん、とわずかに指を動かした憲兵の動作に、その投げつけられた暗器は鞭のようにしなって、リディの首に巻きつこうとする。
「これは……」
まさに蛇のように、意志のある動きだった。幸いにして避けることができたが、地面に縫い付けられた投擲複数も、いやらしくリディの動きを妨げる。
「この糸はただの糸ではない。
ちょっとでも触れたら、切れてしまう、研ぎ澄まされた刃」
すべての投擲武器に、その鋭すぎる細い糸がついていたがために、リディが避ける幅が狭くなり、騎士団長の導線が複数、読める程度には狭められてきた。
地獄の犬は至極、満足そうな表情を浮かべた。
相手の動きが手に取るようにして分かる、これほど楽な狩りはない。
「ウハ、相変わらず面倒臭そうな暗器ダ」
「隊長は覚えたくないって、山籠りしてましたもんね」
「指を落トした人間がどれだけイルことか、
知っテしまったら修業する意欲モなくなるわ」
憲兵の地獄犬である隊長は、手の中で遊んだ、長らく愛用している馴染みある投擲武器を再び、一本だけ取り出し、じっと見据えて集中。
標的である騎士のほうへと顔を向けて、狙い澄まし。
「ほらヨ!」
投げつける。
これにはさすがのリディも、身体に刺さることを、我慢せねばならないと一瞬にして思考する。
さすがに、地獄の犬と称される、この男の技術は抜きんでている。本気で狙われたら、ましてや、足元に、特殊なワイヤーが張られまくったこの地面で、上手く避けられる自信はなかったのだ。
リディは、歯を喰いしばる。
そうして、手にある剣を決して離さないように、気持ちに殻を被せて、その動体視力でもって迫りくる鋭角な切っ先の投擲武器を嫌な気持ちで注視する。
「ハハハハ、マ、生きてリゃ、ダルマだろうと、
あの王子様はてめぇを十分に可愛がるダローよ、
はは、ハハハハ」
高笑いは、勝利宣言も同じ。
リディは、彼らの話しを話半分に聞き流しながら、さて、どうするべきか思案する。この鋭利なワイヤーは剣で切れなかったら、攻撃してきた者を優先して倒しておきたいが、たどり着くまでに無事でいられるかどうかが甚だ疑問である。腕一本失うのは辛いし、出血多量はまずいだろう。
それに、問題になるのはリヒター殿下のことである。
心配するは、この国の事。金環国家バージルのことである。
(あの地獄犬は、案の定、愚かだ)
殿下の動きを、まったくもって予想していない。
それが、どれだけ厄介な問題を引き起こすことか。
天才と天災は紙一重というが、まさしく、
(リヒター殿下は、懐に入れた私をことのほか、大事にしすぎている……)
まず間違いなく、面倒になりそうなのは間違いない。前例があるからこその心配であり、不安だった。いくら他国の、敵国の人間とはいえ……、
「くっ……、」
とはいえ、リディは現状、噛み締めるしかない。
この、地獄犬が放つ、魔の投擲からの痛烈な痛みを予想する。
点から線に。
それは、リディの体へ、吸い込まれようとしていた。
――――やってきたのは、眩いほどの、網膜を焼くかといわんばかりの刺激ではあったが。
「え、なっ、隊長! これはっ」
どこぞから発光されたものか。
清々しいほどの青色が、瞬時にその場を支配した。




